シュレディンガーの死神、銀の観測
今回は現代物理学、量子力学についてです。
もう訳わからん。そして哲学をぶっ込んでます。
モルテは、冬の残りカスのような、糸のように線を残して落ちる雪を見つめていた。
季節は、もうそろそろ移り変わり、目覚めの春がやって来る。
(ちょっと、憂鬱)
冬は「死」、春は「生」。数多の命が、雪が溶けるとともに芽吹いていく。
この時ばかりはモルテの気持ちも下向く。芽吹きの季節はどこを見渡しても眩しく、どれも「死」を否定する。
モルテが「目覚めた」時、アナモルテの器には生への憧憬と死への忌避で溢れていた。生は「生み出す」もの。この世に存在し、美しく眩く輝く。反対に死は「奪う」もの。これまで積み上げてきた知や時間を一瞬にして壊す、まるで強盗のようなもの。死は、全否定であった。
(ああ、そうか)
生死を司る女神であったアナモルテは、この相反する力の差に怯え、生の力に「逃げた」。
己の理性である「ゲルミナス」を無意識下に切り離し、禁忌を重ね、裁きを受けた。この時、アナモルテは「モルテ」を捨てたのだ。さらにゲルミナスの中に「量子もつれ」の形で潜むことで、いつかゲルミナスを「喰って」復活しようと裁きの瞬間に思ったに違いない。
(まあ、私がゲルミナスを再定義してやったけどさ)
アナモルテは消え、生の力は欠片となった。それを全て回収して、今のゲルミナスがある。
ゲルミナスはアナモルテが切り離した「理性」。では、「モルテ」は?
(私は、恐らく――)
モルテは、「アナモルテ」が生み出したのではない。女神が持っていた「死」が、言うなれば「命を得た」ものなのだ。
(はじめは、とても苦しかった)
体に刻まれた、言わば全否定の感情。「死」とは、恐れるものであり、忌むものであるという考えは、死神であるモルテにも刻まれてしまった。
けれど、いつからか体が軽くなった。それはいつから?
(うーん、いつからだろう?)
首をひねりながら雪の溶けかけた森を歩く。ぴしゃん。ドロドロに姿を変えていく半固体の水を踏む。
(あ)
微かにモルテを呼ぶ声がする。その声の方へ足を向け、木の洞へひょっこりと顔を入れる。そこには、骨を皮膚に浮き立たせた、ガリガリの動物が、今にも途絶えそうなか細い息を繰り返していた。
(お前は冬を越せなかったか。大丈夫、大丈夫)
モルテの力を抑えた手のひらが動物の毛並みを優しく撫でると、彼のどこまでも澄んだ瞳がモルテを見る。それは一度「きゅう……」と鳴いた後、モルテへと体を寄せた。すう、と大きく息を吐いて、全てを彼女へ預けた。
(おやすみ)
モルテの瞳の裏に映るのは、その動物の声、好きなごはんの香り、好きだった遊び。
(うん、そっか)
散々彼の話を聞いて、送り出した。
――死神は、全てを「奪う」力。
やるせなさそうに、モルテは一回だけ息をついた。
木の幹の周りだけ、雪は早く溶けていく。葉を落とし、色を失っても、目の前に立つ彼らも生きている。熱を生み出し、ばらばらになることに抗い、また春が来て色付いていくのだ。
(あ、ゲルミナス)
木々が乱立する場所に跪いて、慈愛の瞳で命を見ている。そっと地面に手をついたのが見えた。
ブ……ワッ……。と彼の銀の光が同心円状に波打って広がっていった。あれは、芽吹くための、目覚めるための力。この死へと向かう一方向の流れに、ほんの少し抗うための手助けの光。
(生は、与え、生み出す)
つきり。
なんだか、もう、どうしようもないくらい、やるせないなぁ。
立ち尽くすモルテに気がついたのか、ゲルミナスがこちらを向いた。
「モルテ、どうしました? 木の周りの雪解けが早いことに疑問でも持ちました?」
いつも通りのゲルミナス。でも、今その答えはモルテには少し辛い。
首を振る。じっと彼はモルテの瞳を覗き込んできた。
「……何か、ありましたね? 何だろう……」
(近いよ、ゲルミナス。まぶしいよ。……まぶしいよ)
モルテは、ゲルミナスを指差して、目をぎゅっと瞑った。そして、次に自分を指差し、目をぎゅっと瞑ってバツ。その手は少し震えている。
「……? 目……? 私、目? モルテは、目……バツ……」
違う。もう一度。今度は目を瞑った後、腕で顔を覆った。
「まぶ……し、い……?」
うん。
「私が、眩しい?」
うん。
「なぜ、そう思ったのですか」
『いのち、あたえる』
ゆっくり動かしたい唇は、震えて早くなってしまった。
「すみません、もう一度お願いしていいですか」
彼は困ったようにモルテを見る。
伝わらない。もどかしい。やるせない。
やるせない!
『い、の、ち……あ、た、え、る』
「……!」
ぼろぼろ。モルテの黒い瞳から雫が零れた。私は「奪う」者。それはまるで呪いのように彼女を蝕む。
――冷てぇ……。あのひとは、あったかかったじゃんよ――
死は、「熱」を奪う。
――い、嫌よ! 私はまだ死なないんだから!
死は、「光」を奪う。
――なっ……!? 儂はただ、記憶を集めたかっただけじゃ……!
死は、「時間」を奪う。
どんなに近くても。どんなに、どんなにその熱があろうとも。越えられない壁とその考えはモルテを締め付ける。
モルテは死神。生神の隣に立ってはいけないのだ。
ゲルミナスは静かに片膝をつき、モルテを見上げた。
「……モルテ。それは、違います。命は、死があるからこそ、その出す光は意味を成す。『死』というものは、この世に存在する全ての物質の、最後に辿り着く場所です。目標地点が分かっているからこそ、命は迷うことなく自分の道を、歩くことができる。死がそこで待っていると分かっているから、命は安心して、命を謳歌できるのです」
それは、死に対しての「全肯定」。
(……死があるから、生は、光る……?)
「以前、私を叱ったでしょう? 『死の否定は生の否定、死ぬためには、生きなければならない』と」
――「死」を否定するってことはつまり、「生」を否定することと同義なの! 生きなきゃ、死なないでしょう!? 死ぬには、生きなきゃいけないの!
ゲルミナスはモルテの手をそっと握った。
「もちろん、死という状態変化に対して、自分が自分で無くなるという本能的な恐怖はあるでしょう。それはある意味仕方のないことなのかもしれない。けれど、最期には、命は貴女へ全てを「託し」て、旅立つ」
(あの子も、私に遺して逝った)
「貴女が、声を出せないのは、旅立つ命の声を遮らないため。貴女が、匂いを嗅ぎ取れるのは、命の記憶を覚えておくため。貴女が、温度を感じ取れるのは、その命の最期の熱を抱きしめるため。『死』というものは、全てを奪うものではなく、『最期』へ向かってくるその命を、受け止める存在なのだと、私は定義します」
モルテは、ゲルミナスを見た。
「情報というものは、物理学の世界では、『消えない』ものとして扱われます。例え燃えて灰となっても、ブラックホールに吸い込まれたとしても、その物質が、かつてどういう状態であったか、という情報は、宇宙に散らばって必ずどこかに残っている。決して消えるわけではない。貴女は、その生きた証をありのまま受け止める受容体。命はその死を迎える時、今まで積み重ねた「物語」を、貴女に最後に預け、安心して眠れるのです」
ぽろりと、モルテの涙の、最後のひと粒が落ちた。
ゲルミナスは立ち上がってモルテの両手を包みこむ。
「モルテ、私は何度でも定義しましょう。死は、奪うものでも、忌み嫌われるものでもない。世界から溢れ出した熱を、その一滴もこぼさず受け止めるための『余白』なのです。死が、『貴女』が待っていてくれるからこそ、私たち『命』は生きていけるのです」
ね、と、ゲルミナスは微笑んだ。
(……私は、私を、「肯定」してもいいの……?)
モルテの顔はくしゃくしゃになった。一度止まった涙は、今度は「熱く」、彼女の頬を流れていった。
「……『生』というのはどうしても『死』に惹かれるのかもしれませんね。最期に自分が『還る場所』なんだと思うと、安心するじゃないですか。……でも、私は、ただの『モルテ』に惹かれていますよ。ただのひとりの、大切な女の子。貴女は『モルテ』。私の、『大好きな』ひと」
(……!?)
涙が一瞬にして乾いた。いま、なんてった、このひと。
ゲルミナスは楽しそうに笑った。
「ああ、やっぱり伝わっていませんでしたね。私が言ったのは、『生』が『死』に惹かれる、のではなく、『ゲルミナス』が『モルテ』に惹かれるということですよ」
包んでいた両手をするりと解き、彼はそのままモルテの涙の跡が残る頬を包みこんだ。
必然的に彼女の顔は少し上向きになる。
(ちかい……!)
コツ、と額がくっつく。ゲルミナスの熱が伝わってきて、どっちが熱いのか分からない。熱平衡だ。
「……抱きしめても、いいですか」
疑問じゃない疑問。モルテの返事を待たず、彼はそっと彼女を抱きしめた。時折、ぱちりと火花が飛ぶ。
「やっぱりなかなか難しいな……。全身包み込むのはまだ練習が足りないか」
そんなぼやきが耳の後ろで聞こえた。
トクトク、と温かい音。
「私は、貴女を『観測』し続けますよ。いつまでもね」
モルテは、少し震える手を伸ばして、彼の背に腕をまわした。
私は、「モルテ」。「あなた」を、ここで受け止める者。
その心音は、「安定」へと続く道をゆっくりと歩く足音。
急がないで、ゆっくりおいで。その時、たくさん話を聞かせてね。
シュレディンガーの猫、と言う有名な思考実験があるようです。
死についての考察は、私の勝手な考えです。死ぬのは怖い。けれど、死を絶対悪にしたくなかったのでこう書きました。
様々ご意見あるかと思いますが、一考えとして「ふーん」と思っていただければ。




