「青い」本音の透過率
今度は電磁気学。光の話です。
は、とモルテは息を吐く。その呼気は外気温に当たったところで白くもならない。ただ感じるのは雪の冷たい香りばかり。
あれから、ゲルミナスはいつも通り。けれど、モルテの中はなんだかモヤモヤしたものが澱となって雪のように積もっていく。それでどこかぎこちない。
もしかして。ゲルミナスはモルテを「アナモルテ」と重ねているのではなかろうか。
(だから、あんな事言ったんだ)
モルテの記憶に残るのは、彼の「銀の記憶」。ゲルミナスの、「女神」との記憶。
モヤモヤちくちく。
ゲルミナスを思えばモヤモヤし、女神を思えばちくちくする。
(なんだろ……)
胸に手を当ててみても、そこは沈黙を守り、何も答えてはくれない。
あれは過去の事。女神アナモルテはもういない。けれどもし。アナモルテの抜け殻として見ているのなら。
あの言葉も、仕草も、瞳の奥の熱だって。
(あのひとに向けたものだ)
もっさりと雪は積もっていく。雪はきゃらきゃらと仲間たちと手を繋ぎ、その姿を大きくして、地面を白く塗り替えていった。
しんとした世界には、ひとときの眠りにつく命たちの深い呼吸が聞こえる。
積もった雪を踏んでみれば、それは足跡を深く付けて小さく縮む。足の穴をのぞき込むと、そこは白の中に「青」があった。
(青い……)
「青いですよね」
ひゃっ。びくりと肩を揺らす。振り返れば、モルテの反応に驚いたように、ゲルミナスが目を瞬いていた。
「すみません、驚かせましたか?」
首を振る。モルテが勝手に意識して、勝手に驚いただけ。訝しげにこちらを見るゲルミナスに、モルテはいつも通り、穴を指さした。
「雪、青く見えますよね。これは、水の光の吸収特性によるものです。太陽光は様々な光の集まり。覚えています?」
頷く。光は、全部足すと色は消える。
この、複雑な色も、全部混ぜれば消えるだろうか。
「雪が積もる、つまり一つ一つの結晶が積み重なって厚くなると、光は雪の奥深くまで入り込み、何度も反射を繰り返します。水というのは、波長が長い『赤』をわずかに吸収しやすく、反対に短い『青』はそのまま通しやすい性質を持っています。雪の奥まで行った光が戻ってきた時。その光はどうなっています?」
水は「赤」を吸収して、「青」はそのまま通す。赤が減った光は。
『あ、お』
「そうです、モルテ、正解です。赤が削られ、青が強くなった光が私たちの目に届くので、青く見えるんです。海が青いのと同じ理由なんですよ。ただ、雪は青い光を散乱していますが、海は青い光が水分子などに跳ね返っている。これが違いですね」
(それであの海も、青かったんだ)
水は、光の熱すらも凌駕する。
「……モルテ、どうしました? 調子が、悪い?」
ふとした疑問を投げかけられ、モルテは慌てて首を振った。
「なんだか、元気がない気がして。気のせいですか」
(主に、ゲルミナスのせいだけどね)
あんな、変なことを言うから、ちょっぴり変に見えるだけ。
(……あれ、なんで私、私だけこんなモヤモヤしてるの)
だんだん腹が立ってきた。えい! とモルテはゲルミナスの脛を蹴り飛ばす。突然の衝撃にゲルミナスは飛び上がった。
「痛っー!? モルテ、いきなり何――」
んべっ、と舌を出し、目の下を引っ張る。
「っ!?」
せいぜい痛がるがいい。ひょいひょいと雪の上を飛ぶように走る。
(……もしかして私、ゲルミナスにも一緒に悩んでほしかったのかな)
モヤモヤとちくちくは消えない。
「っ、モルテ! 待ちなさい! 何するんですかっ」
一拍遅れてゲルミナスが追いかける。
モルテが付けた足跡の上を辿るように、でもその長い脚はすぐに追いついて。
「つかまえた」
すぐにモルテは捕まった。一瞬だけ「ぱちり」と飛ぶ火花放電。でも掴まれた手首はしっかりと繋がったまま。
「……何か、説明で気に障りましたか」
首を振る。
「この間の言葉ですか」
違う。
「では――」
彼は一度言葉を切った。少しの沈黙。モルテは前を向いたまま。ゲルミナスの手が、モルテに熱を移していく。
「……アナモルテのことですか」
(!)
ぴく、とモルテが反応したのを見て、ゲルミナスは息をついた。
「……なるほど」
(だから、尋問がうまいんだよなぁ!)
正直に答えてるのはモルテもだけど。
「もしかして、『これ』のことですか」
そう言って彼が取り出したのは、あの、ゲルミナスの「銀の記憶」だ。モルテがあの時彼に投げつけた、美しい球体。まだ持っていたなんて。
モルテは振り向いてそれを見た瞬間、目を見開いた。彼は合点がいったように、「ふうん」と呟いた。
「つまり、モルテは、私が、貴女を、アナモルテだと、そう思って貴女を見ていると、そう言いたいんですね?」
いや、句読点多くない? そんな区切らなくったって――。
(……なんか、怒ってる……?)
「電位差」とは違う、ぴりぴりした気配が、ゲルミナスから漂っている。
(え、怖いんだけど!)
肯定すべきか否定すべきか。
肯定したらこの怒りはそのまま。否定すれば別の理由を吐かされる。つまりこれはどちらも。
(詰んでる!)
はあ、と深いため息。手首を掴む力は少し弱まった。けれど、やっぱり繋がったまま。彼の熱はじんわりモルテに伝わり、「心」へと届く。なんだか「熱い」。見つめられるとどこかザワザワ、落ち着かない。
「……この記憶は、その、まあ……接吻なわけです、が……」
ものすごく言いにくそうにゲルミナスは口を開く。どことなくその単語を口にする時顔を赤くした。
(うん、まあ、私も見たよ。しっかりとね)
「ええと……。アナモルテは接吻魔です。所構わず誰構わず接吻しまくり、「生」の力を注ぎ込んでいました」
(え。力の使い方っていうか、生まれた神の役割間違えてない?)
でもでも。ゲルミナス目を閉じてたよ? あれは何?
「っ、力を注がれると強制的に眠らされます! 気がつくとあの神はどこぞへ放浪し、生の力をばら撒いて……!」
おお、ゲルミナスがなんか感情を露わにしている。珍しい。
モルテは面白そうに瞬いた。
「あれは、『私』という理性を切り離し、奔放に禁忌を重ねていった。どれだけ、どれだけ尻ぬぐいをするのに苦労したことか……! あれでも一応禁忌を減らしたんですよ! もう、もう大変だったんですから!」
(おう。愚痴大会かな? でも、私を「アナモルテ」と呼んでいたのは、単なる勘違い?)
同情の視線の中に含まれる疑問を読み取って、ゲルミナスは肩を落とす。
「……ですから、まぁ、勘違いというか、私を『量子もつれ』にして消えるなんて、誰も想像しないじゃないですか……。まあ、少し雰囲気が違うなとは思っていましたが……」
(……私は、苦しかったよ)
アナモルテの残滓だらけの器で、女神の記憶をぼんやりと引き継いで。
ゲルミナスは、掴んでいたモルテの手首をするりとほどいて、彼女の手を包みこんだ。「電位差」は、絶縁体に阻まれて起きなかった。
「苦しかったですか」
(うん)
「アナモルテは、死の力への忌避が酷かった。狭かったでしょう」
(うん)
やっと、自分になれたよ。
「……抱きしめてもいいですか」
(うん!? それは別問題だよね!?)
慌てて首と掴まれていない手を振る。
「冗談です」
(いや、冗談に聞こえないんだけど!)
ふふ、とゲルミナスは笑った。やっと顔を見ることができて、モルテもへへ、と脱力したように笑う。
と、ゲルミナスは笑みをふっと消して。
「いや、貴女はアナモルテの器を持つから、あの接吻は有効か? 試してみます?」
(試さない! 試さないって!)
心は軽く、ほわほわと舞う雪のよう。
水は赤を吸収して、青を残す。
ルビ地獄でした。




