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サーマルの階段、台風一過の魔法

第三部始まります。

ここからは、現実的な身の回りの現象を主に書いていきます。

今回は力学。

ゲルミナスがクイズを出すので、モルテとともに楽しんでいただければと思います。

前書きを編集しました。

 抜けるように青い空を見上げている、一人の少女。彼女は黒い喪服のようなドレスに身を包み、長い黒髪を垂らしている。長い睫毛で縁取られた瞳もまた黒。その肌は人形のように白い。けれど、袖にある銀のレースはきらきらと輝いて、黒に染まりすぎていないことを示していた。そんな彼女の背には、白い片翼が生えている。もう片方の翼は、根元から捩じ切られたように無くなっており、黒い灰がちらちらと舞っていた。

 彼女の視線の先、高い高い空の上に、風に乗って飛翔している一羽の鳥。くるくるとゆっくり円を描いて上昇し、またゆっくりと降りている。目を凝らさなければただの点のように見えるそれが、地上へと近づいては遠ざかる様子を飽きもせずに見つめている。彼女の瞳は好奇心が隠せないほど輝いていて、人形ではないことを物語っていた。


「モルテ。何をさっきから見ているんですか?」

 名を呼ばれて少女は振り向いた。視線を下ろすと、先日の嵐で倒れた木々から新芽を芽吹かせていた銀の男が、いつの間にかこちらへと近づいてこちらを見ていた。彼は銀の飾りが付いた礼装で、片眼鏡をしている。

(ゲルミナス。終わったんだ)

 モルテが木を指さすと、彼は頷いた。

「あの木々は生きていますからね。ほんの少しだけ、手伝っただけです。貴女は何を?」

 あれ、とモルテは高い青を指差した。見えるかな、あの鳥。

 ゲルミナスは指先の向こうを見るように、そして空の眩しさを弱めるように、目を細めた。

「高い空ですね。ああ、秋だからか。じゃあ、昨日の嵐は台風ですね」

(鳥だよ、鳥!)

 噛み合わない。首を振ってその風に乗る鳥を指さす。

「え、違うんですか? じゃあ、鳥……?」

(そうそう、あれあれ!)


 ピーヒョォォォ……と高い鳴き声。静かな空に響き渡る声はどこまでも澄み切っている。

「あれは……トビですか」

(なんであんな高く飛べるの?)

 モルテはぱたぱたと手を動かしてから、指でぐんと上を指す。モルテは声がない。「死」を司る神であるモルテは、鼓動も血の色も、生命活動そのものの必要がない。「生」を司る神、ゲルミナスとまるで正反対だ。そして、その声がないことで、彼との意思疎通に苦労している側面もある。手段はジェスチャーか、短い単語の口の動きだけ。


(伝われー!)

 ゲルミナスはモルテの動きを見て、首を傾げてしばらく見つめていた。

(……でも、最近ゲルミナスにじっと見られると落ち着かないんだけど……。伝わった? だめかな?)

 ダメ元でもう一度その動きをやる。ぱたぱた。指をびゅっ。首を傾げる。

 じぃっと見つめられている。

(やっぱり、通じてなかったかな……?)

 たら、とかかないはずの汗を背中に感じ始めた頃、ゲルミナスは不意に吹き出した。

「ふふっ、失礼。……あまりにもモルテが可愛らしくて、つい。……トビが高く飛ぶ理由ですね?」

(可愛っ……!?)

 何今の言葉? モルテの頭は絶賛大混乱中だ。そんな彼女を見てもう一度微笑んで、彼は空を見上げた。

「トビは流体力学の一流ですね。あそこに上昇気流(サーマル)があります。それを利用してトビは高く飛んでいるんです」

(……。サーマル?)

「今日みたいに天気のよい日は、地面が太陽に温められます。そこにある空気が温められて軽くなると、どこへ行くでしょう?」

(上に行く!)

 指で上を指す。ゲルミナスは「正解です」と言って笑う。

「上昇する速さが、トビの落下する速さより速ければ、翼を広げているだけで自動的に体は上昇します。あんなふうに円を描いているのは、狭い柱であるサーマルから外れないようにしているからなんですよ」


 へえー。モルテはトビをもう一度見上げた。トビはまた「ピョォォォ……」と鳴き、くるりと上へ昇っていく。

 あそこに、見えない空気の階段があるんだ。その階段を滑らかに移動していくトビ。ああ、とっても気持ちよさそう。

「上空へ行くほど風速が上がります。トビは、風の強さが違う層を行き来することで、その速度差からエネルギーを得て、加速・上昇することができるんです」

 そう言ってゲルミナスはモルテと同じようにトビを見上げ、目を細めた。

「……気持ちよさそうですね」

(うん)


 抜けるような青い空は眩しい。それでも、モルテはその空を焼き付けようと目を開けた。

 そんな彼女の瞳に、空が映り込んでいる。モルテの黒と溶けて藍となって、宵闇の空。彼女の好奇心は、星。


「……綺麗ですね」

 ゲルミナスがぽつりと呟いた。

(ん? 何? 空?)

 モルテは首を傾げて空を指さす。ゲルミナスは苦笑した。

「ええ、とても。……台風が過ぎた後の空は、『最高に青く』見えるんです。台風の激しい雨風は、空気中のチリなどの微粒子を綺麗に洗い流してくれるんです。……ほら、空が青く見える理由。『レイリー散乱』と言うんですが、微粒子がない空はこのレイリー散乱の純度が高く、より鮮やかに青くなるんです」

 ほぉー! モルテは空気を吸い込んでみる。呼吸なんて必要のない体だけど、気分的に、だ。どことなく澄んでいる気がする。

「台風は『巨大な空気の入れ替え装置』みたいなものですからね。強力な低気圧である台風は、上昇気流の塊です。それが過ぎ去った後、下降気流である高気圧が流れ込んできます。高気圧というのは雲を消しますから、こんなに良く晴れるんです」

 カラリとした、爽やかで綺麗な空気。

(忌み嫌われる台風でさえ、実は空を掃除している)

「それに、台風は湿った空気を吸い込みながら移動します。だからこんな乾燥して、澄んだ空気が残っているんですよ」


 ブワアァ! と風が強く吹き、モルテの髪に触れてはからかうように巻き上げていく。

(うわっ! 強い風!)

「『吹き返し』ですね。さっきより強くなりましたね。あー……、櫛、要ります? 鳥の巣みたいになってますよ」

 下から吹き上げられた風がモルテの長い髪を持ち上げ、ぐしゃぐしゃに絡めていく。ゲルミナスはモルテに櫛を手渡しながら口を開いた。

「……さっき言った、強力な低気圧と、流れ込んできた高気圧。気圧差が大きいとどうなるんでしたっけ?」

(えっと、えっと……。高いところから低いところに風が吹く! ……から……、ええ? どうやって伝えるの?)

 とりあえずモルテは片腕をぐるんと大きく円を描きながら斜めに振り下ろし、「風」を表現してみた。

(どうだ!)

 モルテを見ていたゲルミナスは、その顔の角度を変えて俯いた。

(え、伝わらなかった……?)

 だが、よく見ると彼の肩が微かに震えている。これは――。

(面白がってるな!?)

 なんだか悔しくなって、モルテは口を尖らせた。そして手に持っていた櫛を投げつける。

「くっ、ふはっ、す、すみませ……おわっ!? あー、すみませんモルテ! 怒らないで!」

 私が悪かったですから、とゲルミナスは笑いながら言う。そんなの、全然誠意が感じられないよ!

『い、じ、わ、る!』

 睨んでも全然響かなかったらしい。彼はしばらく肩を震わせたままだった。

 その後、ゲルミナスはモルテに脛を蹴られ、痛みに悶絶し、謝り倒す事で決着がついた。



 すっきりと残滓を洗い流した、目に刺さるほどの青い空。天へ向かう階段を駆け登る、朗らかに歌うトビ。爪痕を残し、涙とともに去る台風。嵐が過ぎた後の歓びを示すかのように、勢いよく息吹を吹き込む高気圧。


 普通であれば、何ということのない、ありふれた理。

 けれど、モルテにとっては、まるで魔法のような世界。

 ゲルミナスはそんなモルテを侮ることなく、その魔法を紐解いてくれる。


 必死に謝り続けるゲルミナスを横目に、ふと、モルテは思った。

 あの、天真爛漫な女神様は、彼と何を話したのだろう、と。



第三部は地上を彷徨うと見せかけた、ゲルミナスの確信犯的なデートです。確信犯です。

子どもが5時で起きたので、今日更新できないかとヒヤヒヤしました。

私の朝活時間、返して……。

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