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死神と生神の熱力学前史

まだ物理でてきません。ご安心ください。

 モルテは、気がついたらモルテであった。

 漆黒の長い髪を垂らし、黒い瞳を巡らしても、耳に聞こえるのは死に絶えた沈黙ばかり。

 ばっさりと切り落とされた背の翼。片翼では空を飛ぶこともままならない。痕から吐き出されるような黒い灰は、まるで燃えカスのよう。

 自分の「正体」は何一つ覚えていないのに、頭にこびりついて離れないのは、世界のどこかにある「命」を刈り取ること。

 「宝石の泉」「風の精霊」「光の王女」「大地の竜」「永遠の灯火」。

 これらを刈り取ることこそがモルテの「使命」であるかのように急き立てる。

 そう、「罪」。罪を償うための「使命」。

(でも、何の罪だったかしら……?)



 ゲルミナス。

 彼はなぜかモルテに付いてくる男だ。モルテのことを「アナモルテ」と呼び、まるでモルテの過去を知っているかのような口ぶりで彼女に接してくる。

 命に溢れる銀の光を放ち、彼の通った道は極彩色の呼吸で溢れている。

 

 疎ましい。

 奪うことしかできないモルテの傍らで、彼は微笑みを浮かべながら命を芽吹かせる。

 モルテの通った死の跡を、鮮やかに、新たに書き換える力は、彼女の心の中をどうしようもなくざわつかせた。

 


「さあ、アナモルテ。次は『風の精霊』ですか。行きましょう」

 彼は銀の装飾が揺れる礼装の襟を整え、モルテを振り返る。

 モルテは彼を一瞥すると、ベールを深く被り直した。世界を薄暗くするレースは、「生」の眩しさから守る障壁のようで、どこか彼女を安心させた。

(言われなくとも。……それと、私の名はモルテだってば)

 ふふ、とゲルミナスは微笑んだ。

「貴女にどう思われようとも、貴女は『アナモルテ』なのですよ。……私にとってはね」

(……ふうん)

 変なあだ名を付けるものだ。


 さっさと歩き出そうとするゲルミナスを無視し、反対方向に歩き出す。彼は何が楽しいのか、ぶつぶつと喋っていたけれど、モルテには聞こえない、聞こえない。

(どこへ行くかは「私」が決める)

 気配を辿り、この脚の進む方向が目的地だ。

 さくり、と緑の草を踏みしめる。途端、それは色を失って土へと還っていく。彼女が踏んだ場所だけ、足跡の形を残して死の香りが漂う。

 モルテは一人で巡礼を行いたいのだ。この身に宿る忌まわしき力を、振りかざさないために。

 ――傍らに立つ者の命を、奪わないために。



「……つまり、だからこの花は極彩色に輝くのです。……聞いていましたか、アナモルテ?」

 滔々と自らが咲かせる花について講釈を垂れていたゲルミナスは、一度言葉を切って後ろを振り向いた。

「…………」

 誰もいない。

 ぱたぱたと、彼が息吹かせた鳥が空を飛んでいった。

 彼の視線のはるか向こう、霞むほどの先に、黒い灰が舞いながら死を撒き散らしているのが見えた。

 無言で片眼鏡を直す。ふう、と一つ息をついてゲルミナスは大股で進路方向をそちらへと変えた。

「……アナモルテ! 待ちなさい!」


 ちょろ、と足元をリスが走った。

「お……っと」

 眩い命が咲き乱れる足元に、ゲルミナスは知らず口角を上げた。

(そう言えば彼女も、小動物とよく戯れていましたね)


――可愛い! ねえ、見て、ゲルミナス。

 言いながらネズミを手のひらに乗せているのは、虹色の髪を長く垂らし、虹色の虹彩を持つ瞳を笑みのかたちにしているひと。

 頬は薔薇色に染まり、指先からはぽろりと花びらが幾つも落ちている。

 数多の命を芽吹かせたひと。

 今は、もういない。



「……やっと、追いつき、ましたよ」

 はあはあと肩で息をしながら、恨みがましげにゲルミナスはモルテに並んだ。

 触れそうで触れない距離。二人のまとう空気、「生」と「死」がバチバチと音を立てて火花が弾けた。

 その火花を一瞥し、モルテは視線を前に向けた。また、ほんの少し足を早める。

(……なんでついてくるの。馬鹿じゃないの)

 ゲルミナスは額に浮かんだ汗を拭き、モルテを見ると微笑んだ。

「それが私の役目なのですよ、アナモルテ」

 

 二人は日の沈まない地面を歩く。世界の理はどこまでも美しく、残酷なまでに歪んでいた。

 火の粉を散らしながら聳え立つ木々。

 光る湖を映す壮大な空。

 喜びを歌う花々。

 肉を食む兎。

 蜜を吸う虎。

 そんな風景を眺めながら、ゲルミナスはふと立ち止まった。

「そろそろ、食事でもしませんか」

 そう言って、彼は一つの命を芽吹かせた。

 ぽこん、と地面から突き出た双葉は、みるみるうちに成長し、大きな幹を渦巻かせ、ふさふさと新緑を茂らせた。幾重にも分かれた枝から甘い香りを漂わせた白い花が咲き乱れ、はらはらと花びらがモルテの頭上に降り注ぐ。

 その様子を、彼女は黙って見ていた。

 やがて花の付いていたがくから小さな実が顔をのぞかせ、ずんずんと大きくなった後、赤く熟れた。

 ぷち、とゲルミナスは一つもぎ取る。彼の手のひらに余ってしまうほど大きな果実。かぷりとそのまま齧りついた。

「貴女もいかがです、アナモルテ」

(要らない)

 首を振る。食事などというものは彼女には必要ない。空腹を感じることも、喉の渇きを訴えることもない彼女には、とうに懐かしいものだ。

(……「懐かしい」?)

 もしかしたらかつて食べていたのかもしれない。ふと思った。

 美味しそうに果実を食べるゲルミナス。

 ああ、彼はこんなにも「生きて」いる。



 果汁を滴らせ、うっそりとゲルミナスは笑った。

「これは『天界』の果実ですよ。地上にはないもの。この果実は……」

 講釈が始まった。長ったらしい話に、モルテの眉が少しだけ動いた。

(いや、ウザ)

 モルテはしずしずと木に近づいてそれを見上げた。さわさわと揺れる葉。隙間から漏れる木漏れ日。赤い実がたわわに実った、天界の植物。

(地上にあったらダメなやつじゃない)

 手を伸ばし、一瞬だけ戸惑って、幹に触れる。

(さよなら)

 ざああぁぁっ。緑に息づいていた葉は水分を失い、乾いた音を立ててボロボロと崩れていく。幹は灰になって、風に攫われて消えていった。

 背後で「ああっ! せっかく芽吹かせたのに!」という絶望的な声が聞こえた気がしたが、無視する。

 モルテは地面、空、ゲルミナスの持つ果実を順に指さした。

(……だめでしょう)

 彼は言いたいことが分かったのか、少し不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「……分かっていますとも。ただ、この美しさを、貴女にと……」

 ボソボソと紡がれる言葉は、風にかき消された。

 ふう、と息をついてモルテは歩き出す。今度は少しだけゆっくり。

(……行くよ)

 風の精霊まで、もう少し。



――なんて、可哀想なの。

 虹色の虹彩は悲しげに揺れる。

 毒でも入ったのだろうか。美しく輝いていた泉は濁り、中で泳いでいた魚たちはプカプカと腹を見せている。

 鼻を突く異臭が漂い、それは死にかけていた。

 彼女は身をかがめ、その水を清らかな手にすくい取る。だぷ……と粘度のある水は、手のひらから零れ落ちて重い音を立てた。

――この泉が、「生き返り」ますように。

 彼女は手を差し入れたまま、願った。

 時を巻き戻すかのように泉の穢れは清められ、腹を見せていた魚はバシャバシャと力強く泳ぎだす。澄んだ泉はそのうちパキパキと結晶化していき、気がつくと宝石に包まれていた。

――「――様」、それはっ……。

 咎めるような声。けれど「彼女」はニコリと微笑む。

――まだ、死んではいなかったはずよ、ゲルミナス。 


 それが一つ目の、禁忌。


現実世界に疲れ果てて、思いっきり非現実的なことを書きたくて、始めたこの物語です。

ここまで読んでくださってありがとうございます!

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