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想いのカンデラ、四二度の再定義

今回は光度。光についてのお話です。

 雨上がりの森を歩く。まだうっすらと靄のかかる空気は、湿った緑を濃くはっきりと色づかせている。

 モルテは上を見上げた。頭上に被さる木々の葉は、しっとりと濡れて陽の光を吸い込み、隙間には無数の光芒が差している。

 所々ある水たまりには、葉の間から零れ落ちた水滴が光を反射し、暗い道に柔らかな明かりを灯していた。

 足元にある、小さな蜘蛛の巣。ぽつぽつと雨粒が残って、挿し込まれた光を乱反射し、きらきらとプリズムで雨上がりを祝っている。

 何ということのない、理だらけの風景。それでも、この世のものと思えないほど、幻想的だった。


(あ、虹)

 太陽と反対の空に、微かな虹が架かっている。宝物を見つけたようで、その発見を教えたくて、モルテはゲルミナスの服を引っ張ろうと――。

 ――パチィッ。

 モルテの指先が、ほんの少しゲルミナスの背中に当たる直前。小さな音が弾けた。

(あ)

 痛くはない。けれど、「生」に溢れ始めたゲルミナスに拒絶されたような、どこか寂しいような、やるせない何かがモルテの心を占めた。

 「苦い」でもない。「酸っぱい」? これは、どんな「味」なんだろう。

(……まあ、ゲルミナスも八割神体だもんね。仕方ない、仕方ない)

 ふう。小さく息をついて、服を掴もうとした指を下ろす。

「モルテ? どうしました?」

(……!)

 変わらぬ声。少し驚いてモルテは顔を上げる。不思議そうに首を傾げるゲルミナスがいた。

(あっ、えっと、虹!)

 空にかかる雨上がりの橋。指さした時にはもう、モルテが見つけた時よりも薄く、ほとんど消えかかっている。

(あー……)

 ゲルミナスはその指差した空を見上げ、しばらく何かを探すように目を細めていた。

(いいよいいよ。消えちゃったし)

 残念。しかし、彼は「ああ」と言わんばかりに、細めていた目を開いた。そしてモルテを見下ろす。

「虹、でしたか?」

(!!)

 そうなの、あったんだよ、と何度も頷く。ゲルミナスは少し残念そうに息を吐いて笑う。

「私も見たかったですね。モルテだけ、ずるいです」

(う……あ……!?)


 虹。かつては吉凶の象徴であったそれは、物理的に解明される自然現象である。

「虹というのは、『太陽を背にして、水滴がある方向に四二度の角度』で見える、光の屈折によって起きる現象です。雨上がりの、上空に残っている水滴に太陽光が当たって、屈折・反射、光が出る時にもう一度屈折して、一番光が強く集まる角度が、四二度。その光が密集しているところを、私たちは『虹』として見ているんです。一般的な虹は内側から空に向かって『紫、藍、青、緑、黄、橙、赤』と並んでいます。色、数えてみました?」

 ううん。モルテは首を振る。数えたことなかった。

(順番なんて、決まってるんだ)

 ふふ、とゲルミナスは小さく笑った。

「先ほどの角度です。光は様々な色の集まりです。ほら、『光の王女』で空の色、話したでしょう?」

(うん。空が青い理由ね)

「波長と少し違う話ですが……。紫は大きく屈折し、最後の赤は屈折が小さい。なので、紫から見え始め、赤で終わる。たまに、逆転する時もありますが、大抵はこの順番です。そして、虹は『その人専用』です」

(え? 何で?)

「自分の目を基準に四二度の方向を向いているので、厳密に言えば同じ虹ではないんです。結局のところ、虹は光が作る錯覚のようなものなので、それぞれの人の目に、その人専用の虹が映るんですよ。……『モルテの虹』は綺麗でしたか?」

 柔らかく問われ、モルテは消えかかった虹を思い出す。幻想的な、虚像。もし消える前にゲルミナスが虹を見ることができたとしても、決して「同じ」虹を見ることはない。けれど。

(うん。……とっても)

 力強く頷いた。



 太陽の光は、穏やかに降り注いでいる。あの、突き刺すような白夜はもう訪れない。

(「光の王女」は無事に代替わりしたみたい。感心感心)

 そうだ。「光の王女」といえば。モルテは懐から、撃破のときに使った手鏡を取り出した。映る景色がほんの少し、モルテの力に色づいている。

(ねえねえ)

 モルテは手鏡でゲルミナスをペシペシと叩く。物を介せば「電位差」は生まれない。

「……何です、モルテ?」

 これこれ、と振り返ったゲルミナスに手鏡を振ってみせる。

(これ、何でくれたの?)

「……!? 捨てましょう何まだ持ってたんですか寄越しなさい」

 見る間に表情を驚きから一変、「苦い」顔に変えたゲルミナスはモルテの手から鏡をひったくった。手も触れなかったし「バチン」もなかった。何でそんなところは器用なんだ?

(あー!)

「こ、これは……黒歴史です忘れてください」

 彼は早口でそう言うと、神力ですっと消してしまった。

(聞こうにも聞けなくなったじゃん!)

 まあいいや。だいたい見当ついてるもの。そう思って、モルテはゲルミナスの前に回り込んだ。そして、声なき「声」を出す。

『あ、な、も、る、て!』

「うあああああ!! それは言わない約束で……!」

 モルテの唇の動きを読んだゲルミナスは、断末魔のようなうめき声を上げた。あ、膝から崩れ落ちてる。

 トドメを刺してしまったかな?

 ゲルミナスはもう土下座状態だ。

「すみませんでした! まさか、『アナモルテ』が実は抜け殻で、新たに『モルテ』が創り出されていたなんて……っ、そんな事実、すぐ気づく訳ないでしょう!?」

『き、づ、け!』

 うぐ、と彼は言葉を失った。あんまり意地悪言うとしっぺ返しが来そうだ。この辺でやめておこう。


 くる、とモルテは前を向いて後ろ手を組んで歩き出す。ゲルミナスはまだ立ち直れていない。無視無視。そのうち立ち上がるさ。

「……っ、モルテ!」

 ゲルミナスの声。モルテは振り返る。

「確かに、私は貴女を『アナモルテ』と混同していたこともありました。それを今更赦してくれとは言いません。……ですが、ですが! これだけは言わせてくれ! 私を、『ゲルミナス』として『再定義(生き返らせた)』のは、他でもないモルテなんです!」


 ざ……ぁっ、と風が吹いた。雨上がりの土、潤う草の香りとともに、真っ直ぐ、ゲルミナスの「声」がモルテの「心」に入り込む。

 かつて、ゲルミナスは女神アナモルテの一部であった。それを「ゲルミナス」として再定義し、「個」を与えたのはモルテ。


 モルテは何も答えない。いや、彼の言葉に見合う言葉が見つからなかったのだ。

 ただ、彼女の心を占めたのは――。

(……「死神」が、「生き返らせる」とか、あり得ない、でしょう)

 


(モルテが、私に「()」をくれた)

 その弊害に、彼女の「声」は聞こえなくなった。けれどそれは、同じ「アナモルテ」から生み出された存在の、それぞれの「独立」を示す。

 手鏡を見せられた時に突きつけられた、かつての傲慢な自分。記憶としては残るけれど、忌まわしい過去を燃やすように鏡を消した。

(認めたくなかった)

 死神の「再定義(蘇生法)」。

(認めるしかなくなった)

 抗い続けた「自由落下(フリーフォール)」。

(もう、無理です。完敗です)

 自分は、「ゲルミナス」。生を司る神であると同時に、「モルテ」を「観測」し続ける者。


 その時、モルテが「虹!」と指差した、もう今は何もない空の、ゲルミナスから見て四二度。そこが眩く輝き出した。

 それは、ばらばらになっていた虹の光。水球で分かれたはずの光が一つ、また一つと収束していき、真っ白な光となる。その光はそのまま線から切り離され結晶化し、真っ直ぐゲルミナスの体内へと入り込んだ。

「なっ……!? これは、最後の欠片……!?」

(……眩しい! 熱くて、近づけない……!?)

 ふっ、と一瞬光が消えた。けれど、欠片がゲルミナスの中に正しく組み込まれた瞬間、彼自体が光り出す。それは周囲を真っ白にするほどの強い光で――。

「くっ……! これは、太陽光度並みですね……!」

 ゲルミナスは呟いて自身の目を覆った。しばらく光の洪水は続き、ようやく収まった頃、ゆっくりと目を開ける。

 変わらぬ、手のひら。見た目の変化は何もない。

 ただ、この間まで霞がかっていた「命の抗い方」が手に取るように分かる。

(ああ、こんな風に、命は「生きる」のか――)



(ゲルミナス、欠片全部回収したね!)

 たた、とモルテはゲルミナスに走って近づいた。けれど、一定の距離を開けて立ち止まってしまう。

(……この先、何だか「熱く」て、先に進めない)

 目の前には不思議そうに手のひらを見つめるゲルミナス。何も変わっていないように見えて、ずいぶんと違う。

(やっと、十割神様だよ)

 これでようやく世界が回るだろう。まずはそれよりも。

 モルテはぴょんぴょん飛び跳ねて、万歳を繰り返した。

(ゲルミナス、やったね! おめでとう!)

 そうだ、言葉。

『お、め、で、と、お!』

 彼はモルテに気がつくと、少し困ったように笑った。

「すみませんモルテ。私が出した光ではなかったと思うんですが、眩しかったですよね……? いや、違うな……。貴女のほうが眩しいのかな」

(!?)

 ピシィ、とモルテは万歳のまま固まった。何だろう、今の言葉。

(聞き間違いかな……!?)

「他者である私を、そこまで純粋に喜んでくれる……。そんなモルテを、物理的にではなく、『眩しい』と思いました。ありがとうございます、モルテ。……ああ、今、とても『甘い』ですよ」

 そう笑って片目を瞑った。


 ――きゅっ。

 モルテの、心の何処か。

 何に反応したのか分からないけれど、確かに、「何か」が産声を上げた。

 動揺を表す心音も、色を表す血も、宇宙の「終着点」にいるモルテは何一つ持っていない。

 その終着点への道を、全力で抗い続ける目の前の銀の彼との、物理的な距離は開いたはずなのに。

(なんで。なんか)

 こんな近い。


 それは、とても「甘く」て、「酸っぱく」て、同時に「うま味」があった。


これ書いてて一番ためになったと思いました。虹はその人専用の視界の先にある。。だから「あそこに虹があるよ」と言っても見つからない時があるんですね、納得。

ここで、第二部終わります。

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