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アボガドロの自爆、一モルの祈り

今回は物質量のお話です。

 ついにゲルミナスの回収した欠片は五つとなった。七割超、神体だ。

 それを意味するかのように、彼の足跡の地面には、小さな、本当に小さな芽が芽吹くようになった。まだ完全体とはほど遠いけれども。

 モルテは足跡の形に芽吹いた植物を指先で軽くつついた。もちろん、力は抑えて抑えて抑えまくっている。

 けれど、ちょん、と軽く触れただけなのに、その新芽はあっという間に茶色く萎び、さらさらと土へ還ってしまった。

(あー……。まだ抵抗力ついてないかー)

 ゲルミナスの力はまだ不完全。生まれたとしても「生き抜く力」が足りないから、すぐ死ぬ。

(もうちょっとだねえ)

 きちんと十割神体にならないと。


 この世界は終焉に向かってしまうから。




 モルテはドレスの焦げた袖を見つめていた。

(直さないとかあ。めんどくさー)

 ちょっと特殊な力を注ぎ込む必要があって、時間もかかる。水は弾くくせに何で焦げた、ドレスよ。

(でも黒のドレスに焦げ。分かんないよね? というか、こんなの見るのゲルミナスしかいないし、別に良くない?)

 すると、彼女の隣にぬっと立つ気配が。

「何してるんですか、モルテ」

 すっかり油断していたモルテは、ぴゃっと飛び上がった。

(うわああ! びっくりしたぁ)

 ゲルミナスだ。驚いたモルテを、じとっと見ている。あ、これはちょっと傷ついてる?

「……袖の焦げですか。直したほうが良いですね。下手すると、そこからほつれていきますよ」

(えー)

 あからさまに面倒くさそうな顔をするモルテに、ゲルミナスは意外そうに瞬いた。

「直さないんですか? 神力込めるだけなのに?」

 そう。ちょっと特殊な力、神力を織り込んだ衣服。ゲルミナスは力を取り戻すたびに込めているらしく、元のピカピカの新品(神の力付き)になっている。衣服も定期的なメンテナンスが必要なのだ。

(私はさあ、「死の力」ごと神力だから……)

 命を刈れば同時に服のメンテナンスも終わるんだけど。

(神力だけ取り出すのめんどくってー)

 目を泳がせまくっているモルテを見て、ゲルミナスは何かを察したのか、あえて何も言わない。その代わり、一つ提案をした。

「では、私の神力の『練習』に、貴女の服の修繕してもよいですか?」

(うわ、ほんと!? やってやって!)

 頷いて、ぐい、と焦げた袖を手ごと差し出した。

「……力を抑える、とんでもなく不可能に近いことをやってのけるくせに、これは苦手なんですね」

 ぼそ、とゲルミナスは何かを呟く。

(え? なんて言った? 聞こえなかったんだけど)

 聞き返すように耳に手を当てる。しかし彼は首を振るだけ。

「何でもありませんよ。焦げのところが上向きになるように、そう、そのまま。あ、指は握り込んでください。触れたら痛いですよ」

 言いながら彼は瞬く間にモルテの袖を直してしまった。ゲルミナスの力だけど、これは神力だけだから何も影響がない。彼女の袖には、焦げの代わりに、銀色の繊細なレースが加えられていた。

(わー! すごいすごい! こっちも!)

 焦げのないもう片方の腕をゲルミナスの目の前に突き出す。モルテの黒い瞳はキラキラと輝いていた。

「えっ、こっちも? ああ、まあ、はい」

 同じく、彼はモルテの袖を飾り付けた。

(やったー! きれーい)

 ぴょんぴょん飛び上がるモルテに、ゲルミナスは苦笑する。

「そこまで喜ばなくても……」

 くる、と振り返ってモルテは口を開く。音は出ない。けれど、「伝え」たかった。

『あ、り、が、と、お!』

「!」

 ゲルミナスはかちーんと固まってしまった。お構いなしにモルテはスキップしながら歩く。

(きれーい、きれーい! ゲルミナスの色だあ! ……ん? 「ゲルミナスの色だ」……?)

 ちょっと、「甘く」て、「酸っぱ」かった。

 


 固まっていたゲルミナスがようやく再起動する。

「……っ、そ、そこまで喜ぶようなものではありません。単なる炭素繊維と神力の再構成に過ぎませんから!」

(ああ、そう言えば何で焦げたんだろ)

 モルテは銀のレースをなぞりながら首を傾げた。あっ、すごい。このレース、とってもなめらか。

「……服のメンテナンス不足ですね。怠ればただの布になる。……『焦げ』というのはそれを構成する物質の、酸素や水素が追い出された、炭素だけが取り出された状態。即席の炭と同じです」

(へー。ちょっと早口じゃない?)

 炭、か。んん? でも待てよ。「炭」って燃えたものじゃないの? あ。器の底についた「煤」は?

(どうやって伝えよう)

 モルテが首を傾げたまま、何か言いたそうにしているのを見て、ゲルミナスの「物理センサー」が反応した。片眼鏡をクイッと上げる。

「……モルテ。『炭』について何か言いたそうですね?」

(お)

 頷く。彼女は石の器を取り出し、底についた煤を指さした。首を傾げる。

「煤……。炭との、違い?」

 そうそう。頷くと、合点がいったようだ。

「『炭』も『煤』も、本質的には同じ『炭素』原子です。ただ、煤は燃焼の途中で酸素が足りず、『不完全燃焼』を起こしたときに発生する粉状の炭素。木などから出来た炭は、木を『蒸し焼き』にして炭素だけを残した状態のものを言います」

(ええー……? 燃えてないの?)

「ただの木を普通に燃やすと、木に含まれる『炭素』が空気中の『酸素』と結合し、『二酸化炭素』のガスになって逃げていきます。この時、酸素を遮断して高温で熱されると、木の水分や燃えるガスが出ていき、炭素だけが残る。それが『炭』です」

(ふうーん、だから炭はまた燃えるのか)

「……納得しましたか? そうそう、『炭素』といえば、物理学的にも非常に重要な基準でもあるのです。原子一つは小さすぎて我々の目には見えないし測れない。けれど、『測定』できるよう、一つの塊としたものが『モル』なのです。この『モル(mol)』こそが、宇宙のあらゆる物質を数えるための、絶対的な単位です」


 しーん。

 二人の間に不思議な沈黙が降りた。モルテはゲルミナスを見つめる。

(「モル」? 私の名前じゃないの?)

 宇宙不変の定数を言い切ったゲルミナスは、自分の発言に含まれる「失言」に衝撃を受けていた。

「たっ、単位の話! 単位です! こっ、これは、『アボガドロ定数』と呼ばれる、原子の数です!」

 必死に言い募る彼の顔は赤くなっている。

 今、彼の脳内では、「正しい単位を言っただけなのに、それがまるで目の前の少女が宇宙不変の存在」だと言い切ってしまったと錯覚する程の大混乱に陥っていた。

 味覚の時と言い、彼は既に坂を転げてるのではない。「自由落下」し続けていた。


(ああ、「単位」なのね。びっくりした。「モルテ()」が呼ばれたのかと思った)

 それで? と話を促すように小首を傾げると、彼は「……ッ」と呻いてしゃがみ込んでしまった。

 最近よくこのポーズするなあ。具合でも悪いのか?

「……炭素は、その……っ。ああもう! 私はあの『単位』はもう二度と口にしませんよ! アボガドロ定数分集めると十二グラムとなります。その数、約六・〇二二✕一〇の二十三乗個。途方もない個数ですね」

 立ち直ったのか振り切ったのか、まだ少し顔を赤くしてゲルミナスは立ち上がった。

「一番始めは、『個体である炭素を十二グラム集めた時、元素はいくつあるのか』、から始まりましたが、現在は主役が逆で、『一も……アボガドロ定数分集めた時、十二グラムである』というように再定義されました。これによって、質量が正確に測られるようになったのです」

(へー。……っていうか、そんな長い言葉よく噛まずに言えるなあ)

 モルテは感心した。きっとその言葉は彼のお気に入りなのだろう。


 ふうー……と長く息を吐いて、ゲルミナスは遠い目をした。そのまま筒を取り出し、渇いた喉を潤そうと口元に当て――。


 ゴッパァアァァッッ!


 筒の中から、ありえない量の水が飛び出し、同時に筒がその水量に耐えられず爆発する。

 彼らの足元は水浸しという言葉では済まされない、小さな池が出来上がった。


(ええー!?)

 モルテもそばにいたため、その水に「被爆」し、彼女は半身ずぶ濡れになる。だが、爆心地となったゲルミナスは頭からその「滝」を被ることとなり、彼は不憫にも片眼鏡を流してしまっていた。

「…………何が……」

 茫然自失。ポタポタと頭から水滴を垂らしながら、ゲルミナスは呟いた。そして手元の筒の欠片を見る。

「……この筒の容積はおおよそ〇・五リットル……。なのにあの水量。物質量が異変を起こしている……? モルテ! 欠片があります!」

 完璧な「物理馬鹿モード」へと変わったゲルミナスにモルテは目を瞬き、ドレスはそのうちに瞬時に乾く。

(おお?)

 いや、さっきまでの空気も「流れた」のは良いけど。

(ずぶ濡れで風邪引かないよね!?)


「いいですか、この筒に入る水量はおよそ〇・五リットル。しかし、先ほどのありえない水量。欠片は、水の物質量をフェーズに関わらず引き起こしたとすると……。水分子は十八グラムで一モル。この水分子が気体でその重さになるには、ニニ・四リットル分必要です。この筒には液体の水が約ニ七・七モル。それが気体分の体積で液体へと変わったとすると……約六〇〇リットルもの液体が降り注いだことになります」

 さらりと説明しているけれど。

(いやいや、首の骨折れなくて良かったよ!?)

 たまに口から「ゴホッ」と水を吐き出している。鼻にでも入ったのだろうか。そのうち「ゲホゲホ」と咳き込み始めた。

(あら、意外とダメだった。でも、「相」って?)

「ゲェッホ、ゲッホ……。失礼。ずびび。んんんっ。……なんです? 『相』のことですか?」

 うんうん。

「簡単に言うと、『相』とは、物質の状態のことです。固相・液相・気相。『三相』に分けてどんな姿をしているか分類したものです。この三相で体積が変わります。水であれば、液体の時を一、水蒸気は水の分子同士が離れてバラバラに飛び回っているのでどこまでも。氷になると〇・九。つまり、一・一倍になる。ここが水の面白いところで、普通、液体から固体へ姿を変えると物質は縮むんですが、水は氷になると分子同士の結合がスカスカになるので、体積が増えるのです」


(……なんか、聞いといてごめん。流すね)

 でも。なんて楽しそうに語るのだろうか。モルテはその横顔を見つめた。

「……話が逸れました。つまり、一モルあたりの水の総量は変わらないはずなのに、気体分の液体量の異変。どこかに欠片はありますか? ……すみません、ちょっと私片目が見えなくてですね……、眼鏡のほうが先か……?」

 ぶつぶつとゲルミナスは流れた片眼鏡を探すようにキョロキョロと足元を見る。大量の水で掘れた土はぐじゃぐじゃに水と混ざって泥沼となり、ゲルミナスの力に反応した命がそこから芽吹く。混沌カオスが形成されていた。

(……私探したほうがいいのかな……?)

 一度無に返したほうが綺麗になるのでは。モルテは思った。


 きらり。

(んんん?)

 眼鏡とは違う、「熱」を持った輝きがモルテの視界の端にチラリと映った。近づいてみると、筒の破片が地面に突き刺さっている。いや、突き刺さっている地面の、そのすぐ近く。眩しい熱量を持つ、この宇宙の向かう流れに逆らうもの。

(欠片だ! ゲルミナスー!)

 彼女は湿地帯となった泥沼の上で未だ眼鏡を探すゲルミナスに向かって走っていった。



 一方、ゲルミナスは。

「……ない……」

 絶望的な声で泥の中にいた。多分どこかにはある。けれど、この湿地帯ジャングルは、あれよあれよと言う間にゲルミナスの力を浴びて緑が生い茂るまでに成長を遂げていた。この辺に咲かない花まで咲き誇っている。どこだここ。

 恐らく彼の眼鏡は、水で流された時に地面に落ち、泥のぬかるみに沈み、芽吹いた植物の根に巻き込まれ、土の中で眠っている。

「モルテに頼むしか……」

 はあ、とため息をついた時、はたと我に返る。――そういえば、『モル』と連呼していなかったか? 

(いや、あれは単位であって、決して『愛称』などというわけでは……)

 誰に言い訳するわけでもなく彼は言葉を並べ、自分で自分に言い訳をしたその「言葉(愛称)」で自爆した。

(……もう駄目だ。どうしたら)

 自由落下フリーフォールは止まらない。


(おーい、ゲルミナスー)

 モルテはどんよりとしている泥まみれのゲルミナスに近づいた。かなり落ち込んでいる。よしよし、後で手伝ってあげよう。

(っていうか、なんか、すごい事になってる……)

 青々とした植物はゲルミナスの背丈を優に追い越し、緑と反対色の鮮やかな赤の花がその息吹を鼓舞するように咲き乱れている。毒々しい色のようで、調和が取れた美しい「命」。その中に佇む、銀の生神。

 いつの間にかモルテは立ち止まってしまった。

 ゆっくりとその生命を与える神が振り返る。目があった瞬間、彼女の中でまた、「バチン」と電気が流れる音がした。

 それは、どうしようもなく惹かれる、「死()待っている」彼女の天敵とも言える、「抗う者」の音だった。


「……あっ、えっ、もる……モルテ!?」

 ビックーッ! とゲルミナスは泥の中で固まった。ハッとモルテも我に返る。

(あ……。そうだ、欠片、欠片! ここはいいから行って行って)

 欠片があった方向を指さす。そして泥とモルテを交互に指さした。

「……欠片、あったんですか? 『ここはモルテ』……はあ……。すみません。貴女の力を借りないと、ちょっと駄目なようです。まず、回収してきます。待っててください」

 よろよろと彼は泥から這い出てきた。あちこち植物に足を引っ掛けている。片目が悪い彼は、奥行きがよく判断できないのだ。

 ちょっと曲がりながら彼は欠片に向かって歩いていった。泥で滑って転ばなきゃいいけど。

 モルテは目の前、「生」に満ち溢れる泥を見る。

(わあ、すごーい。あ、花綺麗……)

 後で枯らすことになるから、今のうちだけ堪能しよう。モルテは近づいて泥のない場所に座り、花の匂いを嗅ぐ。うーん、青臭い。

 向こうでゲルミナスが欠片を回収したのが見えた。よかったよかった。


(じゃ、可愛そうだけど、「おやすみ」するね)

 モルテは立ち上がって、花を一つ撫でた。力は抑えない。一瞬で刈る。

 ぶわり、と時間の矢は一直線にその空間のエントロピーを増大させた。抗いを見せていた命たちは急に大人しくなって頭を垂れ、静かに自らの命を死神へ献上した。残るは、乾いた土塊と泥だらけになった片眼鏡だけ。

 その様子を、離れたところから焦点の合わない目で生神は見ていた。――とても残酷で、潔くて、美しい。

(せめてもう少しだけ、抗わせてくれますか――?)



アボガドロ定数を英数字にするか漢数字にするか迷ったところです。


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