「感情」の味覚、敗北のフルコース
今回は休憩回。味についてです。
甘いです。
ここ最近、胸の辺りが「ザワザワ」することが増えた。
それは決まって、とある少女が絡んだ時。
「普通」であれば、その物理法則に従って深刻なダメージを負い、ともすれば命を失う程の異変。それを彼女はけろりとした顔で法則を踏み倒していく。
というか、物理法則が仕事を放棄している時がある。
(なんで風や重力は干渉するのに、温度や電気は干渉を受けないんだ……!?)
解せぬ。
それはゲルミナスにとって未知の世界であり、同時に知的好奇心を刺激する「観測対象」でもあった。
しかし。
彼女が予測不能な行動をして、その理が発生するたび、居ても立っても居られない衝動に駆られる。
頭では彼女にはその法則が当てはまらないと分かっている、はずなのに。どうしようもなく、心の奥がザワザワとした、言語化するには一つでは言い表せない、「何か」。
「焦り」? 「恐怖」? 「不安」? もっと様々な感情が混ざり合って、くっきりと区別できない混沌とした、ドロリとした得体のしれないよく分からないもの。
それに突き動かされ、ひ弱な体が彼女を抱き抱えるという暴挙に出た。火事場の馬鹿力とはこの事かと、後になって感動すら覚えたものだ。
色々。本当に色々考えた結果。
考えることをやめた。というか、答えがないことが分かった。むしろ、その「答え」はもう出ているようなものだが、認めたら最後、坂道を転がり落ちる玉のように、加速度がついて最終的には「落下」する。
私はこの「エントロピー増大」に抗い切れるのか、と考える今日この頃。
つまり。「完敗」したのだ。
「……で? なぜ貴女は熱湯を飲もうとしたんですか?」
モルテは正座でゲルミナスに詰められていた。彼は立って彼女を見下ろしているから、圧がすごい。石の器についていた煤、焦げた袖。ゲルミナスに誘導尋問され、モルテは「ゲロった」。
ほうほう、器に? 水を入れて、火に置いて……? 熱くなりますね、うん。は? それを口に!? ちょっと座りなさい。
これである。
(……ええー……)
だって。モルテはゲルミナスとモルテをそれぞれ指差し、両手を同じ高さに上げた。彼は視線を少し和らげたものの、首を傾げてモルテをじっと見ている。
(ちょっと通じないか)
今度は。ゲルミナスを指さす。そして何かを食べる。頬に手を当てて「美味しい」。次にモルテを指差し、「美味しい」はバツ。またゲルミナスを指差し、モルテを指差し、手を同じ高さにした。
「ええと……、『私』が、『食べる』……『美味しい』? 『モルテ』……『美味しくない』……、ああ、味? 私は味を感じる、モルテは感じない。そういうことですか?」
近い! 「同じになりたい」が読み取れてない!
「……で、ええと……。『同じ』……『高さ』? あっ……」
彼は目元を抑えて俯いた。モルテはちょっと待つ。次にゲルミナスが顔を上げた時、彼の耳はほんのり赤くなっていた。
「……つまり、私が感じる味を、モルテも知りたかった、ということです?」
そうそう。解読能力上がってる!
「それが、なぜ熱湯に?」
(温度で味が変わるかと思って……。温度? 温度ってどうやって伝えるの?)
しばらくモルテは考えた。ええと、熱いのと、普通?
手のひらを上に向け、開いたり閉じたりで「沸騰」を示す。そしてそれを飲む動作。次にゲルミナスの持つ水の入った筒を指し、それを飲む動作。首を傾げた。
「んん……? 水……、を飲む……? 最初のは……『沸騰』? 沸騰を『飲む』……と、『水を飲む』。これと……さっきの味?」
(そうそうそう!)
ゲルミナスは頷くモルテを見つめる。そして文面を繋げようと視線は宙へと移った。
「沸騰……水……味……。温度で、味が変わるかと、思った?」
(そーなんだよ! すごい! ゲルミナス!)
モルテは何度も頷いて拍手する。
ゲルミナスは少しくすぐったそうに頬を掻いた。咳払いを一つ。
「んんっ。……確かに、味覚は温度によって変わります。五つ、『味覚』と呼ばれるものがあります。『甘味』、『塩味』、『苦味』、『酸味』、『うま味』。このうち、『甘味』と『うま味』は生き物の体温付近で一番強く出ると言われています。反対に、『塩味』と『苦味』は温度が低いと強く感じ、高いと和らぎやすくなります。……ですが……! それを確かめようと熱湯を口に入れるなど、物理学以前の問題です!」
また説教モードに入ったゲルミナスに、モルテは神妙な態度で聞く(フリをする)。
(私、あまみとか、どういうのか分かんないんだよなあ)
「聞いてますか、モルテ!」
急に大きくなった声に、モルテは姿勢を正す。
(はい! 聞いてましたもうやりません!)
「……もうやりませんね?」
うんうん。
しばらく二人は見つめ合う。それは「味」のあるものではなく、ただ確認の応酬であった。
ふう、とゲルミナスは視線を逸らした。
「……とは言っても、貴女はそもそも『味』を知らない訳ですから、『甘味』が変わると言う話をしても通じないんでしたね……」
彼はちょっと遠い目をする。モルテは期待を込めた目で立ち上がった。一時間ほど正座で説教だったが、そもそもモルテは痺れない。
「香りと味が結びつくときもありますが……。そうですねぇ……」
うーん、とゲルミナスは考えている。その時、モルテは彼を見て新たな発見をした。
(なんか、考えてる時のゲルミナスって、ちょっとカッコいいかも?)
あ、と何か閃いた顔でゲルミナスは視線をモルテに戻す。――と。「ばちっ」と音も刺激もないのに、「電気」が通った気がした。
(わっ!?)
ぼうっとゲルミナスを見ていたモルテは、肩をびくりと震わせる。一方、ゲルミナスは不思議そうに首を傾げた。
「モルテ? どうしました?」
(……なんでもない)
びっくりした。今の、何だったんだろう?
「ああ、モルテ、ちょっと物理的な事から離れますが、イメージとしてこんなのはどうでしょう? 『感情』です」
ちょっと悪戯っぽく、ゲルミナスは笑った。
(あ、れ……?)
血なんて通ってないのに。体温なんて温かくもないのに。
なぜか、「熱い」。そんな気がした。
「一概に、その感情が味になるわけではありません。あくまで、私のイメージです。……それを前提でお願いしますね」
(う、うん)
ゲルミナスは一つ一つ、指で数えるように「感情」を挙げていった。
「甘味は『幸福』。安らぎや、満たされるようなところから。塩味は『充足』。生き物には不可欠、というところから。スパイスのように、彩りを与える役割ですね。酸味は『期待や不安』。酸っぱいと、きゅってなるんです。それと同じく、気持ちが締め付けられるような感じです。苦味は、『葛藤』。子どもは苦手とする味です。経験を積んで、感じるようになることから。うま味は『満足』。全体を調和するところから。そうそう、『辛味』。これは味覚ではなく舌の痛みではありますが、これは『怒り』。どちらもピリピリしています。どうです、イメージつきそうです?」
(甘味は、幸福――)
モルテの体の中を、「味」がすうっと通っていった気がした。
(……ん?)
じゃあ、「温度」の異変で、ゲルミナスが怒ったのは「辛味」。
声が震えたのは「酸味」。
あの滅茶苦茶な欠片の回収の、苦しい声は「苦味」。
最後の、あの眩しい笑みは「塩味」。
(なんか、なんか――)
全部、今までの全部、モルテに関することの彼の気持ちが「味」として表現されている事に気がついてしまった。
(こ、これ、言っちゃって良いのかなぁ!?)
けれど、モルテはこれを言語化する術を持たない。
(でも、でも、でも――!)
ガっとモルテはゲルミナスの手を掴んだ。
「モルッ!?」
何を、と彼が驚きの声を上げる前に、「バリィ!!」と彼らの間に火花が散った。モルテは力を抑え、ゲルミナスに痛みが無いようにした。
(うぐぐ……。でも、これだけは「言いたい」――!)
「モルテ!? 痛いでしょう!?」
ゲルミナスの焦ったような声。
(……これ、「酸っぱい」んだね?)
「!?」
あの時の「共鳴」で、モルテの「声」が彼に届くことが分かった。痛いけど。痛いけど!
(ゲルミナス、あのね。――私「も」、ゲルミナスといると、「幸せな」んだよ。……ゲルミナスの周りは、たくさんの「味」が溢れてるんだね)
くっついていた手を離す。ふう、痛かった。
ゲルミナスは呆然と、モルテを見下ろしていた。
(ゲルミナス? おーい?)
魂がどっか行ってるみたいだ。目の前で手を振ってみる。反応なし。
(……もしかして、「酸っぱい」?)
胸の前で両手を「きゅっ」としてみる。はっとゲルミナスの目がちょっと大きくなった。お、戻ってきた。
「……。……? ……!? !?」
見る間に彼の顔は朱に染まって、へなへなと座り込み、膝の中に顔を埋めてしまった。
ゲルミナスは絶賛大混乱中だ。
つまり、彼は。
モルテへの今まで悶々とした気持ちを、それぞれ分解しラッピングして、モルテへ丁寧に自分の素っ裸な心を曝け出したのだ。
それをモルテから指摘されて気づかされた彼の心境やいかに。
「……っ、そうですよ! 貴女といると、このっ、『全部の味』を感じてしまう……! 味覚のフルコースです! 勘弁してください!!」
顔を埋めたまま、彼は引き攣れたように叫ぶ。
それが何だか滑稽で、なのになんだか「うま味」を感じて、そして「甘い」。
モルテは、とても「甘く」、笑ったのだった。
とろけたチョコはとても甘いですよね。冷たくしたピーマンは苦みを感じにくい。
感情を言語化するのは難しい。




