空への墜落、ゼロ質量の中の重み
今回は質量のお話です。若干説明臭い。
「……モルテ、ありがとうございます。おかげで私は生き長らえました」
(大げさだなあ。貴方はとりあえず三割は神でしょ)
七つ飛び散った欠片のうち、二つ回収したゲルミナスはまた一歩、「神」へと近づいたことになる。
(ま、鼻水垂らしてたけど)
ニヤニヤと思い出して笑うモルテを、彼はじとりと見る。
「また、何か変なこと思ってません?」
(いいえー)
首を振る。そう言えば。
モルテは足元の小石を拾い、上からぽとりと落とす。そして首を傾げた。
(この間の。「高いところから低いところに移動する」ことと「重力」。端折ったよね?)
彼はジェスチャーを見、しばらく考えるような素振りを見せ、嬉しそうに瞬いた。
「そんなことが気になるなんて、貴女も十分……」
(待って、その先は言わない約束で!)
ただ気になっただけだ。自分で気が付いた疑問を、説明されないままっていうのは気持ち悪いだけだから! それを、ゲルミナスから物理✕✕なんて言葉言われたら、モルテが憤死する。
ゲルミナスは片眼鏡をキラリと光らせ、不敵な笑みを浮かべる。
「……いいですか、モルテ? この世に起こる『高いところから低いところへ移動する』理は、エネルギーの移動です。高いところにあるエネルギーは『不安定』です。低いところの方が安定するので、水が低いところへ向かって流れる、また風は気圧の低い方へ吹くのです。エネルギーというのは、何かを動かしたり変化させたりする力のことを言います。自然界というのは『怠け者」で、エネルギーを低く、『安定した』状態に持っていきたいのですよ」
ほぉ。じゃあ、生き物はよく働くなと、モルテは思った。ゲルミナスはちょっと笑う。
「生命活動は、終息へ向かう――エントロピーが高くなること――を防ぐための維持活動ですからね。ある意味『働き者』なのかもしれませんね。命が安定を求めてしまうと言うことは、死ですから』
へーえ。モルテは目を細めてゲルミナスを見上げた。
(物理が生死を語るなんて、面白いねぇ)
「……命なんて、宇宙から見ればエントロピーの増大を一時的に堰き止めているだけの『渦』に過ぎません。その『渦』が止まることを世間では『死』と呼びますが、物理学的には『宇宙の安定』に向かっているだけなのです。面白いでしょう?」
(うん。面白い。……待って、話逸れてない? 「重力」は?)
ゲルミナスはぱちりと瞬いた。「あ」とばかりにハッとする。
「おっと失敬。つい、万物の真理に熱を入れすぎました」
んん、と彼は咳払いをした。そして、モルテが落とした小石をまた拾い上げ、上に上げて手を開いた。石は地面へと落ちる。
「高いところから落ちることと、重力というこの二つは、実は密接に関係しています。結論からいえば、落下とは、『重力によってエネルギーが変換されながら移動している』事を言うのです」
(うん……?)
「先ほど、高いところにあると不安定と言いましたね。石を高い位置に持っていくと、『不安定なエネルギー』を石は持ちます。手を離すと、石は安定を求めて、落下という移動するエネルギーに変えます。この、高いところに位置している、から、落下。石の動きを変える役割をしているのが重力です」
(へえ)
分かったような、分からないような。まあ、ゲルミナスが楽しそうだから聞いてあげよう。モルテは小さな小さな息をついた。
「ではモルテ。ここで質問です。この『不安定なエネルギー』をたくさん詰め込むには、何が重要だと思いますか?」
(ええ?)
モルテは首を傾げた。何だろう。エネルギーをたくさん持つ……。落下するエネルギーが多い? 落下するのが早いってこと?
『お、も、さ?』
これは多分この物理馬鹿でも思っているだけでは伝わらないだろう。そう思ってモルテは口を大きく開閉した。その言葉を読み取ったゲルミナスは――。
「残念、惜しいです!」
あまりにも嬉しそうに言うものだから、ちょっとイラッとした。軽く彼の脛を蹴飛ばす。
「痛っ! 惜しいって言いましたから、いい線行ってますから! ……正解は、『質量』です」
(重さと質量って、同じじゃないの?)
不思議そうな顔をしたモルテの疑問が伝わったのか、彼は首を振った。
「感覚的には同じに聞こえますが、似て非なるものです。『質量』とは、宇宙どこに行っても変わらない『そのものの量』のこと。『重さ』とは、重力に左右される力のことを言います。ほら、『大地の竜』で、モルテ、体が重くなりましたよね? 貴女の体を構成する物質量は変わらないはずなのに、重力によって引かれる力が変わったため、体が重くなったのです」
(へえ、そうだったのか)
ゲルミナスの嬉しそうな解説を聞きながら歩く。――と。
突然、彼らの体にかかっていた「重力」が消えた。と思ったら、空に吸い込まれるように「落下」する。
(わわわっ!?)
「うわあっ!?」
空に放り出されたと思ったら、今度は重力を取り戻して地面に引っ張られた。
(ええー!?)
「どわあああ!」
重さが消えたり戻ったり。
「……っ、モルテ!」
切羽詰まったゲルミナスの声。モルテは彼に引っ張られ、腰をぎゅうと抱き寄せられた。
二人はそのまま地面へ叩きつけられる。
「ぐっ……」
低いうめき声。モルテはぱっと起き上がった。
(何自分をクッションにしてんのー!?)
モルテは叩きつけられようが何しようが痛みを感じないし怪我もない。死ぬことはないのだ。何故なら、彼女は死神だから。
けれどゲルミナスはまだ生身の人間が強い。高い場所から落ちればその分痛いし怪我だってする。下手したら死んでしまう。
「痛ぅ……。モルテ、大丈……夫でしたね、貴女は……」
(だから、つい、とかやめてよねえ!?)
こんなことをするのは欠片がどこかにあるからだ。また重力が無くなるなんてことが起きたら、冗談抜きでゲルミナスが死んでしまう。
「今のは欠片のせいで、この地面の質量が消えたのでしょう。質量とは、空間をへこませる力。『大地の竜』で、ハンカチをへこませた石の話、覚えてますか?」
(えっと……確か、ピンと張ったハンカチの上に石を乗せると布地がへこむ……。それが重力)
頷く。
「その、ハンカチのへこみを戻すよう、またピンと力を入れて張ったら、石はどうなりますか?」
(……上に、飛ぶ?)
モルテは上を指さした。
「……それが、今私たちに起きた現象です。質量が無くなって、重力が消えても、この星の自転という慣性はそのままです。遠心力によって、私たちは空に落ちた訳です」
(なにそれ怖い)
ゲルミナスは辺りを見回した。
「また質量を無くされては危険ですね。早く欠片を探しましょう」
とは言っても。
欠片は色々なものに化けたり、隠れたりしている。一概にこれという形はないから見た目だけでは分からない。ただ、あれは「生」の塊のようなものだから、モルテの目には眩しかったり熱かったりするのだけど。
(ん……?)
ふと、地面に渦巻いたような穴がモルテの目に映った。ほんの少し、光の筋が穴に吸い込まれているような感覚。ちょっと怪しい。
(ねえ、ゲルミナス、あれ)
モルテは彼の服を引っ張って穴を指差す。手なら差し込めそうな、ウサギが掘ったような、不自然な穴。
「何か怪しいですね」
ゲルミナスは穴に近づいた、その時。
フシュウウウ、と穴から光が噴き出し、足元の「質量」が消えた。
ぐん、と空に落ちる感覚。
「また……っ!」
(わー!)
「モルテ! しっかり掴まっててくださいよ! 我々の質量で、この空間を『下』にします!」
微々たる量だけど、やらないよりマシ。
ぎゅう、とモルテはゲルミナスに抱きしめられる。
(あぶ、危ないよおお! 私が先にゲルミナスを殺しちゃう……!)
モルテは焦った。そこでハッと思いつく。
(……そうだ、練習の成果!)
なるべく力を抑えて。抑えて、抑えて――。
(集中できない!)
空へ落下していく圧力。抱きしめられたゲルミナスの温かな熱。微かに聞こえる「生きている」心音。
なんだか落ち着かなくて、モルテは彼の服を握りしめた。何を思ったのか、ゲルミナスはモルテの肩を優しく叩く。
「モルテ、落ち着いてください。次、重力が戻ったら、貴女の翼を広げなさい。空気抵抗を味方につければ、落下速度は抑えられます。その後、私は穴に私の「力」を入れて欠片を取り出してみますから」
(……なんで、そんな、冷静なのっ)
モルテよりも、もっとずっと怖いはず。
モルテという「死」と隣り合わせで、彼女の指先の力加減一つで簡単に土へ還る。
それに、この状況。質量という「安定」を失ったこの足場で、叩きつけられたら大怪我では済まされない。
なのに、「自分の安全」よりも「モルテの安心」を優先するなんて。
(なんか、悔しい……!)
ガクン、と地面の質量が元に戻り、上下が逆転した。
「モルテ! 翼を! 空気に面する表面積を、なるべく大きく!」
ばさっ、と彼女は片翼を広げる。同時に彼はモルテの手首を掴んで、自身も体を広げた。空気の壁が彼女の翼にぶつかって、落ちる速度が和らぐ。
(うっ、「重い」!)
「耐えてください、モルテ! あと、もう少しだけ……!」
ぐんぐんと地面が近づいてきた。渦巻いた穴が、口を開けるように「質量」を吸い込んでいる。
「モルテ、翼はそのままで! 行きますよ……!」
彼は近づいてくる穴に手を伸ばし、自身の「生」の力を注ぎ込んだ。
穴が吸い込んだ質量。それは、無秩序にエネルギーを「凝縮」させた、いわば高エントロピー状態。そこに、秩序であるゲルミナスの「生」の、自然界の「安定」に抗う低エントロピーを注ぎ込む。
これは単なる「足し算」で終わらず、穴の中の情報の嵐に、一瞬、静かな風の道を作り出した。
時が止まったかのような沈黙は一瞬。
ドゴォォォ……ッ! と、眩い光と耳をつんざくような音。地面を揺るがす衝撃波が彼らを襲った。
正しい形に再構築された穴は、形になれなかった余剰分を莫大なエネルギーとして放出する。
そんなエネルギーの奔流に、モルテとゲルミナスは呑み込まれたのだった。
ゲルミナスは、目を閉じてピクリとも動かず地面に倒れていた。
規則的なリズムを刻んでいた心音は、今は静寂を保っている。
正常な質量を取り戻した沈黙の穴に白い手が挿し込まれ、焼けるような音と煙を立て、その手を黒く焼きながら欠片が取り出された。
そして、欠片はゲルミナスの心臓の位置に当てられ、ぐっと押し当てられた。すると、欠片はするりと彼の中に吸い込まれていった。
――トクン。
小さく、けれど確実に。「命」が微笑んだ。それは徐々に一定のリズムを刻み、「安定」を否定する熱となる。
(……おーい)
瞳を閉じていたゲルミナスが小さく身動ぎする。
「う…………、モルテ……?」
(お、よかった……!)
生き返った生き返った。モルテはほっと胸をなで下ろした。
「モルテ……! 見ました!? あの、超エントロピーの奔流を……! これはなかなか体験できることではありません! そもそも、秩序を書き換えるということは……」
がばりと起き上がったゲルミナスは、興奮したように語り出した。
モルテは無言で彼を蹴りつける。
「痛っ!? 何するんですか、モルテ!?」
(…………心配して損した)
ぐし、と目元を拭ってモルテは毒づいた。
重さと質量は似て非なるもの。
高いところから低いところ。またでてきましたね!




