「未来」を削り出す指先、数万年の工芸品
短め。ちょっと休憩回です。
夢を、見た。
濡れた黒髪が肌に貼り付き、その白い肌を際立たせている。
黒衣はぐっしょりと重く、細い体の線をなぞっている。それが妙に艶めかしい。
いつも飄々としている彼女のその姿は、酷く頼りなく、同時に――美しかった。
「ぶぇっっくしょん!」
大きなくしゃみとともに、鼻水が噴き出す。ずびび……と鼻をすすってゲルミナスはぶるりと体を震わせた。
(あー、こりゃ、風邪引いちゃったねぇ)
冷たい泉に全身浸かり、せっかく乾いた服がもう一度ずぶ濡れになったのだ。
彼は清潔を得た代償として、風邪を引いた。
「……私の体内で、熱力学第一法則に基づいた熱エネルギーが発生しています……。鼻水が出ているのは、これはエントロピーの排出……(ガク)」
顔を真っ赤にして鼻水を垂らし、ゲルミナスは倒れ込んだ。
(うわあああ!? ゲルミナスー!?)
モルテはぴょんと飛び上がり、倒れ込んだゲルミナスを見下ろした。死んでしまったのだろうか? いや、とりあえず生きてる。
(どうすんの、これ……?)
モルテは小さくなった火に枯れ木を放り込んだ。腹が減ったと文句を言っていた炎は喜んで木に喰らいつき、体を大きく、周囲に熱を与え始める。
今度は草むらに手をかざし、土に還る手前まで枯らす。カサカサに乾いた枯れ草をごっそりと持って、土の上に敷いてゲルミナスを転がした。
(あとは、これをもう一回あの人の上に被せて……。なかなか良い「練習」じゃない?)
力を抑えながら、草を土に還さないように気をつけながら運ぶ。手のすき間からぽろぽろと崩れている感覚もあったが、まだ腕の中の草は形を保っている。上出来、上出来。
モサリ。
こんもりとゲルミナスの上に草を被せ、布団代わりにした。
(火の粉が飛ばないようにしないと……。ここ、風上で良いんだよね?)
カラカラに水分を失った草はよく燃えるだろう。ゲルミナスを温めるはずの草の布団は、火の粉が飛んだら彼を温めるどころか黒焦げにしてしまう。
うーん。ちょっと考えて、モルテはゲルミナスと火の間に、石を積んで壁を作った。
温められた石は徐々に熱を持ち、じんわりと空間に熱を出し始めた。
ちょっと休憩。
疲労は感じないけれど、働きすぎた気もしないでもないので、モルテは木に座って草に埋もれるゲルミナスを見つめる。
(ほんと、生きるって大変)
命は、終焉へ向かってその時を進む。その最期は、それぞれの個によってバラバラだ。
(「死」は皆平等なのに、「生」は不平等だ)
死とは、この理において、万物に平等に与えられた唯一の終着点である。それに対して、ほんの些細な違いで、簡単に命は輝きを失う。生まれる前から還る命もある。
その最期を少しでも引き延ばそうと、命は抗いもがく。
それがどうしようもなくモルテにとっては眩しいのだ。
(さて)
モルテは器にちょうどよい何かを探しに立ち上がった。
体の上をカサカサとした軽い何かが乗っている。それはふわりと温かい。時折聞こえるぱちりとした木の爆ぜる音が、近くに焚き火があることを知らせていた。
じとりと汗ばむ体で、ゲルミナスは目を開けた。
(寒く、ない……。私は、生きている……?)
どうしようもなく喉が渇いた。もぞりと起き上がると、体に山と乗っていた枯れ草がばらりと散らかった。
「……?」
コトリと隣に置かれた水の入った器。
「あ、ありがとうございます」
反射的に持って飲む。少し温い水。潤いが身体に染み渡った。
ふう、と息をついたその時。はたと我に返る。手に持つのは、石を削り出して作られた器。何これ。
顔を上げると、にこにこと満面の笑みを浮かべるモルテが両頬に手を当てて木に座っていた。
「も、モルテ……? ありがとうございます……? これ、何ですか……」
彼女は器と自分とを交互に指差し、ニィ、と歯を見せて笑った。
まさか。
「……作った、んです、か……?」
こくこく。
(え……!?)
数刻前。
モルテはちょうどよい器になるものを探していた。
(……人間は水が必要だよね)
ちょっと試してみたいこともあるのだ。
(木でやってみるかぁ)
ゲルミナスが言うには、モルテの「死」は極大のエントロピーだ。それは、ただ「奪う」だけの力ではなく、「未来へ進ませる」力に近い。
と、言うことは。
(少しだけ力を放出して、コントロールすれば、そこだけ「時」が進んで削れるはず……!)
初めはうまくいかなかった。木片を幾つも灰にする。
(うーん……難しいなあ……。石ならどうだろ)
木よりもずうっと削れるのに時間のかかる石なら、モルテの力に耐えられるはず。
(このくらい?)
ザアァ……。石がバラバラになった。
(……このくらい?)
ピシッ……。石にヒビが入った。
(少し、少しずつ……。一定に、水が、石を長い時間をかけて穿つように……)
ゆっくりと磨いていく。それは水の流れで石を削っていくように、だが自然界ほど時間を掛けず滑らかに削られていく。
(深さは……もう少し、もう少し……)
つるりとした、美しい石の器が出来上がった。
(おお……、出来た)
モルテは小さく万歳した。
「……確かに、貴女の力は極大のエントロピーですが、そう解釈するとは……」
ゲルミナスは感動したように器をくるりと回しながら眺め、ため息をつくのを繰り返した。
(ねえねえ、すごい? 褒めてよー)
「これは、数万年もの膨大な時間をかけて、作り出されたものと同じことですよ……。これ、宝物にしてもいいですか?」
(いや、使ってよ!)
モルテはにこにことしながらため息をつくゲルミナスを見ていたが、「宝物」という言葉を聞いた途端、驚いて目を瞠り首を振った。ゲルミナスはショックを受けたように固まる。
「駄目なんですか……? なぜ……!?」
こんなに美しいのに、と残念そうに呟く。
(また作るからさ)
物理以外ではなぜこうも会話がすれ違う。
(もどかしい!)
エントロピーです。テストに出ますから!




