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無限分割の鳥と、目隠しの観測者

欠片を回収する話が始まりました。今回は「長さ」になります。

縦書きで数字を書いているので、漢数字が多用されていますが、ごくたまに英数字が出てきます。気にしないでください。

 きら、と向こうが光った気がした。

(……ん?)

 あれは、見覚えのある輝き。モルテはよく見ようと目を凝らす。だが、すぐに見えなくなった。

「どうしました、モルテ?」

 彼女の様子に気がついたのか、ゲルミナスが後ろから声を掛けた。モルテが振り返ると、彼はモルテが見ていた向こうを、目を細めて眺めていた。

「あちらに、何かありました?」

(うーん、よくわからないけど、「ある」気がする)

 微かに首を傾げつつ、光った方向を指差す。そして、ゲルミナスを指差した。彼はしばらく考え込むようにじっとモルテを見つめていたが、「ふむ」と頷く。

「……まあ、モルテがそう思うならそうなのかもしれませんね。行ってみますか」

(……伝わってたのか……)

 ならもっと反応してほしい。じとりとゲルミナスを見ると、彼はややげんなりとした息をついた。

「……結局、モルテの力を借りないと、私は欠片に辿り着くこともままならない訳ですね。無力だ」

 ぐしゃ、と髪を掻き上げる。

(それは違うよ)

 ほんの少し彼の袖を摘んで引き、首を振る。

 モルテだって、ただの勘。外れたらそれはそれ。正解だらけの「道」なんて、存在しないのだから。



 少し進んでいくと、鳥がぽてぽてと歩いているのが見えた。そのゆっくりとした、間抜けな足取りは、遠く離れた二人でもあっという間に追い越せそう。

 だが。

(……?)

 すたすたと歩いているはず。鳥はぽてぽてと進む。距離は縮まっているはずなのに、その距離は半分ずつしか縮まらず、一向に追いつけないし、追い越せない。

 ゲルミナスを見ると、彼は眉間に手を当てている。

「……あり得ない……。『ゼノンのパラドックス』が実体化しているなど……」

(ゼノン? ぱらどっくす?)

 その心の声が聞こえたのか、彼はモルテを見た。

「これは、通常は思考実験での話です。前に鳥が歩いている。私たちは鳥を追いかけますが、『鳥が先ほどまでいた位置』に私たちが辿り着いた時、既に鳥は私たちよりも前に進んでいる。だから、永遠に鳥に辿り着くことも追い越すこともできない、という論理です」

(……は? なんで?)

「この話は『追いつく直前までの出来事』をどこまでも無限に切り取っているだけなのです。時間を無視している、という巧妙な罠があります。頭で考えることと、現実世界での乖離をついた、ひっかけ問題ですね」

(ふうーん)

 そしてゲルミナスはさも残念そうにため息をつく。

「そして本来であればあり得ないこの『逆説パラドックス』が、この現実世界で起こっている。なんて冒涜だ。モルテ、『当たり』ですね」

(うん、まあ、そうね)

 物理解説の時だけ、意思疎通できてないか? 気のせいか? 

 モルテは首をひねった。


 徐々に鳥の映像は細分化され、それはぶれていく。滑らかだったはずの輪郭が、どんどんたくさんの小さなマス(ピクセル)に分かれるように変わっていった。

「……欠片は、あの鳥が持っているのでは?」

 確信を得たようにゲルミナスが呟いた。

(かもね)

 モルテも頷く。

 と、いうことは。

 欠片を回収するには、あの鳥を捕まえる必要がある。追いつけず、追い越せない、あのパラドックス。

(……どうやって?)


 顎に手を当てていたゲルミナスは、眼鏡を掛け直した。

「ゼノンは空間を無限に分割しました。ですが、その無限に分割されたものを全て足していっても、その答えは『有限』になります」

(……えっと?)

「丸い焼き菓子があるでしょう。それを半分にしたもの、そのまた半分にしたもの、それをさらに半分にしたもの……と分割したとします。その、分割した菓子をすべて足すと――?」

(限りなく『一』に近くなる?)

 モルテは指を一本立てる。ゲルミナスは嬉しそうに微笑んだ。

「正解です。どんなに、無限大に分割しても、その和は一定の数値となり、無限大にはなりません。つまり、我々は鳥に追いつけるということ……!」

 そしてゲルミナスは走り出した。

(そうか。いや、待って?)

 一瞬納得しかけたモルテだったが、先ほどこの現象は「思考実験」と言わなかったっけ?

(計算上はそうかもしれないけど、現実世界に発生してるから……!)

 ゲルミナスが疲れただけ。

「はぁ、はぁ……。くっ、このひ弱な体が憎い……!」

(言っとくけど、「元から」だからね)


 次。

「この空間は、『長さ』が暴走している。――とすれば、あれです、『プランク長』です!」

 モルテは目を瞬いた。

(何それ)

「この宇宙には、それ以上分割できない最小の長さが存在しています。それがプランク長。その単位は、1・6✕10の−35乗メートル! それより小さいスケールでは、時間や空間の概念が崩壊する、存在しないもの! つまり、『無限に分割する』という作業は、そこで底打ちです! 空間というものは、滑らかな連続体ではなく、粒状であるもの! その最小単位にまで踏み込めば、このパラドックスは終焉となる……!」

 モルテはゲルミナスの服を引っ張った。少し血走った彼の瞳が、はたとモルテを見下ろした。

(空間って、粒状なの?)

「……どうしました、モルテ? ……ああ、『空間』のことですか? そうなのです、もし、空間が連続するものであるとすると、ゼノンの『無限に分割する事』が可能になります。そうなれば、いくらでも小さな空間にエネルギーを詰め込めるはずです。だが実際は、ある一点より小さくしようとすると、ブラックホールができ、観測が不可能となります。つまり、空間の小ささにも限界があるということを示しており、我々の目に見えない、数多の粒が空間を作り出しているのです」

(粒が、空間を?)

「点描画を見たことがありますか? あれは小さな点で絵を作っています。それと同じことです」

(ああ、なるほど)

 いや。だからどうして。モルテはひと言も発していない。なぜ会話が成り立っている。

 ――でも?

(いつまで待てばいいのよ、その空間が最小単位になるまでは)

 きっとゲルミナスが寿命で死ぬほうが早いんじゃないか?


 次。

 モルテは、とある事に気がついた。

(あの鳥、観測して(見て)る時はどんどん解像度が上がっているのに、今、ゲルミナスの解説を聞いていたときは変わっていない……?)

 モルテはゲルミナスの服を引っ張った。何度も引っ張るものだから、ゲルミナスはたたらを踏んでこちら側に倒れ込んできた。 

「モル……っ、あぶなっ!?」

(あっ、ヤバ……)

 どべしゃあっ。

 ゲルミナスがモルテにぶつかったら火花が散るだけで済まない。寿命を迎える前にお陀仏だ。モルテは間一髪で避け、ゲルミナスは土にめり込んだ。

「……なんですか、モルテ……」

 とりあえず両手を合わせて謝っておこう。

(ごめーん)

 ジトッとした視線を感じたが、無視無視。それよりも。

 モルテは鳥を指差し、手のひらを開いたり閉じたり、「分割」を表した。そして、目を閉じて両手の「分割」を止め、バツを作る。

(……伝われ……!)

「……」

 ゲルミナスは口元に手を当て、そのジェスチャーをじっと見て考え込む。そして、閃いたように呟いた。

「……そうか、私たちがあの鳥を『観測』しているから、パラドックスが起こり、追いつけない。そういうことですね!」

 うんうん、と丸を作る。

「ならば、『観測』そのものをやめれば、ゼノンの静止画の中の世界は終わりを告げ、連続した流れとなる。それです、モルテ!」

 彼はそのままモルテの両手を掴もうとした。

(ちょっと……!)

 けれど、二人の指先が触れる直前、思い出したかのようにゲルミナスの動きが止まった。

「あ……。すみま、せん……」

(ほんとだよ……! 「ついうっかり」で死んだら、こっちが困るから!)

 手を取り合って「わーい!」と言いたいのは分かるけど、せめてそれは欠片を回収して、「死への抵抗力」をつけてからにしてほしい。

 こほん、と彼は誤魔化すように咳払いをし、視線は鳥ではなくモルテを見る。

「では、私は目隠しをして鳥を捕獲しに行ってきます」

 ほんの少し不安がよぎる。言わせてもらうが少しだ。本当に少しだけだ。

(大丈夫なの? 体力ないし運動オンチだしひ弱だし)

「……何です、その目。私のことを体力が無く運動できずひ弱な物理馬鹿だと思いましたね!?」

 いや、そこまでは言って――。

(物理馬鹿って、自分で認めてた……!)

 だいたい合ってた。この打てば響く感じはなんだ。

「貴女が行けば、鳥が死ぬでしょうっ! ……まあ、これでも、少しは『マシ』なところを見せたい、ですし」

 ごにょごにょ。

(はいはい、まあ、頑張ってきて)

 手を振る。

「……っ、じゃあっ、健闘祈っててくださいよ……!」


 ゲルミナスは布で目を覆い、視覚を遮断する。目を瞑るだけでは、ほんの一瞬「観測」してしまう恐れがある。「確実」に鳥を捕まえるために、念には念を入れた。

「では、行きますよ……!」

 ふらふらと立つゲルミナスは、走ろうと構える。

(いや、向き逆だから! 反対、反対! ああー! もう、見てらんないなぁ)

 もし、モルテが声を出せたなら。「頑張れ」って応援も、「逆、逆!」も言えたのに。

 もし、モルテが触れることができたなら。その手を引っ張って、正しい位置で、背を叩くこともできたのに。


 モルテはすくっと立ち上がり、なるべく長くて太い枝を探した。しかし、足元を見てもそんな都合のよい枝なんて落ちてはいない。

(……まあ、これでいいか。ごめんね)

 瑞々しい若木に触れる。途端、それは命を失って葉を落とし、黒い枯れ木となる。

 ぱきん。枝を折り取る。とても乾いた軽い音がした。

(ちょっと、ゲルミナスー!)

 軽やかに走っていった。



(……私は連続体、鳥の方向は分からない。多分あっち……)

 ゲルミナスは深呼吸をする。

(よし、行くぞ)

 走り出そうとした矢先。足元に何か棒のようなものが突っ込まれた。

「どわあぁぁっ!」

 踏み出した足と太めの棒が絡み合い、ゲルミナスはもつれて転んだ。

(っ、何だ……?)

 目隠しを少しだけずらすと、申し訳なさそうに立っているモルテがいた。手には枯れ枝が握られている。

「モルテ……? 何、してんですか……」

 彼女は枝を一度置いて、手をくるくると回した。

 そして彼女の背後を見ると、鳥の存在は感じられない。

(……逆、ですか……)

 不格好さに思わず失笑してしまう。彼は目隠しをつけ直し、反対を向いた。

「モルテ、感謝します。……ですが、貴女も鳥を『観測』した瞬間、またパラドックスの壁に当たってしまう。見なければいいという訳でもありません。『ここに居る』という認識全てが、『観測』に当てはまるのです。ただ、『うっすら』なら、その影響は最小限に抑えられるはずです。いいですか、『うっすら』ですよ!」

 ぺしぺし。肯定を告げるように、ゲルミナスの背に枝が軽く当てられた。それにゲルミナスは頷く。

(私の、全信頼を預けましたからね……!)


(……見ちゃいけないだけじゃなくて、私の「生」の感覚も「観測」に入るのか……)

 認識全てが観測に入る。言われてモルテはハッとした。彼女は生きているものの気配なら目を瞑っていてもわかる。だから、見るなと言われれば、その鳥の気配を辿ってゲルミナスを導こうとしたけれど。

(それもダメって言われちゃったら、すごく難しいじゃない。「うっすら」ね、「うっすら」)

 では。ゲルミナスが鳥にぶつかるように、彼の方向を導けばよい。

 ゲルミナスが走り出す。彼はあっという間に方向を変えた。

(ちょっ、右右! なんで急に左に曲がるの! 真っ直ぐ走るくらい、しなさいよ!)

 進路方向を直すようにベシベシと彼の脇腹をつつく。

 そのたびに「ぐっ」とか「痛!」とかいう声が聞こえた気がしたが、気にしたら負けだ。

(多分、あの辺に鳥が――)

 いるはず、と思った瞬間。ゲルミナスのつま先に、地面から頭を出していた石が引っかかった。

(あ)

 ずっしゃあああっ!

 ゲルミナスは鳥ではなく、土と対面することになった(二回目)。


「……今のは、物理的な不可抗力です。私の計算は完璧でした」

 泥にまみれ、彼は悔しそうに言った。

(……はいはい、「迷」計算だったわね。……っていうか、走る意味、あった?)

 モルテは気づいてしまった。

 彼が歩く速さよりも鳥が早く移動しているわけではない。歩いて捕まえられるのであれば、方向を間違えることも、転ぶリスクも低かったはず。

 モルテは、走った後バツを作り、ゆっくり歩いてマルを作った。

「…………鳥が、どこに行くか分からないじゃないですか。勢いがないと、捕まえられ……いえ……歩いても、いいデスネ、はい」

 悔しそうに項垂れた。

 三度目の正直になるか。

 ゲルミナスはもう一度目を布で覆った。今度はゆっくり歩いていく。

(……はい、もう少し左、……いいわね、その調子)

 うっすら。うっすらとした気配の中、モルテは枝でゲルミナスを誘導する。彼女の視線はゲルミナスの背中。鳥は見えない。

 恐らく、「ここにいる」だろうという方向へ。けれど、モルテもまた、彼を誘導する事に熱心になってしまっていた。

(……あっ!?)

 もしかして。今、鳥の「隣」を歩いている……?

 見てはいけない。けれど多分、恐らく。今ちょうどゲルミナスの隣に鳥がいる「気がする」。

(追いつい、ちゃった……?)

 いや。でも「追いつけない」事がゼノンのパラドックスであるなら、その論理は「打破」しているはず。

(どうしよう。どうやって知らせる?)

 枝でつつく? また転ばせる? でもでも、この時にまた鳥が「前」に出たら、同じことの繰り返し?

 モルテは迷った。しかし、歩みのスピードは例えゆっくりでもゲルミナスの方が早い。うだうだ悩んでいたら、鳥が進路方向を変えてまた「置いて」いかれる。

(〜〜〜、ごめんっ!)

 モルテは、彼の脇腹を思い切り蹴飛ばした。

「どあああっ!?」

 目隠しのまま、ゲルミナスはバランスを崩し、両手を上げた状態で横に倒れ込み――。

 しっかりと、その腕の中に鳥を抱え込んで、土と対面した(三回目)。


「……物理的な衝撃による、座標の強制収束……。さすがです、モルテ……」

 ゲルミナスは鳥を片手でガッチリと捕まえたまま、蹴られた脇腹を擦っていた。

(ほんと、ごめん!)

 モルテは両手を合わせて何度も頭を下げる。焦っていたとはいえ、思い切り蹴ることはなかった。つま先が抉るように脇腹にめり込んだのだ。人間ならもっと痛い。骨とか折れてないかな。

 オロオロとするモルテに、ゲルミナスは苦笑した。

「まあ、過程はどうあれ、結果は『正解』でしたし。……次からは、もう少しお手柔らかにしていただけるとありがたいのですが?」

(うん、気をつける)

 決意新たに首肯するモルテを見て、ゲルミナスは笑みを深くした。


 腕の中の、捕らわれの鳥を見下ろす。白い羽毛と赤い鶏冠、特徴的な長い尾。キョトンとゲルミナスを見上げる、それは尾長鳥。

「……返してもらいますよ」

 コケーッ! とひと鳴きし、それは形を変える。

(……眩しっ!)

 眩い「命」の輝き。モルテはあまりの眩しさに腕で顔を覆った。眩しくて眩しくて、焼ききれてしまいそう。

 その光が収まった時、尾長鳥は消え、ゲルミナスの中に欠片が正しく組み込まれた。


(やったね、ゲルミナス!)

 モルテは笑顔で彼の顔を覗き込んだ。その満面の笑顔を見て、ゲルミナスは、ふ、と笑った。

「……ええ、やりましたね、モルテ」

 そう言って手を差し出す。モルテもまた、彼の手を軽く叩き返した。

 ぱち……ん! 小気味のよい音。だが。

「いっ……つぅ…………」

 ゲルミナスは手を押さえて低く唸っていた。彼の手は、モルテに触れた部分だけ黒く焼けただれたようになっていた。

(ありゃ)

 忘れていたわけではないけれど、油断したのはモルテも同じで。

(まだまだ一つだけじゃ、死への抵抗力はつかないかー。ごめーん)

 てへ。ちろっと舌を出す。



 あと、欠片は六つ。彼らの旅はまだまだ始まったばかりだ。


ゼノンのパラドックス、理解できました? 私はしばらくかかりました。

そして私たちの存在しているこ「ここ」も、じつは微細な空間なんですね! オドロキー。

そして、この回から、モルテのジェスチャー描写が増えます。わかりにくかったらごめんなさい。

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