2395話 紅の手綱
「ッ!! アンタはッ!! 何をのうのうと喋り呆けているのッ!!?」
「ぐっ……!!」
ズダンッ!! と。
殺気を孕んだ叫びと共に、フリーディアの背が壁へと叩き付けられる。
フリーディアの眼前には、投げかけた問いに対し驚愕から我に返ったサキュドが、ギリギリと胸倉をつかみ上げ、幼女然とした外見からは予測もつかない程の剛力を以て壁へと押し付けていた。
「アンタには失望したわ。テミス様が敵の手に堕ちた? なら何故、アンタは生きているのかしら? その身を挺してテミス様を守り、刺し違えてでも敵を討つのがアンタの役目でしょうがッ!! アンタが犯した罪を忘れたとは言わせないわよ!!」
「ぁっ……ぐっ……! は、なしを……ッ……!」
「黙りなさい。課された役割すら果たせない無能に生きる価値は無いわ。今この場で、アタシが処分してあげる!!」
「……ッ!!」
片腕でフリーディアの身体を壁へ押し付けたまま、サキュドは猫のように引き締まった紅の瞳を怪しく輝かせ、掲げた掌に紅槍を現出させる。
その怒りも、紅槍に籠められた殺気も紛れもない本物で。
捕らわれたフリーディアはそれでも暴れ回ることなく、凛と意志の籠った瞳でサキュドを睨み付けた。
サキュドの怒りも理解はできる。
けれどその憂さ晴らしのために、ここで貫かれてあげる訳にはいかない。
燃え上がる闘志と凍り付く冷静さを胸の内に同居させながら、フリーディアはその瞬間に備えて意識を集中させる。
全身全霊を込めて初撃を躱せば、サキュドの紅槍は背後の壁を破壊するだろう。
そうなれば、身体を逃がす余地が生まれ、サキュドの拘束から脱することはできる。
その後は、サキュドには悪いけれど一度組み伏せるしかない……!
怒りに満ち満ちたサキュドを前に、フリーディアが交戦の覚悟を固めた時だった。
「待てサキュド。まずは話を聞くのが先だ。その手を放すのだ」
「ッ……!! マグヌス……!! アンタ……!!」
サキュドの背後から、構えた紅槍を掴み止めたマグヌスが低い声で告げる。
しかし、サキュドは怒りに染まった視線をそのままマグヌスへと向けると、鋭く尖った犬歯をむき出しにして言葉を続けた。
「離しなさい。今のアンタで、アタシを止められるとでも自惚れているの?」
「冷静になれと言っているのだ。もしも彼女が、我々に情報を伝えるために、テミス様が敵の手から逃がしたのだとしたら?」
「ッ……!!」
「お主の怒りは理解できる。だが、もう短い付き合いではあるまい? フリーディア殿が自分の命惜しさに、テミス様を見棄てて逃げるような気性でないことくらいは理解していよう?」
「くっ……!」
「っ……! ゲホッ! ゴホッ……!!」
マグヌスは紅槍を掴んだまま、ゆっくりとした口調で怒りに呑まれたサキュドを諭しにかかる。
一方でサキュドも、マグヌスが言葉を紡ぐ程にフリーディアを掴み上げる手の力が緩み、魔手から逃れたフリーディアは床の上に崩れ落ちると、激しく咳き込みながら荒い呼吸を繰り返した。
「申し訳ない、フリーディア殿。ご無事だろうか?」
「ハァッ……ハァッ……! な、何とか……ね」
「良かった。サキュド、お主の短慮は昔から忠告しているであろう? 此度の一件、テミス様に報告するぞ」
「っ……! フン……!! 好きにしなさいよ」
サキュドが紅槍を虚空へと消し去ると、マグヌスは床の上に崩れ落ちたフリーディアに歩み寄り、思慮に富んだ声で問いかけながら掌を差し伸べる。
それに応じたフリーディアは、マグヌスから差し伸べられた手を借りて立ち上がり、乱れた呼吸を整えながら言葉を返した。
だが、それを横目で眺めながらも、サキュドは拗ねたようにそっぽを向いているだけで。
非難の眼差しを向けたマグヌスが苦言を呈しても、鼻を鳴らして投げやりな言葉を返しただけだった。
「重ねて申し訳ない、フリーディア殿。なにぶんサキュドは気位の高く、彼女に代わって私が謝罪申し上げる」
「ハァ……ふぅっ……!! いいえ、謝罪は必要無いわ。この貸しは、彼女自身に働きを以て返して貰いますから」
「ッ~~~!! 随分と大口を叩くじゃない? 当然、それ相応の情報を持ち帰っているのでしょうね?」
「えぇ。少なくとも、貴女よりはテミスの現状に詳しいわ? だからテミスを助けるために、貴女にも手を貸して貰います」
だがマグヌスは慣れた調子でフリーディアに頭を下げると、苦笑いを浮かべてチラリとサキュドへ視線を送る。
恐らくはこれまでも、この二人の副官はこの調子でやっていたのだろう。
そう察したフリーディアは、一つ息を吐いてからクスリと不敵な微笑みを浮かべると、背を向けたままのサキュドに挑発の言葉をぶつけた。
その挑発に乗ったサキュドは、ニンマリと意地の悪い笑顔を浮かべて問い返したものの、フリーディアはビシリとサキュドの鼻先に指を突き付けて凛と言い放つ。
「フハッ! ハハハッ!! これは一本取られたな。サキュド? ともあれ、我々がいがみ合っている場合ではあるまい?」
「ぐぅぅっ……!! わかったわよ! 悪かったわ!! アンタの指示に従ってあげるから、早く現状を教えなさいよ!!」
そんなフリーディアの言葉に、マグヌスが豪快な笑い声をあげてフリーディアの援護に回ると、サキュドは悔し気に歯を食いしばりながら、やけくそ気味に謝罪の叫びをあげたのだった。




