2393話 目覚めぬ剣姫
一方その頃。
夜が明けたファントの町のマーサの宿屋では、ちょっとした騒動が起きていた。
発端は、いつも通りにテミスを起こしに行ったアリーシャの発した悲鳴。
その悲鳴を聞きつけたフリーディアとユウキ、そしてアマネコが駆け付けた。
そこには、身体を揺さぶろうとも、頬を叩こうとも目を覚まさないテミスに縋り付くアリーシャが居て。
フリーディア達は、ひとまず錯乱したアリーシャを落ち着かせるべく、眠り続けるテミスから引き離したのだ。
「……アリーシャ、落ち着いたかしら?」
「ひくっ……! うっ! ぐすっ……はい……」
ユウキの使っている客室のベッドに腰掛けたアリーシャは、体を震わせながら声を殺して涙を流していた。
しかし、傍らに立つフリーディアの表情は鋭く、静かに問いかけた声も普段の彼女の声からはかけ離れた冷淡なものだった。
だがそれは、決してアリーシャを疎ましく思ってのものでないことは、この部屋の中に居る全員が理解している。
固く握り締められた拳に、僅かに震える脚。
それらはフリーディアが今、必死に冷静さを保とうとしている事実を声高に物語っていた。
「悪いのだけれど、何があったのか教えてくれるかしら? ただ事では無い事は、もう私も理解しているわ」
「っ……!! うぅっ……!」
押し殺すような声でフリーディアが口火を切ると、伏せられたアリーシャの目から新たにポロリと大粒の涙が零れ落ち、給仕服のエプロンに染みを作る。
悲鳴を聞きつけたフリーディア達がテミスの部屋に駆け付けた時、既にアリーシャは泣き喚きながらテミスの身体に縋り付いていた。
確かに、テミスは普段から寝坊助ではあるものの、たとえ眠っていたとしても身体を激しく揺さぶられても尚、目を覚まさないことなどあり得ない。
万に一つ、テミスが心から気を許しているアリーシャだからという可能性も無くは無いものの、フリーディアやユウキ達も、泣き喚くアリーシャを引き剥がす際にはテミスの身体に触れている。
他でもないテミスが、これ程の隙を晒す所など、これまでフリーディアは一度たりとも見た事は無かった。
つまり、今のテミスは眠っているのではなく昏倒している。
そのたった一つの事実が、フリーディアに戦場のような緊張感をもたらしていた。
「……私、いつもみたいに、テミスを起こしに行ったの。いつもだったら、部屋の外から声をかけるか、中に入って軽く肩を叩いてあげれば起きるんだけど……でも、今日は全然起きなくって……!」
「確かに。今の状況だとテミスなら、すぐに起きてくるはずだよね……」
「ユウキ!」
「ぁっ……! えぇっと……!!」
「おかしいなって思ってたんだけど、そしたら急に、テミスのほっぺたがばっ!! って切れて……!!」
「ッ……!!!」
「へぇっ!?」
相槌を打ったユウキが口を滑らせ、フリーディアが叱責をするかの如く名前を呼ぶが、アリーシャは嗚咽をあげながらも話を続ける。
しかし、それはフリーディア達を驚愕させるには十分過ぎる内容で。
それを聞いた途端、フリーディアはビクリと身体を震わせ、同時にユウキが裏返った声で驚きの声をあげた。
そして一拍遅れて、フリーディアがアマネコに視線を向けると、その頃にはアマネコは既に、テミスの傷を検めるべく部屋から駆け出して行った後だった。
「そう……それはびっくりしたわよね……」
「うん、なんでか分からないけど、テミスが死んじゃう……!! って思ったら、頭ぐちゃぐちゃになっちゃって……!! うぅっ……!!」
「大丈夫! テミスはそう簡単に死んじゃったりしないよ! すっごく強いもん! ボクが保証する!」
「うん……うんっ……! ありがと……」
部屋に残ったフリーディアは、努めて穏やかな声でアリーシャを宥めようとしたが、唇から零れ出たのは、感情を押し殺したような暗い声で。
フリーディアの慰めにコクコクと頷きながら、アリーシャは掌で顔を覆うと、再び弱々しい鳴き声をあげ始める。
そんなアリーシャの傍らに、ユウキはにっこりと笑顔を浮かべて寄り添うと、朗らかな声で言葉を紡いだ。
無論。アリーシャはユウキがかつてテミスと剣を交えた敵であった事など知らず、本当の意味でユウキが紡いだ言葉の意図が伝わっているはずも無かった。
だがそれでも、アリーシャは涙に濡れた顔で弱々しい笑顔を浮かべると、噛み締めるように頷きながらユウキに応えてみせた。
「……確認した」
「そう……わかったわ。ありがと」
そこへ、部屋の外から音も無くアマネコが戻ってくると、フリーディアに視線を向けて小さく頷き、ボソリと小さな声で報告をする。
不可解な傷に目を覚まさないテミス。
状況はいまだに不透明な所ばかりではあるものの、これだけの状況証拠が揃ってしまえば、テミスが今何者かの攻撃を受けているというのは確実だろう。
問題なのは、敵が何処の誰で、何が目的で、どうやってテミスの意識を刈り取ったのかというところなのだが……。
「二人とも、テミスとこの宿の護衛をお願いできるかしら? 私はいったん詰め所に行くわ。アリーシャは、落ち着いたらでいいからテミスの面倒を見てあげてくれる?」
「もちろんっ! 任せて!」
「任務了解」
「っ……! ぐすっ……! うん……!!」
状況を把握したフリーディアは即座に決断をすると、矢継ぎ早に二人に指示を出した後、声を穏やかなものへと変えてアリーシャにも言葉を添えた。
そしてフリーディアは、三人が三様に頷いて言葉を返したのを確認すると、機敏な動きで身を翻して駆け出したのだった。




