↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/9

代償を払って

 楽しかった日々の残像が、激しい雨の音にかき消されていく。


 俺たちの意識は、あの夏の終わり――八月三十日の、地獄のような夕暮れへと引きずり込まれていた。


 その日、村の空は朝から見たこともない禍々しい鉛色に染まっていた。


 バケツをひっくり返したような豪雨が、容赦なく龍水村の山々を叩きつける。


 俺たち三人は、突然の嵐に足止めを食らい、神社の奥宮にある「龍神の淵」の流木の陰で、身を寄せ合って震えていた。


「帰らなあかん! 奏、勿忘、この雨は尋常やない。山の地盤が緩んどる!」


 慧が、激しい雨音に負けないよう大声で叫んだ。


 避難しようと立ち上がった、その瞬間だった。


 ――バリバリバリ、と世界が引き裂かれるような、聞いたこともない轟音が山全体に響き渡った。


「きゃぁぁぁ!!」


 勿忘が悲鳴を上げて、俺の腕にしがみつく。


 見上げた視界の先、奥宮の裏山が、まるで巨大な生き物のようにぐにゃりと歪んだ。


 次の瞬間、何十トンもの濁流と巨石、そして黒い土砂が、凄まじいスピードで俺たちのいる淵へと崩落してきたのだ。


 逃げる隙なんて、一瞬すらなかった。


 津波のような土砂が、目の前まで迫って。


 死ぬ。死ぬんだ。ここで。


 そう確信して、俺たちが本能的に目をつむり、お互いの手を強く握りしめた、その時――。


 キミトの長い黒髪が、荒れ狂う風に激しく翻る。その瞳は、いつもの無邪気な少女のものではなかった。神としての、圧倒的な威厳と怒りを孕んだ青い光が、彼女の全身から溢れ出していた。


 キミトが両手を天に掲げると、龍神の淵の水が爆発したようにせり上がり、巨大な水の壁となって迫り来る土砂を真っ向から受け止めた。


 ゴオォォォ、と激しく衝突する水と泥。


 キミトの髪に飾られた鱗が、パキパキと音を立ててひび割れていく。


『キミト! もうやめろ! キミトが死んじゃう!』


 俺は必死に手を伸ばした。だけど、神聖な力の結界に阻まれて、彼女の身体には指一本触れられない。


 キミトは、顔を歪めながらも、一歩も引かなかった。そして、最後に一度だけ、俺を振り返った。


 その瞳は、いつもの優しくて、少し寂しげな、大好きな彼女の目だった。


『奏……約束、守れなくてごめんなぁ。外の世界、行ってみたかったな』


 キミトが、哀しく微笑む。大好きなはずの笑顔は、視界が真っ白に染まってしまって見えなくなった。


 俺は、自分の家の部屋のベッドの上にいた。


 窓の外を見ると、嘘みたいにきれいな、どこまでも青い夏空が広がっていた。


「……あれ? 俺、なんで部屋にいるんだっけ?」


 机の上には、昨日までと変わらない夏休みの宿題。


 隣の部屋からは、母親が夕飯の支度をする能天気な音が聞こえてくる。


 俺たちの命は、確かに救われていた。


 キミトがその命と、神としての全ての力を引き換えにして、土砂崩れの災害そのものを、歴史から無かったことに書き換えたから。


◇◆◇


「っ……、う、あぁぁぁ……っ!」


 すべての真実を思い出した俺は、涙でぐしゃぐしゃになりながら、畳を拳で叩きつけた。


 慧は青ざめたまま、ただ天を仰いで震えている。勿忘は声を上げて泣いていた。


 彼女は俺たちを救ってくれた。


 なのに、俺たちは、俺たちはあの最高に晴れ渡った夏休みの終わりに、彼女のことを綺麗さっぱり忘れて、笑っていたんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。