婚約の証(1)
――あ……っ。
見惚れている場合じゃ、ない……!
私は慌てて、軽やかに舞うヒロインを静止した。
「お姉様! 挑発するのは、やめてください……!」
「どうして? わたしは、すごく悲しいよ。エミリエが、こんな低レベルな騎士をそばにおいているなんても思わなかった。母国に戻ったら、あなたに相応しい人を見繕ってあげるからね……!」
「ふざけるな……!」
だが……。
長い間妹と離れていた姉には、私の声は届かない。
彼女が都合のいいように作り上げたエミリエは、「こんなふうに己を止めるはずがない」と思い込んでいたからだ。
――どうしよう。
このままじゃ、どちらかが怪我をするまで止まらない……!
ヒロインは精霊の力を借りてすらいないのに、フェドクスは私を抱きかかえて戦っているせいか。
体力の消耗がかなり激しい。
相手が神殿に所属する人間なら、癒やしの力を使って幼馴染を回復させてやるところだが――。
相手が相手だけに、何が正解なのかすらもよくわからなくなってしまった。
――こういう時、左半分が使い物にならなくなった身体は、不便だ。
いっそのこと、人形使役の力を使って、強引に彼らの戦いを止める?
いや、駄目だ。
――2人の争いを中断したとしても、ラジェスがいる。
彼は今でこそ我関せずな態度だが、ヒロインの命にかかわる危機が訪れれば、当然剣を引き抜くはずだ。
2人まではなんとかなっても、同時にそれ以上の人間を操るのは、かなり危険な賭けとしか言いようがない。
一か八か、やってみる……?
「ほんと、しぶとい……!」
痺れを切らしたお姉様が、パラソルを開く。
手のひらを優雅に回転させ、天井へ突き出す姿は見覚えがあった。
――あれは、精霊召喚!
いくら手練の騎士であったとしても、天才精霊使いと呼ばれる主人公と真正面からぶつかり、無事で済むはずがない。
「だ、駄目……!」
私は慌ててフェドクスの胸元から身を乗り出し、お姉様を止めようとしたのだが――。
「これは一体、なんの騒ぎだい?」
彼女へ触れる前に出入り口がガチャリと開く音と、殿下の声が聞こえてくる。
フェドクスはヒロインへ剣を振るのを止め、私を抱きかかえ直して床に尻もちをつく。
「第二王子……」
どうやら想定外の人物が現れたおかげで、集中力が途切れたようだ。
結局精霊召喚はなされず、行き場を失った腕が不自然に下ろされた。
「レディの寝室に忍び込むなんて、どんな野蛮な刺客なのかと思ったら……。ティルタラーテ王国のお姫様じゃねぇか」
「ご無沙汰しております、ラムロンツ辺境伯。妹と一緒に、魔王討伐の旅を見事成功させたとか……」
「ああ。おかげ様でな?」
どうやら、ここに姿を見せたのはルドルフだけではなかったようだ。
ガザンとルティアはバチバチと火花を散らし、睨み合っている。
――リジェンタスとティルタラーテは、戦争をしていた。
辺境伯は防衛の要として、母国と戦う機会も多かったはずだ。
射撃の名手と、天才精霊使い。
恐らく、戦場で顔を合わせた機会があるのだろう。
フェドクスとの物理的な戦いが停戦状態になったかと思えば、今度はガザンと啀み合うなんて……。
――本当に、原作が始まったんだ……。
私はそんな感慨深い思いに包まれながらも、また戦いが始まるんじゃないかと、戦々恐々とする羽目になった。
「ルティア王女。非公式の訪問で、このような問題を起こされては困ります」
「わたしが悪いの?」
「責められたくないのであれば、最初から適切な手続きを踏んで頂けるとありがたいのですが……」
この場で冷静な交渉ができるのは、私とルドルフくらいしかいない。
殿下は率先してお姉様に苦言を呈したが、彼女の反応は芳しくなかった。
――自分だけが悪者にされて、明らかに不貞腐れている。
そんな表情だ。
ヒロインはパラソルをぱちんと閉じたあと、それをラジェスに投げ渡す。
どうやらもう、こちらに襲いかかる気は、もうないらしい。
彼女は深い溜息を吐き出したあと、堂々と胸を張った。
「わたしは不当に連れ去られた妹を、救い出しに来ただけ。こう言うのが嫌なら、最初からエミリエを奪い取らなきゃよかったのに」
「そうですね」
「おい! ルドルフ! なんで、王女の主張を受け入れてんだよ!?」
感情を押し殺した声を発するルドルフに、話を聞いていたガザンが「冗談じゃない」とばかりに声を荒らげる。
フェドクスは我関せずと言わんばかりに呼吸を整え、暗い表情で押し黙っていた。
まさしく、三者三様の光景だ。
「誰が彼女を母国から連れ去ったのか。王家で力のない僕には、見当もつきません。しかし――今は、感謝しています」
ヒロインが信じてくれるかは微妙なところだが、この話は事実だろう。
私の誘拐計画は、国王と司祭が先導の元行われていた。
陛下に愛されている王太子はどうだか知らないが、彼は関わっていないはずだ。
もしもすべてを知っていたのなら、私を嫌っている間に、母国の話を匂わせていただろうから……。
「エミリエが魔王討伐隊に参加してくれたからこそ、僕は化物にならずに済みました。あなたの妹君を取り戻したいと言う気持ちには、賛同しますが――」
殿下はお姉様の気持ちに寄り添いながらも、私たちの間に割って入る。
その後、はっきりとした口調で拒絶した。
「彼女の意思を無視して、母国へ連れ去るのは許しません」
「いいの? それって、宣戦布告になるけど」
「最初から、そのつもりでしたよね」
「わたしはそこまで、残忍じゃないよ? ここは、妹が暮らす国だもの。それに――」
2人の静かな戦いは、続く。
彼女は口元だけを綻ばせると、楽しくて仕方がないと言わんばかりに懐から紙を取り出した。
「これから、あなたのお兄さんと婚約を結ぶの」
まるで印籠のように勢いよく掲げられたのは、先程王太子が署名した契約書だった。




