癒しの力を奪い取って
「ま、魔物……?」
「ええ、そうよ! 神殿では、魔物を生み出す実験を行っていたの。これは、唯一の成功例」
彼女は驚く私の姿などまったく気にした様子がなく、自慢げに魔物をひけらかす。
傷ついた獣は至る所から血が吹き出し、虫の息だと言うのに……。
心配どころか治療もしないなんて、あり得ない。
人々から癒やしの聖女と呼ばれて崇められる存在とは程遠い人物だと思わずには、いられなかった。
「でも、気性が荒くて――。あたしたちには全然懐いてくれないのよ。そのせいで、兵器としての使い道はいまいち。だけど……。せっかくだから、有効活用するべきでしょ?」
「何を、するつもりですか……」
「簡単よ! あなたと一緒に、こいつを檻に閉じ込めるの!」
マリラさんは嬉々として、語り出す。
魔物を使って、私を加害するための作戦を……。
「この魔獣は、人間が大嫌いなの。お腹を空かせた獣が目覚めたら、あなたを襲うはずよ!」
彼女はてっきり、私を自らの手で始末するために動いているとばかり考えていたのだが……。
どうやらそれは、こちらの勘違いだったようだ。
「魔獣はお腹いっぱいになって、あたしも手を汚さずに済む。まさしく、一石二鳥でしょ?」
「がう! がるぅ……!」
危険な魔物まで連れ出してくるあたり、こちらの揺さぶりはある意味成功したとも言える。
問題は、この子と閉じ込められた場合、抗う術がないことくらいだろうか。
「ふふふ。悲鳴すら、上げる気にもならないのかしら? そうよねぇ。いくら満身創痍とはいえ、人を喰らう魔獣は怖いわよね?」
こちらが絶体絶命の危機に追い込まれ、黙り込んでいたのがよほど嬉しくて仕方がないようだ。
こちらへ笑いかけてくる彼女に向かい、私は素直な感想を述べた。
「あなたの性根は、腐っているのですね」
「あはは! 今さら、気づいたの?」
「あなたはみなさんとの、恋愛成就を願っているようですが――。お姉様とは真逆の、残忍な感覚を持つ限り、彼らが心を許すことはないでしょう」
「ふんっ。三英雄から寵愛されているからって、調子に乗らないでよね!」
癒やしの力はすでに、奪い取った。
マリラさんの悪巧みを静かに聞く時間は、終わりだ。
「その言葉が遺言になるよう、願ってるわ」
彼女は「これでようやく肩の荷が下りた」と言わんばかりの表情を浮かべると、護衛騎士とともに、牢屋から出て鍵をかけた。
拘束を解かれた獣は「ここから出せ」と言わんばかりに柵を揺らしたが、マリラさんはこちらになど見向きもしない。
私に癒やしの力を奪い取られたことに気づかぬまま、彼女は地上へと戻って行った。
――これって、どう考えても死亡フラグだよね……?
彼女の性格上、「エミリエは死にました」と報告を受けるだけではきっと納得できないはずだ。
マリラさんの思惑通りに事が運んだ場合、明日の朝、二度目の朝食を持ってきてくれた子どもたちが惨劇を目の当たりにするだろう。
――あの子たちにトラウマを植えつけるなんて、冗談じゃない。
なんとかして、魔物と仲良くなれる方法を探さなくては……。
「がう! がるぅう!」
私は暴れ狂う獣の姿を、観察する。
あの子はここからの脱出を試みるたび、ポタポタと全身から血を吹き出していた。
頭部の尖った耳と、銀色のもふもふとした毛並みを見るあたり、恐らく種族は狼なのだろう。
――これは、奪い取った癒やしの力が正常に作用するか試すチャンスなのでは?
ただでさえ、左半分が動かないのだ。
両手足を縛られた状態で獣の元へ移動するのは、困難を極める。
――みっともないけど、地べたを這いずるしかないか……。
私は腹筋をフル活用して何度も身体を上下に折り畳み、恐る恐る獣に近づいた。
「がるるるる……っ」
「お、落ち着いて……」
満足な食事も与えられず、ほとんど寝たきりだったせいだろう。
体力が落ちてしまっているようで、少し匍匐前進をしただけでもかなりの疲労感が蓄積している。
そんな中で威嚇してくる狼と心を通わせるのは、困難を極めた。
「がう!」
獣は大嫌いな人間の声が足元から聞こえてきたことに驚いたようで、唸り声を上げて威嚇してきた。
いくら手足を拘束されていたとしても、気を抜いた瞬間に魔法で攻撃される可能性がある。
そう、恐れているのだろう。
魔物がこちらを敵視するのは、当然だった。
――きっと、たくさん傷ついて、怖い思いをしたんだよね……。
信じていた人間に裏切られるのは、誰だってつらい。
私はこの子の受けた傷が少しでも軽くなりますようにと願いながら、声をかけるしかない。
「あなた……。怪我を、しているのでしょう?」
「がるるる……っ」
こちらに鋭い視線を向ける獣の威嚇は続いている。
しかし、機嫌さえ損ねなければ、噛み殺されるような状況は防げそうだ。
それにほっとしながら、あの子の目を見て説得を試みる。
言葉はいくらでも嘘をつけるが、瞳の奥底に秘めた感情までは、隠せないと思っていたからだ。
「私はこの通り、自分からは触れられないの。あなたが、もう少し近寄ってくれる?」
「がう……」
「あなたの傷を、直したいの」
魔物は「こいつの言葉を信じていいのだろうか」と、戸惑いの色を隠せない様子で逡巡を繰り返している。
ここで答えを急かすのは、死に急ぐようなものだ。
この子はいつも人間たちから自分のしたくないことを、強要されて生きてきたはずだから……。
狼の覚悟ができるまでは、黙って待っていよう……。
そう決めて、どれほどの時間が経過しただろうか?
「がう……」
こちらがいつまで経っても敵意を見せる様子がないと知り、獣は恐る恐る行動を開始する。
私の肩越しにピトリと手を当てたのだ。
「ありがとう……」
――今度はこちらが、この子の信頼に応える番だった。
私は目を閉じ、意識を込めて集中する。
――狼の傷が、治りますように。
私が右目を見開いた直後、これまでは一度も発動できなかった治癒魔法が獣を癒やす。
「がうぅ……?」
しかし、癒やしの聖女と呼ばれる程の力とはほど遠い。
――神官たちから奪った分だけしか、発動していないみたい……。
それがなぜかはよくわからない。
だが――。
彼女は異能を発動した際、毎回呪文を口ずさんでいた。
強大な治癒魔法を使うためには、その祝詞が必須条件なのかもしれない。
――思い出して。
あの子は治癒魔法を使う時、どんな言葉を口にしたんだっけ?
私は必死に考えを巡らせ――そうして、答えに辿り着く。
「哀れな子羊に、神の祝福を」
一言一句違えぬように、か細い声が牢屋に響く。
――パァッ。
眩い光が迸り、みるみるうちに傷が癒えた。




