襲撃
「真綿で首をしめるように、じわじわと心の隙間に入り込めたら、それでいいんだ」
急速に距離を縮めようとすればするほど、遠ざかってしまう。
彼はその自覚があるから、わざと遠回りをしているらしい。
「長期戦は、覚悟しているよ。だから君も、責任を感じないでほしいかな」
いつか恋仲になれる日を夢見ているのだとしたら、お門違いもいいところだ。
その努力は、できればヒロインの心を射止めるために使ってほしい。
しかし、攻略対象たちはまだ、彼女と出会っていない状態だ。
ここで「あなたたちは私のお姉様と恋愛する運命なんです」と暴露したところで、頭の出来を疑われかねない。
私は引き攣った笑みを浮かべて、彼の好意に感謝した。
「はい。ありがとう、ございます……」
「気にしないで」
雑談をしていたら、あっという間に私専用の訓練所と化している空き部屋へと到着した。
予備の車椅子に座り、準備を整えていると、目の前に手が差し伸べられた。
「杖、邪魔だよね? 僕が、預かるよ」
「申し訳ありません……」
「こういう時は、お礼がいいな」
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
殿下は本当に、寛大な心を持つ方だ。
車椅子に乗る練習や歩行訓練なんて、見ていて面白いものでもないのに――。
忙しい合間を縫って、こうして見守っていてくれるのだから。
「殿下はどうして、私のそばにいてくださるのですか」
「今さら、それを聞くのかい?」
理由が気になって、さり気なく問いかけた時だった。
ルドルフの目元から、微笑みが消えた。
「僕が、君を……」
左右色の異なる、銀と銅のオッドアイが、こちらをじっと見下している。
私はなぜか、その視線から逃れなければならないと言う謎の使命感に駆られ――。
右手を使って、車輪を回した。
「危ない!」
――その時、だった。
バキッと音がして、木製の車輪がバラバラに砕け散る。
私はバランスを崩し、前につんのめった。
――ぶつかる……!
頭を守ろうにも、片腕ではどうしようもない。
障壁魔法を使えば簡単に解決することではある。
しかし、他者の傷を奪うだけではなく、他の力を使えると言うのは――たとえ信頼のおける仲間であったとしても、隠しておきたかった。
幼い頃に代わる代わる大人たちから暴行を受けていたおかげで、痛覚が鈍っている。
車椅子から転がり落ちても、大したダメージにはならないだろう。
ここは黙って、みっともない姿を殿下の前で晒すべきだと、全身から力を抜く。
これでもう大丈夫だと、安心しきっていたのに――。
床へ叩きつけられる前に、予想外の出来事が起きた。
「エミリエ……!」
殿下が私の危機を悟り、しっかりと抱き留めてくれたのだ。
高貴なるお方のお手を煩わせてしまったという後悔と、攻略対象に抱きしめられた喜びが入り混じる。
エミリエとしてどう反応するのが正しいのかすらも見失い、パニックに陥る。
その結果、私は咄嗟に敬語を忘れてしまった。
「こんなことしたら、駄目でしょ!? 殿下だって、狙われているのに! 隙を見せたら、きっと……!」
母国で暮らしていた時を除けば、これまでは何があっても絶対に、フェドクスにしか砕けた口調で会話をしていなかった。
そんな自分が、まさかこんなふうに彼へ話しかけるなど思いもしなかったのだろう。
「ぷ……っ! あはは……っ。まさか、君が僕にタメ口で話してくれる時が、来るなんてね」
殿下は大笑いしたあと、ご機嫌な様子で目元を緩めた。
「てっきり、フェドクスだけの特権だとばかり思っていたけど……。違ったんだ。嬉しいなぁ……」
「い、いえ……。こ、これは……その……」
「不敬だって、僕が怒鳴りつけるとでも思ってるの?」
「は、はい……」
「心外だなぁ。そんなこと、しないよ」
そんな彼とは対象的に、こちらは冷や汗が止まらない。
いくらパニックに陥ったからって、あんなふうに大声で言葉を発するなんて、どうかしている。
――もう二度としないように、心がけなくちゃ。
そう固く誓ったこちらとは異なり、殿下はキラキラと光り輝く王子様スマイルを披露しする。
「僕はエミリエになら、何をされたって構わないんだ」
一際眩しく光り輝く太陽のような姿に見惚れ、長い間、見つめ合う。
無言の時間は、本来ならば気まずいはずなのに――。
なぜか、心地いいとさえ感じるのだから不思議だった。
このまま時間が、止まってしまえばいいのに――。
そんな思いとは裏腹に、恐れていた事態が起きた。
「動、」
バタバタと大きな足音を立て、廊下に続く出入り口から神官服に身を包んだ神殿の人間が姿を見せる。
「今、いいとこなんだ。邪魔しないでくれる?」
「ぎゃああ!」
彼らは私たちに向かって「無駄な抵抗をせずに投降しろ」と言いたかったようだが、2人の甘い空気を邪魔された怒りを抱く殿下が放った拘束魔法によって、瞬殺された。
「車椅子の細工は、こいつらみたいだね。あまりにも、タイミングがよすぎる」
「ち、違う! 私たちではない!」
「黙れ」
「ひ……っ」
殿下からの魔法攻撃を警戒している神官たちは、見ているこちらがかわいそうになるくらいに怯える。
「ほ、本当だ! どうか、命だけは奪わないでくれ!」
「奇襲をかけてくるような輩の言葉を、信じられるとでも?」
「そ、それは……!」
命乞いをしてくるあたり、熱心な信徒とは言えないタイプの人間のようだ。
彼らは下手に出ても無意味だと悟り、悪びれもなくふんぞり返った。
「とにかく! 私たちは命令されたことを、実行しただけだ!」
「ふぅん。じゃあ、口が軽い神官に聞こうかな。君達は誰に命令されて、僕のエミリエを痛めつけようとしたんだい?」
ここで素直に白状しなければ、命の灯火が潰えてしまう。
生存本能の強い神官は、あっさりと依頼者の存在を白状した。
「癒やしの聖女様の、指示だ! 車椅子に細工をしたから、動けなくなったところを攻撃して、攫えと言われた……!」
「そうなんだ」
殿下の相槌は、まったく感情が籠もっていなかった。
口元だけを綻ばせているのに、棒読み。
それは真実を述べて口を噤んだとしても、彼らを許す気はないと言う態度の現れなのだろう。
「これで、わかっただろう!? 私たちは、何も悪くない! だから……!」
「それだけわかれば、充分だよ。お疲れ様」
「ぐは……っ」
こちらの想像通り、殿下は再び攻撃魔法を放つ。
こうして、彼らを気絶させてしまった。
神官たちは、入口を塞ぐように倒れ伏している。
このままでは、外に出られない。
「使用人を呼ぼう。ゴミ箱へ捨てるように、ちゃんと言っておかないと……」
殿下がさり気なく口にした言葉には、棘がある。
――怖いなぁ。
床に倒れ伏す神官たちへ合掌したい気持ちでいっぱいになりながらじっとしていると、殿下から意外そうに声をかけられた。
「襲撃を受けた割には、落ち着いているね」
「殿下がそばに、いてくださったからですよ」
「僕の活躍を褒め称えてもらえるなんて、思いもしなかったなぁ……」
ルドルフはどこか照れくさそうにはにかみながら、邪気の抜けた笑みを浮かべた。
「少しはエミリエの役に、立てたかな」
「本当に、ありがとうございます……」
「僕たちを加害しようと目論む輩が生きている限り、一生危険に晒され続ける。早いところ、なんとかしなくちゃいけないね」
「はい」
――今回の一件はのんびりしている暇はないのだと、危機感を抱かせるのに充分すぎるくらいの効果を与えた。
いくら練習用の車椅子だとしても、破壊された器具は足の代わりとなる大事なもの。
それを破壊した罪は、重い。
しっかりと、償ってもらわなければならなかった。
――モブだから、とか。
そんなの、関係ない。
「悪事を働く不届き者は、罰するべきです。それがたとえ、高貴なる身分の方であったとしても――」
「君もようやく、覚悟が決まったみたいだね。安心したよ」
――癒やしの聖女を、神殿のトップから引きずり下ろしてみせる。
そう決意したところで、私にできることはあまり多くない。
あの腐敗した組織を破壊するには、聖騎士団長になれるほどの力を持つ、フェドクスの協力が必要不可欠だ。
幼馴染は、ガザンと話し合えたかな……。
この場にはいない彼のことを考えながら、早く仲直りしなければと焦燥感を募らせながら、私は殿下と一緒に客間へと戻ったのだった。




