そんなにうまくはいきません
「私の左目が無駄にならなくて、本当によかったです」
「なんなの、それ……」
「殿下が気に病む必要など、ありません。どうぞ、今まで通りお過ごしください」
たった一度、傷を肩代わりしたくらいで、好感度が上がるはずがない。
私のやることなすことに対して激怒していたのだって、今は混乱しているだけだ。
きっと、そう遠くない未来に通常運転に戻る。
これまで通り、憎しみの籠もった視線をこちらへ向けてくるはずだ。
そう、思っていたのに――。
殿下は私から手を離すと、瞳をうるませて涙を堪える。
その情けない姿を見られないようにするためだろうか?
スクリと俊敏な動きで立ち上がって背を向ける。
「そんなの、できるわけがないだろ……」
悔しげにそう呟いたあと、部屋を出て行ってしまった。
――まさか、こんなに早くデレるとは思いもしなかった。
まぁ、悪くはない。
むしろ、いい傾向だ。
左目を犠牲にして、彼を救った甲斐があったというもの……。
私は1人になったのをいいことに、まだルドルフと繋いだぬくもりの感覚が残る右手を、ひらひらと目の前で揺らした。
「左目を失うって、こんな感じなんだ……」
右側は正常だが、左半分が真っ暗闇に覆われている。
これからずっと、右半分だけを頼りに生きていく必要があると覚悟はしていたが……。
この状況に慣れるまでは、長い時間がかかりそうだ。
――眼帯とか、したほうがいいのかな?
こういう時の正解がわからず、まぁいいかと結論を出す。
どんなに「左目を開きたい」と願っても、うんともすんとも言わない状態ならば、別に隠さなくたっていいだろうと考えたのだ。
「なんだか、なぁ……」
ルドルフはこちらが想像していた以上に、強いショックを受けているようだった。
露骨に目が見えませんなんてアピールをしていたら、もっと自分を責める可能性が高い。
――彼が精神的に強いショックを受けて戦えなくなったら、私が犠牲になった意味がない。
殿下にはどうにかして、数日以内に立ち直ってもらわなければいけなかった。
「これから、どうしようかな……」
私がフレンドリーに声をかけてルドルフを鼓舞したところで、逆効果になる。
今は、他者の力が必要だ。
できれば、その役目はお互いに信頼し合っているガザンに任せたいけれど――あの人は私を嫌っている。
そんな提案をしたところで、「ふざけてんのか?」と小馬鹿にしたような態度で吐き捨てられるだけだ。
私が頼れる唯一の相手は、1人しかいない。
それは――私の護衛騎士、フェドクスだった。
心配性な幼馴染のことだ。
彼ならきっと、そう遠くない未来にこの部屋へ姿を見せるだろう。
他の2人と背中を預け合えるようになったとは言え、完全に心を許したわけではない。
フェドクスは魔王を討伐したあと、彼らと一緒に三英雄と呼ばれるようになる。
この件をきっかけに仲良くなってくれたら、苦労せずに済むのだが……。
「そんなにうまくは、いかないかぁ……」
私は誰もいないのをいいことに、寝台の上でゴロゴロと寝転がってつかの間の休息を堪能した。
「何をしている!」
それから、どれほど時間が経過しただろう。
勢いよく外側から扉が開かれたかと思えば、腹の底から吐き出された怒声が響き渡る。
私は右目を動かし、こちらを睨みつける男性の姿を捉えた。
「安静にしていろと、言われたはずだ!」
そこにいたのは、フェドクスだった。
彼は苛立ちを隠しきれない様子でドアを閉め、大股開きでこちらまでやってきた。
――なんだか、いつも以上に機嫌が悪い……?
こういう時の幼馴染に、何を言ったって無駄だ。
私は彼が己の上へ覆い被さってきてもいいように、楽な体制を整えた。
「どうして、あんな奴を庇った」
フェドクスは案の定、私の上へ逃げられないように馬乗りになると、顔を近づけてきた。
紫色の瞳には、怒りと悲しみが交互に浮かんでは消えていく。
――ここで怯んでは、いけない。
私はその視線に受けて立ち、静かに言葉を吐き出した。
「私にしか、できないことだから」
「あいつはエミリエを、嫌悪していたんだぞ……!?」
「関係ないよ。殿下が瀕死の重傷を負っていたら、フェドクスだって助けるでしょ?」
「俺がこの剣で守るのは、エミリエだけだ」
「また、そんなこと言って……」
彼は私と初めて出会った時から、ずっと己の主張を一貫させている。
それはいずれ三英雄と呼ばれる攻略対象の中で、自分と過ごした時間が長いことも大きく影響しているのだろう。
「あいつがのたうち回っている姿を黙って見守り、見捨てるべきだった!」
「殿下の未来視は、私なんかよりもよっぽど重要視されるべき権能だよ」
「エミリエの左目のほうが、あいつなんかよりもよほど大事だ……!」
――ルドルフといい、フェドクスといい……。
心配してくれるのは嬉しいけど、声を荒らげるのは止めてほしいんだけどなぁ……。
私はこちらを鋭い眼光で睨みつける幼馴染と目を合わせ続けるのがつらくて、視線を反らした。
「左目の視力を、あいつから取り戻せ」
「何を、言っているの?」
「痛みを引き受けたのなら、それくらいできるだろう!」
幼馴染から思いがけない提案を受け、彼の真意を探るために再び目線を移動させる。
――フェドクスの怒りはいつだって外に向いていた。
義理の両親、神殿で暮らす人々、私を虐げるマリラさんや司祭……。
ここまで自分に激昂するのは初めてで、困惑を隠せない。
――彼はどうしてこんなに、怒っているのだろう?
死ぬよりは、こうして生きているほうがずっとマシだし――無能聖女の護衛騎士と呼ばれなくて済むのに……。
「左目が見えなくなったくらいで、大袈裟だよ。片目だけ残っただけ、いいと思わなきゃ。ちょっと、不便になるだけだよ」
「なぜ……!」
そんなの、こっちが聞きたいくらいだ。
こちらがどれほど「心配いらない」と口にしても、彼は聞く耳を持ってくれないのだから。
――いつもは幼馴染だけを相手にすればいいけど、今日はフェドクスと対峙する前にルドルフがいた。
普段よりも疲弊をするのは、当然とも言える。
「己の境遇を、嘆かない!? 俺の言い分が間違っているとでも言わんばかりの態度を、取るんだ!?」
「フェドクスと言い争っても、左目の視力は回復しないからだよ」
「それ、は……」
根気強く冷静に正論をぶつけ続けていると、ようやく幼馴染の勢いが収まった。
――この機会を、逃さずにはいられない。
私は彼に優しく微笑むと、乱れた髪を直すために頭部へ触れた。
「心配してくれたんだね。本当に、ありがとう」
「礼を言われるようなことは、していない」
「フェドクスがこうやって感情的に捲し立てるのって、すごく珍しいよね。びっくりしちゃった」
気持ちよさそうに目を細めてされるがままになっているあたり、幼馴染の怒りはようやく静まったようだ。
私はそれに安堵しつつ、「まるで猫のように気まぐれだな」と思いながらじゃれ合う。
「それだけ、君の行動が突拍子なかった」
「ごめんね」
「心臓に悪い。もう二度と、やるな」
フェドクスには真剣な表情で厳命されてしまったが、残念ながらそれは約束できない。
少なくともあと2回は、この力を使う必要があるからだ。
そんなふうに本音を口にしたら、幼馴染はきっと今まで以上に激昂するだろう。
ヘタをしたら、ここから一歩も外へ出してもらえなくなる。
それは困るので、曖昧に笑って誤魔化す。
その後、別の話題を切り出した。
「ガザンさんの様子、どう?」
「エミリエの行動を、気味悪がっていた」
「そっか」
ルドルフが予想通りの行動を取っているため、彼も豹変していたらどうしようかと思った。
思わぬところで情報が得られたと喜んでいたところ、紫色の瞳が露骨に歪められた。
「今、エミリエの目の前にいるのは俺だ」
「うん。知ってるよ?」
「……」
フェドクスはこちらをじっと、見つめてくる。
その姿はまるで、「他の男の話はするな」と言われているかのようだ。
「嫉妬、しているの?」
彼は無言で頷いたあと、私の上に覆い被さるのをやめる。
その後、隣に寝そべった。
視界が暗闇に閉ざされてしまった左側から抱きついてくるあたり、もしかしたらフェドクスは表情を見られたくないのかもしれない。
「あのね。お願いがあるの」
この流れながら、普段は言いづらいことを伝えられるような気がする。
そんな思いから、声を発した。




