あなただけが特別(大嘘)
「どうして私が左腕の傷を肩代わりした際、涙を流してくださったのですか」
ガザンはしばらく迷う素振りを見せたあと、どこか照れくさそうに声を発した。
「オレがあんたの立場なら、平気じゃなくても気丈に振る舞う。だったら、代わりに泣いてやろうと思ったんだよ」
「優しいのですね」
「それは、あんたのほうだろうが……」
彼はグレーの瞳を切なげに細めたあと、私の額にかかった前髪を愛おしげに撫でつけ、横に退けてくれた。
まさかガザンからこんなふうに慈愛に満ちた視線を向けられるとは思わず、戸惑いを隠せない。
「あんたはもっと早くに、怒鳴りつけるべきだった。いつまでも子どもじみたマネしてねぇで、大人になれって」
「魔王討伐には、あなたの力が必要です。これ以上、ガザンと険悪になりたくなかったので……仕方ありませんでした」
「黙ってじっと耐えているだけじゃ、何も変わんねぇぞ」
「そうですね」
「なら……」
どれほど「私の行動は間違っている」と言われても、己の歩むべき道から逸れるつもりはない。
これこそが、私の正しい道なのだ。
無理に抗う必要があるとは、思えなかった。
「時が来れば、動かざる終えない状況になります。私はそれまで、心穏やかに過ごしたいのです」
「よく知りもしねぇ野郎どもから罵倒され、無能と蔑まれる日々が、心穏やかな日常? そんなわけねぇだろ」
彼の瞳に、再び後悔の念が浮かび上がる。
ガザンは忌々しげに、言葉を吐き出した。
「こういう生活はな、地獄って言うんだよ」
「いいえ。言葉の暴力など、そよ風が吹いた程度にしか感じられません。地獄のような日々と言うのは――」
私は、思い出したくもない過去を脳裏に思い浮かべる。
光が届かない牢獄に押し込められ、痛めつけるだけでは飽き足らず、満足な食事すらも得られなかった日々。
あの時に比べたら、大したことではない。
助けを求めれば、いつだって幼馴染に救い出してもらえる環境にいたのだから……。
「息もできないほど他者から首を締めつけられ、助けを求める声すらも届かぬ場所へ幽閉され、食事すらも満足に与えられず、手足を縛られ自由を奪われる。そのような生活のことを、称するものですよ」
「まるで、体験してきたかのように言うんだな」
別に、同情されたいわけではない。できる限り重い話にならぬよう、精いっぱい配慮し、掻い摘んで話をしたところ、探るような視線を向けられてしまった。
私は気まずい気持ちでいっぱいになりながら、慌てて誤魔化す。
「――本で、読んだことがあるのです」
「その話、フェドクスは知ってんのか?」
「いいえ」
幼馴染の名前を出してきたのであれば、ただの例え話だと受け止めてくれなかったということだ。
観念して正直に応えたところ、なぜか眉を顰められてしまった。
「なんでオレに、話したんだ。あんたが一番信用してんのは、あいつじゃねぇの?」
「あなたが私の立場なら――無闇矢鱈に流布せず、心の中だけに留め、聞かなかったことにするでしょう」
似た者同士という言葉は、とても便利だ。
多くを語らずとも、考えていることが手に取るようにわかるのだから。
ただ、声に出していないのに、思考を読み取られているかのような感覚は、時に不快な感情に変化する。
「信頼されてんだか、してねぇんだか……。あんたの反応は、よくわかんねぇな」
好かれていなければ、嫌われてもいない。
そんな中途半端な状況を少しでも改善するため、ガザンは頭を下げた。
「今まで、悪かったな」
「謝罪はしないと、仰っていたはずでは?」
「左腕の傷を肩代わりした件については、謝らねぇよ」
「では、これは……」
「オレの行動のせいで、あいつを怒らせちまったから」
――押し倒されたまま謝罪を受けても、真面目に了承する気が起きないんだけどなぁ……。
ガザンは戸惑う私の視線から逃れるように、出入り口の扉へ目線を動かした。
その仕草があまりにも不自然で違和感を抱いていると、ドカドカと慌しい音が廊下から聞こえてきた。
一体、何が起きたんだろう?
魔獣の群れでも襲ってきたのかと警戒していたところ、一際大きな爆発音とともに、鍵をかけられていたはずの扉が外側から破壊されたせいだ。
「あ、あの……?」
一体何事かと目を丸くしているうちに、私に覆いかぶさっていたガザンがものすごい勢いで宙を舞い――乱入者は寝台に寝転がっていた私を抱き上げる。
そこでようやく、幼馴染が鬼の形相で辺境伯を睨みつけていることに気づく。
「いっ、てぇ……。容赦ねぇな……」
「地獄に落ちろ」
――何も、されていないよ。
落ち着いて。
私が完全にキレて手がつけられなくなっているフェドクスへ、そうした声をかける暇もない。
床に強く打ちつけてしまった結果、痛む背中を自ら擦るガザンへ地を這うような怒声を響かせた幼馴染は、当然のように彼へを向けて歩き出す。
「エミリエ。ガザンに、何もされなかった?」
「黙れ」
部屋に向かう途中、廊下で殿下と鉢合わせた。
幼馴染は初めから王族として生まれたルドルフに敬意を払うつもりはなさそうだったが、いくらキレてるからってこの対応はないだろう。
「あとは、お願いします」
「え? ああ、うん……」
私はルドルフにガザンを任せ、隣の部屋に移動した。
フェドクスは己の身体を寝台へ横たえたあと、こちらへ覆い被さってきた。
先ほどとまったく同じ光景が、再現された形だ。
だけど――。
身の危険は、感じない。
それは恐らく、長い間彼と一緒に過ごしてきた時間が影響しているのだろう。
幼馴染は紫色の瞳を潤ませ、こちらをじっと見つめた。
「この状況を目にした時、俺がどんな気持ちになったか……。想像したこともないんだろう」
「ごめんね。心配かけて」
「なぜ、抵抗しない」
「フェドクスは私に、酷いことをしないって知ってるから」
「あの男は、異性に見境なく手をかける! 下種だ……!」
「でも、無事だったでしょ?」
フェドクスはどうしても、私から「ガザンとフェドクスは同じ」だとか、「ガザンは酷い人」だという言葉を引き出したくて溜まらないようだ。
心配、嫉妬、執着心――。
自分でもコントロールできないほどに、さまざまな感情が入り混じっては消えていくせいか。
フェドクスは苦悶の表情を浮かべ、こちらへ助けを求めるかのように名前を呼んだ。
「エミリエ……」
「私はサキュバスのように、成熟した身体は持ち合わせてない。女としての魅力なんて、1ミリもないよ。だから、大丈夫」
「本気で、言っているのか」
幼馴染の言葉に頷いたところ、信じられないと言わんばかりにポツリと呟く。
「君はこんなにも美しく、可憐で、麗しい花だと言うのに……?」
フェドクスは髪の毛を口で咥え、熱っぽい瞳でこちらをまっすぐ見つめてくる。
その目の奥には、いつもと違う感情が宿っていた。
これは、愛情……?
それとも、欲望だろうか……?
どちらでも構わないが、大人の関係に発展しては困る。
私はできる限り冷静なふりをして、これ以上は駄目だと待ったをかけた。
「聖なる力に、覚醒したの。純潔を失えば……」
「そんなの、ただの迷信に過ぎない」
「フェドクス……」
「エミリエは、いつもそうだ。どんなに苦しくても、つらくても、絶対に弱音を吐かない。俺は、いつだってそばにいたのに……」
フェドクスは完全に、正気を失っているようだ。
ルドルフとガザンの豹変に耐えきれず、「エミリエを奪われるくらいならば、今すぐ俺のものにする」と言わんばかりに首筋へ顔を埋めた。
「守れなかった。君の瞳も、左腕ですら」
「ちょ……っ。く、くすぐったいよ……!」
「俺はそんなに、頼りないのか」
耳元で囁かれ、首筋に吸いつかれるたび、身を捩る。
これは洒落にならないと内心焦っていたところ、有無を言わせぬ視線が向けられる。
――それはまるで、捨てられた子犬のようで――。
ここで「そうだよ」と口にしようものなら、狂犬へ変化しそうな危なさが見え隠れしていた。
「違うよ」
「なら……」
「フェドクスにだけは、心を許せる。聖女エミリエじゃなくて、ありのままの自分でいられるの。あなただって、わかってるよね?」
「俺だけが、特別……」
フェドクスは何度も、私の口から発された言葉を反芻する。
やがて、死んだ魚のような目から紫色の瞳に輝きを取り戻すと、何度か瞬きを繰り返し、喜びを噛みしめていた。
――あと、もうひと踏ん張りだ。
私はいつもの幼馴染を取り戻すため、魔法の言葉を口にした。
「ありがとう。それと、ごめんね。もう、大丈夫だから……」
「信じて、いいのか」
彼の瞳が、不安そうに揺れている。
三度目が起きたら、今度こそ長い時間をともに過ごして得た信頼を失ってしまいそうだった。
――でも、それは仕方のないことだ。
彼らの四肢欠損を阻止するのが、私の役目なのだから……。
「うん」
両手で彼の背中を抱きしめるはずが、左腕が動かないせいで不格好になってしまった。
フェドクスは全身から力を抜き、私を押し潰すような勢いで身体へ伸しかかり、抱きしめてくる。
こうしておけば、絶対に私が抜け出せないとわかっているからなのだろう。
「何があっても、離さない」
耳元で囁かれた幼馴染の声は、まるで砂糖菓子のように甘い。
彼がやっとのことで怒りを鎮めた姿を目にして安堵した私は、「ようやくこれで一息つける」と、眠りについた。




