第90話 五連橋
翌朝――司法省。
分厚い石壁に囲まれた執務室には、朝から慌ただしく人が出入りしていた。
机の上には報告書の山。
王都爆破事件に関する資料。
各地から届いた不穏分子の情報。
貴族の一覧。
倉庫街の見取り図。
だが――
滝は、いつもの冴えを欠いていた。
「……すまん、もう一回言ってくれ」
若い司法官が、困った顔でもう一度報告を始める。
滝は眉間を押さえた。
頭に入ってこない。
昨夜から、ずっとだった。
レイスの告白。
涙を浮かべながらも、自分の気持ちを伝えたミネー。
そして――
『この国の人達が好きになったのでね』
自分の言葉まで思い出してしまう。
考えれば考えるほど眠れなかった。
しかも捜査も難航している。
情報が多すぎる。
各地の事件。
火薬。
武器。
反政府勢力。
消えた密輸船。
貴族。
点は増えているのに、まだ線にならない。
そして今朝。
いつもなら玄関まで見送りに来るミネーが姿を見せなかった。
それも妙に気になっていた。
「タキ殿」
向かいの席からミヤーノが声をかける。
「聞いていますか?」
「ああ、悪い」
滝は姿勢を直す。
だが。
「だから、それさっき聞いた」
サカンが呆れた顔をした。
「……あ?」
「同じ話、二回目だぞ」
コーナンまで苦笑している。
「今日は本当に休んだ方がいい」
滝は額を押さえた。
自分でも酷いと思う。
その時だった。
ミヤーノが静かに書類を閉じる。
「本日の会議は終了です」
「……いや、まだだろ」
「終了です」
ぴしゃりと言い切る。
そして。
「タキ殿。本日は休んでください」
「は?」
「命令です」
滝が顔をしかめる。
「そんな暇――」
「あります」
ミヤーノは即答した。
「むしろ、今のあなたでは効率が悪い」
ぐうの音も出ない。
さらにコーナンが苦笑する。
「タキ殿が帰らないと、我々も帰れません」
「サカン殿など、今日こそ早く帰りたいでしょうし」
「当然だ」
サカンは真顔で頷いた。
「これでやっと、起きている妻に会える」
滝は思わず吹き出した。
「お前、それ普通に危ないぞ」
「少しは家庭を――」
そこまで言いかけて。
滝は止まった。
脳裏に、前の世界の記憶がよぎる。
仕事ばかりだった日々。
帰宅しても、妻のいなくなった部屋。
「……いや、何でもない」
サカンが首を傾げる。
滝は誤魔化すように立ち上がった。
「分かったよ。今日は休む」
三人が露骨に安堵した顔をした。
「そうしてください」
「倒れられても困りますからな」
滝は苦笑した。
「お前ら、容赦ないな」
⸻
司法省を出る。
昼前の王都は人通りが多かった。
露店。
行商人。
荷馬車。
市場へ向かう主婦たち。
賑やかな街だ。
だが今日は、どうにも気分が乗らない。
「……酒でも飲むか」
一瞬そう思う。
だが、昼間から酒場で潰れている酔っ払いが目に入った。
赤い顔。
だらしなく笑う中年男。
滝は思わず眉をひそめる。
「……陰気な中年親父の酔っ払いとか迷惑だな」
そして。
「……俺か」
小さく苦笑した。
今の気分で飲んでも、どうせ美味くない。
ふらふらと歩く。
せっかくの休みだ。
王都観光でもしようかと思う。
だが――
「どこ行けばいいんだ……」
立ち止まる。
いつもは誰かがいた。
ハギー。
ミネー。
ユダ。
コーナン。
案内されるまま歩いていた。
一人になると、どこへ行けばいいか分からない。
その時だった。
ふと、あるものを思い出す。
「……そういえば」
王都中央を流れる大河。
その上に架かる橋。
異世界へ来てから、ずっと気になっていた。
王都の象徴ともいわれる五連橋。
⸻
キンリュウ川。
巨大な川の上に、美しい五つのアーチが連なっている。
滝は橋の前で立ち止まった。
「……やっぱり似てる」
いや。
似ているどころではない。
材質は違う。
こちらは石造りだ。
だが、構造。
曲線。
橋脚の配置。
前の世界の五連橋と、ほとんど同じだった。
橋の上を、多くの人々が行き交う。
滝はゆっくり中央まで歩いた。
川を見下ろす。
大きな流れ。
風。
水音。
そして――
脳裏に、昔の記憶が蘇る。
⸻
警察学校時代。
若かった頃。
研修で初めて見た五連橋。
教官が誇らしげに説明していた。
『江戸時代としては異常な建築技術だ』
『未だに建造方法が分からない部分もある』
あの時は、ただ感動していた。
そして。
二十数年後。
雨の夜。
佐田仁を追って橋を走った。
雷。
閃光。
異世界。
滝はゆっくり目を閉じる。
その瞬間。
警察学校時代に聞いた、ある授業の記憶が頭をよぎった。
警察学校では、過去の重大事件も教材に使われた。
四十年前の連続爆破事件。
犯人グループの犯行手口。
爆薬の調達経路。
事件の首謀者、佐田仁。
そして――
テログループやその手口についての説明。
滝の目がゆっくり開く。
「……まさか」
風が吹き抜ける。
橋の下の水面が揺れる。
滝は無意識に橋の欄干を強く握った。
点だった記憶が――
ゆっくり繋がり始めていた。




