第89話 来訪者の告白
夜。
コグシー邸の静けさを破るように、玄関の方が急に騒がしくなった。
⸻
「レ、レイス様!?」
「どうしてこのような時間に……!」
⸻
使用人たちの慌てた声が廊下に響く。
⸻
食事をしていた滝たちも顔を見合わせた。
「何事だ?」
サカンが立ち上がる。
⸻
滝たちが廊下へ出ると、そこには既にコグシーが駆けつけていた。
珍しく、本気で慌てている。
⸻
玄関には、一人の青年。
⸻
白を基調とした上質な礼装。
整った顔立ち。
金色の髪。
そして、自然と人を惹きつける空気。
⸻
レイスだった。
⸻
「突然の訪問、失礼いたします」
レイスは深く一礼する。
「どうしても、今夜お伝えしたいことがあり参りました」
⸻
コグシーが慌てて頭を下げる。
「レイス様、まずは客間へ――」
⸻
「いえ、このままで構いません」
⸻
柔らかな声。
だが、不思議と有無を言わせぬ響きがある。
⸻
そして。
レイスの視線が、ミネーへ向いた。
⸻
ミネーが小さく息を呑む。
⸻
レイスは静かに歩み寄る。
そして――
⸻
「コグシー様、いや、父上」
⸻
コグシーをそう呼び。
⸻
ミネーの前へ立った。
⸻
その手を、そっと取る。
⸻
若いメイドたちが小さく悲鳴を上げた。
⸻
「ミネー」
⸻
真っ直ぐな目だった。
⸻
「正式に、あなたとの結婚を申し込みます」
⸻
空気が止まる。
⸻
ミネーの瞳が揺れた。
⸻
「……レイス様」
⸻
困ったように微笑む。
⸻
「私は、一度婚約した身です」
「しかも、もう三十を過ぎております。」
「レイス様には、もっと相応しい方が――」
⸻
だが。
レイスは静かに首を横に振った。
⸻
「アトー侯爵のことは、私もよく知っています」
⸻
ミネーが目を見開く。
⸻
「素晴らしい方でした」
「だからこそ、あなたが今でも忘れられずにいることも理解しています」
⸻
一拍。
⸻
「それでも」
⸻
レイスは、真っ直ぐミネーを見つめた。
⸻
「私は、あなたが好きです」
⸻
誰も声を出せなかった。
⸻
「あなたの過去ごと、受け止めるつもりです」
「アトー侯爵のことも含めて」
⸻
滝は黙ってその光景を見ていた。
⸻
「本来なら、もっと正式な手順を踏むべきなのでしょう」
「ですが――」
レイスは少し照れたように笑う。
⸻
「今日は、我慢できませんでした」
「どうしても、自分の気持ちを伝えたかった」
⸻
若いメイドたちが顔を赤くしている。
⸻
嫌味ではない。
むしろ爽やかだった。
⸻
こういう台詞を自然に言えてしまう育ちの良さ。
大胆な行動を起こせる若さ。
そして、自信。
⸻
滝は苦笑する。
⸻
(……ある意味、羨ましいな)
⸻
だが。
ミネーはゆっくりと首を横に振った。
⸻
「……ありがとうございます」
⸻
その声は震えていた。
⸻
「ここまで想ってくださったこと、本当に嬉しく思います」
⸻
一拍。
⸻
「ですが――」
⸻
ミネーの視線が、滝へ向く。
⸻
滝の胸が僅かにざわつく。
⸻
そして、ミネーは再びレイスを見た。
⸻
「私には、心に決めた方がいます」
⸻
静寂。
⸻
ミネーは続ける。
⸻
「アトー様の時も……本当は」
⸻
その目に涙が滲む。
⸻
「早く結婚したかった」
「戦争へ行ってほしくなかった」
⸻
声が震える。
⸻
「ですが私は、自分の気持ちを正直に言えませんでした」
⸻
俯く。
⸻
「そして、アトー様を失いました」
⸻
コグシーが静かに目を閉じる。
⸻
「だから、もう――」
⸻
ミネーは涙を拭いながら、顔を上げた。
⸻
「自分の気持ちを誤魔化して、後悔したくないのです」
⸻
その場にいた誰もが。
⸻
ミネーの姿を、美しいと思った。
⸻
強く。
真っ直ぐで。
そして、切なかった。
⸻
レイスはしばらく黙っていた。
⸻
やがて、小さく笑う。
⸻
「……そうですか」
⸻
悲しみはある。
だが、怒りも執着もなかった。
⸻
「突然押しかけるような真似をした非礼、お許しください」
⸻
レイスは深く頭を下げる。
⸻
「お気持ちは、確かに受け取りました」
「本日は失礼いたします」
⸻
そして、そのまま静かに屋敷を後にした。
⸻
残された空気は、どこか重い。
⸻
やがて。
滝は席へ戻り、すっかり冷めたスープを口に運ぶ。
⸻
ぬるかった。
⸻
滝は小さく息を吐く。
⸻
(……レイスがもっと嫌な奴ならな)
⸻
スープを啜る。
⸻
(そしたら、こっちももっと簡単に決心できるんだが)
⸻
そんなことを思いながら。
滝は静かに、冷めたスープを飲み込んだ。




