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第88話 想い

 夜。


 王都の灯りが窓の外に広がっている。


 コグシー邸の厨房では、珍しく慌ただしい音が響いていた。



「ミネー様、本当にご自身でなさらなくても……」


 年配のメイドが困ったように言う。


 だが、ミネーは首を横に振った。


「いいのです」


 そう言いながら、鍋をかき混ぜる。


「今日は、私が作りたかったので」



 香草の香りが広がる。


 焼きたての肉料理。


 温かなスープ。


 そして、滝が気に入っていた少し濃い目の味付け。



 ミネーは小さく微笑む。


 ここ数日、滝は倒れるほど働き続けていた。


 だからこそ、せめて食事くらいは――。



 その時。


 廊下を慌ただしく走る音。



「ミネー様!」


 若いメイドが顔を出した。


「タキ様がお戻りになりました!」



 ミネーの顔がぱっと明るくなる。


「本当!?」


 エプロンを外し、嬉しそうに廊下へ向かう。



 そして――。



 玄関を見た瞬間。


 その表情が微妙に曇った。



「……あ」



 帰ってきた滝の後ろには。


 コーナン。


 そしてサカン。



 二人とも大量の書類を抱えている。



 滝は苦笑した。


「悪い」


「この後も少し仕事の話をすることになってな」



「……そう」


 ミネーは笑顔を作る。


 だが、少しだけ寂しそうだった。



 そのまま三人は部屋へ向かっていく。


 ミネーは、その背中を静かに見送った。




 部屋。



 机の上には地図と資料。


 完全に捜査会議の空気だった。



 コーナンが肩をすくめる。


「タキ殿は本当に働きすぎです」



 サカンも珍しく同意した。


「ええ。倒れたばかりでしょう」


「少しは休むべきです」



 滝は苦笑する。


「性分なんだよ」



 だが。


 サカンは少し真面目な顔になった。


「……仕事熱心なのは結構です」


「ですが、少しはミネー様のことも考えたらどうです」



 滝の動きが止まる。



 コーナンも静かに続けた。


「我々が見ていても分かります」


「ミネー様は、あなたを大切に思っている」



 沈黙。



 滝はしばらく黙っていたが――。


 やがて、小さく息を吐いた。



「……分かってるよ」



 その声は、いつもより少し低かった。



「ミネーは大事だ」


「本当に」



 サカンとコーナンが黙る。



「でも――」


 滝は窓の外を見る。


「この事件を解決しない限り、先のことなんて考えられない」



 そして、少し苦笑した。



「それに」


「レイスみたいな貴公子が花婿候補なんだろ?」



 コーナンが目を瞬かせる。



 滝は自嘲気味に笑った。


「こっちは、一度結婚に失敗した年上の中年親父だ」


「釣り合うわけないだろ」



 静かな声だった。



「……だからこそ、簡単に気持ちだけで動きたくないんだ」


「ミネーが大事だから」



 部屋が静まり返る。



 サカンも。


 コーナンも。


 何も言えなかった。



 その時――。



 扉の向こう。



 食事を運んできたミネーが、静かに立ち尽くしていた。



 頬が少し赤い。



 滝の言葉を聞いてしまったのだ。



 だが。


 その表情に浮かんでいたのは悲しみではない。



 嬉しさだった。



 ミネーは小さく深呼吸すると、何事もなかったように扉を開ける。



「お食事をお持ちしました」



 三人が振り向く。



 並べられる料理。


 だが――。



 滝の前だけ、明らかに量が違った。



 肉料理。


 滋養の強そうなスープ。


 山盛りの料理。



 サカンが吹き出しそうになる。



 コーナンも苦笑した。


「随分と差がありますね」



 ミネーは平然としている。


「病み上がりですので」



 滝は苦笑いした。


「……食べ切れるかな、これ」



 その時だった。



 コンコン、と扉が叩かれる。



 若いメイドが入ってくる。



「ミネー様」



 一礼。



「レイス様がお見えです」



 その瞬間。



 部屋の空気が、微妙に変わった。

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