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第86話 皇帝の願い

 部屋の扉が開く。


 入ってきた人物を見た瞬間、空気が変わった。


 先頭に立つのはコグシー。


 その後ろにミヤーノ。


 そして――。


 カンク17世。


 この国の皇帝その人だった。


 サカンが息を呑む。


 ミネーも目を見開いていた。


 滝は反射的に起き上がろうとする。


 だが。


 「そのままでよい」


 穏やかな声がそれを止めた。

 滝はベッドから上半身だけ起こした。


 「病み上がりであろう」


 ミネーが慌てて椅子を引く。


 「へ、陛下、どうぞこちらへ」


 皇帝は小さく頷き、ゆっくりと腰を下ろした。


 その動作には年齢相応の重さがある。


 滝とそう変わらない年代だろう。


 皇帝は苦笑した。


 「無理がきく歳ではないだろう」


 一拍。


 「私もそうだ」


 その言葉に、張り詰めていた空気が少し和らぐ。


 だが。


 サカンだけは完全に固まっていた。


 背筋を伸ばしすぎて逆に不自然になっている。


 まだ正式に皇帝へ謁見できる身分ではない。


 緊張で顔まで強張っていた。


 そんなサカンへ、皇帝が視線を向ける。


 「そなたは?」


 「は、はいっ!」


 声が裏返る。


 「さ、サカン司法官であります!」


 完全にどもっていた。


 滝は思わず苦笑する。


 「王都までの旅で世話になりました」


 「爆発事件の捜査でも助けてもらっています」


 皇帝は静かに頷いた。


 「そうか」


 「ご苦労だった」


 その一言だけで、サカンの顔が一気に赤くなる。


 「は、ははっ!」


 感激しているのが丸分かりだった。


 コーナンがいたら間違いなく笑っている。


 皇帝は再び滝を見る。


 「タキ殿」


 「今回の件、見事だった」


 「多くの犠牲が出たが、そなた達のおかげで被害の拡大は防げたと聞いている」


 滝は軽く頭を下げた。


 「俺一人の力じゃありませんよ」


 「皆が動いた結果です」


 皇帝は小さく笑う。


 「ミヤーノも同じことを言っていた」


 そして周囲を見回した。


 「本来なら、公の場で礼を言うべきなのだろうがな」


 そこで滝が口を開く。


 「侍従長の家に皇帝が来ること自体は珍しくないのでしょう」


 一拍。


 「だからこそ、人目を気にせず話ができる……ですか」


 ミヤーノが無言でこちらを見る。


 皇帝は静かに頷いた。


 「察しがいいな」


 その瞬間。


 部屋の空気が変わった。


 皇帝の目から穏やかさが消える。


 「今回の事件」


 「民を犠牲にし、社会を混乱へ陥れようとした者たちが、今も間近に迫っている」


 低い声。


 だが、その奥には強い怒りが滲んでいた。


 「私は――」


 一拍。


 「そのような者たちを、絶対に許す訳にはいかない」


 静かな怒気。


 サカンもミネーも言葉を失っている。


 皇帝は続けた。


 「ミヤーノにも協力を約束してくれたそうだな」


 「ならば、私からも頼みたい」


 そして。


 この国の頂点に立つ男が、静かに頭を下げた。


 「どうか力を貸してほしい」


 部屋が静まり返る。


 サカンが息を呑む。


 コグシーですら目を見開いていた。


 滝は、その姿を黙って見つめる。


 本来なら、雲の上の存在。


 だが今、目の前で頭を下げるその姿に――。


 ハギーと同じものを感じていた。


 立場ではなく。


 民を守ろうとする、無私の心を。


 滝は小さく笑った。


 「……こんな得体の知れない中年親父に、もったいない言葉ですよ」


 ハギーに王都への同行を求められた時と同じ言葉を返す。

 

 そして、窓の外へ目を向ける。


 夕暮れの王都。


 赤く染まる街並み。


 行き交う人々。


 その視線が、自然とミネーへ向く。


 ミネーは一瞬驚いたように目を瞬かせ――。


 すぐに、少し嬉しそうに微笑んだ。


 滝も小さく笑う。


 「ですが、できる限り協力します」


 一拍。


 「自分も卑劣な犯罪は許せない」


 そして静かに続けた。


 「――何より、この国の人達が好きになったのでね」


 その言葉だけが。


 静かな部屋に、ゆっくりと残った。

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