第75話 裸の王
浴場の扉が開く。
重い足音が響いた。
滝は何気なくそちらを見て――固まった。
思考が止まる。
「……は?」
入ってきたのは、先程まで謁見の間の玉座に座っていた男。
カンク十七世だった。
当然ながら衣服は身につけていない。
だが、あの鋭い目と頬の刀傷は見間違えようがない。
皇帝は滝を一瞥すると、何事もないように浴場へ入ってくる。
そして、そのまま湯船に肩まで浸かった。
滝は慌てて立ち上がる。
「へ、陛下――」
「そのままでよい」
低い声だった。
滝は思わず動きを止める。
湯気の向こうで、カンク十七世は静かに息を吐いた。
「ハギーを助けてくれたそうだな」
「それに、道中でも幾つか事件を解決したと聞いている」
「礼を言う」
滝は戸惑いながら頭を下げた。
「いや……俺は、できることをしただけです」
皇帝は小さく笑う。
「このような場所ですまぬな」
「本来なら、もっと正式な場を設けるべきなのであろうが」
滝は何となく理解した。
皇帝が、得体の知れない外国人と親しげに話しているところを、あまり周囲に見せたくないのだ。
しかも内容は、国家の治安や反政府組織に関わる話になる。
城の中には常に人の目がある。
だが浴場は複数あり、時間をずらして利用すれば、誰にも気づかれず会うことができる。
それに――
「ここなら、盗み聞きもされにくい」
滝が言うと、皇帝は頷いた。
「うむ」
「何より武器も隠せん」
一瞬。
二人の視線が湯の中へ向く。
そして同時に笑った。
「確かに」
滝は改めて皇帝の姿を見る。
髭こそ生やしているが、年齢は自分とそう変わらない。
だが、その身体は凄まじかった。
肩や腕に残る古傷。
脇腹の大きな裂傷痕。
火傷。
そして胸の辺りには、銃創のような痕まである。
どれだけの戦場を生き抜いてきたのか、嫌でも分かった。
一方、滝の身体にも傷は多い。
刺創。
骨折痕。
腹部には手術痕。
刑事人生で負った傷だった。
皇帝がそれを見て、静かに言う。
「そなたも、苦労があったようだな」
滝は少し視線を逸らした。
「まあ……色々と」
詳しく説明できる話ではない。
しばらく、湯の音だけが響いた。
やがて。
カンク十七世がぽつりと呟く。
「私も」
「そなたのように自由に生きてみたかった」
滝は少し驚いて皇帝を見る。
皇帝は天井を見上げたまま続けた。
「だが、多くの血を流して、ようやくこの国はまとまりかけている」
「今さら投げ出す訳にはいかぬ」
一拍。
「だから本来なら――」
皇帝は滝を見る。
「この国の問題は、この国の人間だけで解決したい」
静かな声だった。
だが、そこには確かな覚悟がある。
「そなたのような異邦人を、危険へ巻き込みたくはない」
滝は黙って聞いていた。
皇帝は続ける。
「司法卿から報告は受けている」
「各地の事件」
「不穏な動き」
「そして、そなたの力についてもな」
その目が鋭くなる。
「それを壊そうとする者たちを、許す訳にもいかぬ」
静かな怒気。
王として積み重ねてきた歳月が、その目に宿っていた。
だが次の瞬間、皇帝はふっと表情を和らげる。
「だから、そなたは少し休め」
「この国のことは、我々が何とかする」
滝は思わず苦笑した。
「皇帝にそんなこと言われるとは思いませんでしたよ」
「はは」
皇帝も小さく笑う。
「余計な世話かもしれぬがな」
「いや」
滝は肩まで湯に浸かりながら天井を見る。
「そういうの、嫌いじゃないです」
ハギーの顔が浮かぶ。
ミネー。
ユダ。
コグシー。
エフク村の人々。
ノオダの町の人たち。
この世界へ来てから出会った人間たち。
滝は静かに言った。
「俺、この国の人達が結構好きになったみたいです」
皇帝は黙って聞いている。
「だから」
「人を利用したり、踏みにじる連中は放っておけない」
「俺で役に立つことがあれば、その時は協力しますよ」
皇帝は静かに頷いた。
「感謝する」
そして、ゆっくり立ち上がる。
「生活のことはコグシーに任せておけ」
「あれは世話焼きだからな」
「確かに」
滝は思わず笑った。
カンク十七世は、そのまま浴場を後にする。
扉が閉まり、静けさが戻った。
滝は大きく息を吐く。
「……いや」
「皇帝と裸の付き合いとか、何なんだよこれ」
湯気の中で呟く。
そして。
「……あっつ」
気づけば、すっかりのぼせていた。
まったく、とんでもない国へ来てしまった。




