表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
71/90

第71話 司法卿 ミヤーノ

 川辺の夜風は静かだった。


 祭りの喧騒も、ここまで来ると遠い。


 水面に揺れる灯りだけが、ゆっくりと流れている。


 ミヤーノは滝とミネーを見比べながら、わずかに目を細めた。


 「……お楽しみ中でしたかな」


 ミネーが少しだけ気まずそうに顔をそらす。


 だが滝は平然としていた。


 「野暮は嫌いなんですがね」


 ミヤーノの口元がわずかに緩む。


 「それは失礼した」


 そして続ける。


 「ですが、殿下を一人にするほど不用心でもありませんのでな」


 滝は小さく鼻で笑った。


 「なるほど」


 「護衛としては満点だ」


 夜風が吹き抜ける。


 滝は川へ視線を向けたまま言った。


 「ですが」


 「素性の知れない外国人に頭を下げる度量のあるリーダーは、嫌いじゃない」


 ミヤーノが静かに眉を上げる。


 「ほう?」


 「それに」


 滝は続けた。


 「こういう、人に聞かれたくない話をするために、わざわざ後をつけてきたんでしょう」


 「宴の場で司法卿が俺と話していても、それほど怪しまれない」


 「立場的にも自然だ」


 ミヤーノは数秒、滝を見つめていた。


 やがて小さく笑う。


 「……なるほど」


 「コーナンが評価するわけだ」


 ミネーが少し驚いた顔をする。


 ミヤーノは改めて姿勢を正した。


 「失礼」


 「まだ正式に名乗っておりませんでしたな」


 夜風に黒い外套の裾が揺れる。


 「ミヤーノ子爵」


 「憲兵隊大将」


 「帝国憲兵隊総監を務めております」


 滝は目を細めた。


 大将。


 しかも総監。


 この国の憲兵隊を束ねる最高責任者だった。


 「コグシー殿から報告は受けております」


 ミヤーノは淡々と言う。


 「もちろん、コーナンからも」


 「気を悪くなさらぬよう」


 「職務上、確認は必要でしたのでな」


 滝は肩をすくめた。


 「当然です」


 「俺も組織の人間でしたからね」


 「自分でもそうする」


 ミヤーノは少しだけ目を細める。


 「……やはり、そうですか」


 滝は苦笑した。


 「今さら素性調査ですか?」


 「まあ、トップが直々にやる仕事じゃない」


 「それに、仮に全部話したところで信じられないでしょうし」


 滝は夜空を見上げた。


 「俺自身、思い出せないこともある」


 「だから今さら、詳しく話す気もありません」


 ミヤーノは否定も肯定もしなかった。


 ただ静かに言う。


 「これまでの働きを見れば、貴殿が祖国で優秀な治安担当者だったことは疑いようがない」


 「そして」


 「皇女殿下から深く信頼されている」


 ミネーが少しだけ表情を引き締めた。


 川の流れる音が静かに響く。


 ミヤーノは声を落とした。


 「……ゆえに、ここだけの話を」


 その目が、わずかに鋭くなる。


 「仮に貴殿が敵側だった場合」


 「私は今、非常に危険な話をしようとしている」


 少しの沈黙。


 滝は表情を変えなかった。


 「なら」


 「見る目がなかったってことだ」


 ミヤーノは数秒黙り――やがて低く笑った。


 「はは……なるほど」


 「やはり面白い方だ」


 そして表情を戻す。


 「コグシー殿からの報告どおり」


 「現在、帝国内で国家転覆を目論む組織の存在が確認されています」


 滝の目が細くなる。


 「各地で不穏な情報が上がっている」


 「武器の流通」


 「資金移動」


 「扇動」


 「失踪した職人」


 「地方官への接触」


 「ですが――」


 ミヤーノはわずかに眉を寄せた。


 「組織の中枢が見えない」


 「計画の全容も掴めておりません」


 滝は黙って聞いていた。


 「憲兵隊の多くは、元々国軍出身です」


 「治安維持や近代的な犯罪捜査に不慣れな者も多い」


 「正直、苦戦しております」


 ミヤーノは滝を見る。


 「王都へ到着後」


 「ぜひ憲兵隊へ入っていただきたい」


 「そして、この件の捜査へ協力していただきたいのです」


 少しの沈黙。


 川面を渡る風が、制服の裾を揺らした。


 滝は静かに息を吐く。


 「理由は分かりました」


 「ハギーや、この国の平穏のためなら協力はします」


 ミヤーノの目がわずかに動く。


 「ですが」


 滝ははっきりと言った。


 「憲兵隊には入りません」


 ミネーが滝を見る。


 ミヤーノも表情を変えない。


 「高待遇は保証しますが」


 「そういう話じゃない」


 滝は即座に返した。


 「いきなり素性も分からない人間が、捜査幹部として国の根幹に関わる事件を指揮する」


 「そんな状況で、誰が本気でついてきます?」


 ミヤーノは黙って聞いている。


 「現場は必ず反発する」


 「敵対勢力にも利用される」


 「下手をすれば、俺を引き込んだあなたごと失脚だ」


 滝の口調は淡々としていた。


 だが、その言葉には現場を知る人間の重みがあった。


 「だったら俺は、外から自由に動ける立場で協力したい」


 そして。


 滝は右腕へ視線を落とした。


 紺色の袖。


 擦れた布地。


 そこに縫い付けられた、日本の警察官であることを示す旭日章。


 元の世界から持ち込まれた、唯一の誇りだった。


 「……色々ありますけどね」


 「俺は、この制服に誇りを持ってる」


 ミヤーノはしばらく黙っていた。


 やがて、小さく頷く。


 「なるほど」


 「その考え方は嫌いではない」


 夜風が静かに吹き抜ける。


 「分かりました」


 「ならば無理には勧誘しません」


 ミヤーノはゆっくり背を向けた。


 「ですが、王都ではお待ちしております」


 「滝殿」


 星三つの階級章が、夜の闇へ溶けていく。


 やがて、その姿は祭りの灯りの向こうへ消えた。


 残された滝は、小さく息を吐く。


 その横で。


 ミネーが静かに滝の横顔を見ていた。


 普段は軽口を叩き、どこか飄々としている。


 だが、その瞳はもう事件を追う刑事のものだった。


 「……随分と、大きな話になってまいりましたわね」


 滝は苦笑する。


 「嫌な予感しかしないな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ