第70話 祭りの夜
エフク村は、まるで別の村のようだった。
河川敷には灯りが並び、焚き火の煙と焼いた肉の匂いが漂っている。
笑い声。
酒を酌み交わす声。
子どもたちのはしゃぐ声。
数日前まで村を覆っていた重苦しい空気は、もうどこにもなかった。
祈祷師たちは憲兵隊に連行され、供物として集められていた穀物や金銭、祈祷師たちが蓄えていた財産は、工部卿と司法卿の立ち会いのもと確認された後、村の管理下へ戻されることになった。
その知らせだけで、村人たちは泣いて喜んだ。
「今年は腹いっぱい食えるぞ……!」
「子どもに靴を買ってやれる……!」
「酒だ! 今日は飲め!!」
村長は既に真っ赤な顔で泣いている。
工部卿は苦笑しながら酒を勧められていた。
一方、司法卿は相変わらず表情を変えず、淡々と杯を断っている。
そんな中。
村の広場では、一本の若木が植えられていた。
「これは、皇女殿下ご来村の記念樹です!」
村長が誇らしげに言う。
村人たちが拍手する。
ハギーは困ったように笑った。
「まあ……大げさですわ」
「そんなことはありません!」
「殿下が来てくださらなければ、村は今も騙されたままでした!」
ハギーは少しだけ視線を伏せた。
「……皆様が勇気を出してくださったからです」
その視線の先には、ヒラカがいた。
ヒラカは慌てて頭を下げる。
「わ、私は……」
「何も……」
ハギーは優しく微笑む。
「いいえ」
「あなたが話してくださらなければ、わたくしたちは何も気づけませんでした」
ヒラカは言葉を失った。
その時。
ヒラカがおずおずと袋を差し出した。
「……あの」
「これ……」
中には銀貨が入っていた。
「供物のために借りたお金です」
「返します」
ハギーが目を瞬かせる。
「ですが、あれは――」
「受け取れません」
ヒラカは頭を下げた。
そこへ。
滝が静かに口を開いた。
「ヒラカ」
ヒラカが顔を上げる。
「お前が勇気を出して話したから、事件は解決した」
「……え」
「黙ってりゃ、俺たちは村を出てた」
滝は淡々と言った。
「祈祷師どもは、今も供物を集め続けてたかもしれん」
ヒラカの目が揺れる。
「だからそれは、“施し”じゃない」
「お前が村を救った褒美だ」
「堂々と受け取れ」
ヒラカは言葉を失っていた。
その隣で、ミネーが優しく頷く。
「そうしてくださいな」
「これは皆で解決した事件ですもの」
ヒラカの目から涙がこぼれ落ちた。
「……はい」
オオトは既に肉へかぶりついている。
「うめぇ!!」
「おいオオト! 喉に詰まるぞ!」
村人たちの笑い声が広がった。
ヒラカとのやり取りが終わった直後だった。
ミネーはすぐに村の若い男たちに囲まれる。
「ミネー様! こちらのお酒をぜひ!」
「いや、こっちの料理も!」
「王都の貴族様って、本当に綺麗なんだなぁ……」
ミネーは困ったように笑っている。
「まあ……ありがとうございます」
一方。
ハギーは村長や村の有力者たちに囲まれていた。
「殿下! ぜひ来年も!」
「この村は永遠に殿下を歓迎いたします!」
コーナンもまた、村娘たちに酒を注がれている。
「将校様、どうぞ!」
「……あ、ああ」
まんざらでもなさそうだった。
憲兵たちもすっかり宴へ溶け込んでいる。
「おおっ、こりゃ美味い!」
「もっと食え!」
「遠慮するな!」
皆が宴の輪の中心にいる。
その中で。
滝だけが、自然と隅へ追いやられていた。
少し離れた場所から、ミネーの様子を見ていた滝は眉をひそめる。
(……なんだあれ)
(……囲まれすぎだろ)
その時。
「若い男というのは、いつの時代も分かりやすい」
背後から声がした。
振り向くと、コグシーが立っていた。
「俺は若くないですよ」
滝がぼそりと言う。
コグシーは楽しそうに笑った。
「そういう話ではありません」
滝は小さく舌打ちした。
「俺は、ああいう騒がしいの苦手なんですよ」
「ほう?」
「刑事なんて仕事してると、静かな方が落ち着く」
そう言って、滝は宴の輪からそっと離れた。
河川敷の端。
川の流れる音が聞こえる場所まで来る。
夜風が少し冷たかった。
「逃げましたわね」
後ろから声がした。
振り向く。
ミネーだった。
「……主賓の一人だろ」
「いいんですの」
ミネーは悪戯っぽく笑う。
「休憩くらい」
滝は苦笑した。
「人気者だな」
ミネーは少しだけ目を丸くする。
そして。
滝が少し不機嫌そうにしている理由へ気づいた。
(……まあ)
胸の奥が、ふわりと温かくなる。
ミネーは笑みを堪えるように、そっと川へ視線を向けた。
「……ありがとうございます」
「何がだ」
「秘密です」
ミネーはくすりと笑った。
二人は並んで川を見る。
祭りの喧騒が遠く聞こえる。
静かな時間だった。
やがて。
ミネーが小さく口を開いた。
「……嬉しかったですわ」
「何がだ」
「祈祷師に誘われた時」
ミネーは滝を見る。
「“大事な人”と、言ってくださいましたでしょう?」
滝は少しだけ目を逸らした。
「ああ」
「あれは本心ですの?」
「当然だろ」
滝は即答した。
ミネーが目を見開く。
そして少しだけ頬を赤くした。
二人の視線が重なる。
その時だった。
砂を踏む足音。
ゆっくりと近づいてくる。
二人が振り向く。
そこに立っていたのは司法卿だった。
月明かりの下。
金色の星三つが静かに光っている。
月明かりを背にしたその姿は、祭りの賑わいだけを静かに切り裂くようだった。
司法卿は二人を見たまま、淡々と言った。
「……お楽しみ中でしたかな」
ミネーがわずかに滝から離れる。
だが司法卿は気にした様子もない。
「滝殿」
「少々、お話が」




