第69話 祭りのあと
河川敷に集まっていた村人たちのざわめきは、まだ収まっていなかった。
供物はいらない。
川の神がそう告げた。
祈祷師本人の口から。
その衝撃が、村全体を揺らしていた。
その時だった。
ガラガラ、と重い車輪の音が近づいてくる。
黒い旗を掲げた大型馬車。
周囲を騎馬の護衛が囲んでいる。
昨夜のうちに、コグシーが王都へ急使を送り、工部卿と司法卿を招いていたのだ。
コーナンが目を細めた。
「来たか」
馬車が河川敷の前で止まる。
扉が開いた。
最初に降りてきたのは、壮麗な正装を纏った貴族だった。
年は五十前後。
灰色混じりの髪。
胸元には帝国の紋章を象った金飾り。
続いて、憲兵隊の制服を着た初老の男が降り立つ。
鋭い目。
皺の刻まれた顔。
そして何より、胸には金色の階級章――憲兵隊最高幹部を示す三つ星が輝いていた。
河川敷の空気が張り詰める。
コーナンとサカンが同時に姿勢を正した。
男たちは迷いなくハギーとコグシーの前へ進み、深々と跪く。
「工部卿、皇女殿下のお召しにより参上いたしました」
正装の男が恭しく頭を下げる。
続いて憲兵の男。
「司法卿、同じく参上いたしました」
その場の村人たちは完全に固まっていた。
“卿”。
帝国中枢の人間。
そんな存在が、この辺境の村へ現れるなど誰も想像していない。
ハギーは静かに頷いた。
「遠路ご苦労様でした」
「急なお呼び立てにも関わらず、感謝いたしますわ」
二人は再び深く頭を垂れた。
そして。
ハギーが静かに前へ出る。
「工部卿」
「はっ」
「キンリュウ川の河川工事について、皆へ説明して差し上げてくださいませ」
工部卿が目を瞬かせる。
「この村の民へ、でございますか?」
「ええ」
ハギーは穏やかに頷いた。
「皇帝陛下の治世と、税の使い道を民へ説明するのも、国家の務めですわ」
「民の理解なくして、良き統治は成り立ちませんもの」
工部卿は深く一礼した。
「承知いたしました」
そして村人たちへ向き直る。
「まず、キンリュウ川ですが――」
説明は驚くほど分かりやすかった。
上流域の地図。
洪水が起きる仕組み。
雨季の水量変化。
現在建設中の堤防。
水門。
流路変更。
どの工事が、どの地域へどう影響するか。
専門用語を避けながら、工部卿は丁寧に説明していく。
村人たちは次第に顔を上げ始めていた。
「じゃ、じゃあ……」
老人が震える声を出す。
「工事が終われば、洪水は……?」
「完全には防げません」
工部卿は即答した。
「ですが、被害は大幅に減ります」
「少なくとも、“毎年大量の供物を捧げねば村が滅ぶ”などという状況ではなくなるでしょう」
ざわめきが広がった。
「じゃあ……」
「俺たち、騙されて……」
「供物を……」
村人たちの視線が祈祷師たちへ向く。
祈祷師たちは顔面蒼白だった。
「詐欺だ!」
誰かが叫んだ。
「こいつら、俺たちを騙してやがったんだ!」
「憲兵隊! 捕まえろ!!」
怒号が広がる。
だが。
滝は静かに口を開いた。
「……やっていることは、ほとんど詐欺だ」
村人たちが滝を見る。
「だが、“詐欺罪”として立件するのは簡単じゃない」
「え……?」
「供物を捧げれば洪水が防げる」
「それを本気で信じていたと言われれば、立証は面倒になる」
村人たちが困惑する。
その時だった。
司法卿が一歩前へ出る。
「信仰の自由は、帝国憲法で認められております」
冷たい声だった。
「かつて宗教戦争で、多くの血が流れました」
「ゆえに国家は、何を信じるかではなく、その行為を裁きます」
村人たちが押し黙る。
司法卿は淡々と続けた。
「洪水への不安」
「周囲への同調」
「皆が従っているという安心」
「疑問を持ちながら、目を逸らし続けた結果がこれです」
その声には容赦がなかった。
「彼らだけが村を壊したのではない」
「貴様らもまた、彼らをここまで増長させた」
村人たちは何も言い返せなかった。
重苦しい沈黙。
その時。
村人の一人が祈祷師を指差した。
「じゃ、じゃあこいつらはどうなる!?」
司法卿が視線を向ける。
「……こちらは別件です」
祈祷師たちの顔が凍りついた。
「な……?」
「治水工事現場における強盗致傷」
「帝国刑法違反である」
村人たちがざわつく。
司法卿は淡々と続けた。
「上流の河川工事現場にて、共に働いていた人夫を襲撃」
「金銭と資材を強奪して逃走した」
「被害者は重傷」
祈祷師が叫ぶ。
「ち、違う! あれは――」
「黙れ」
司法卿の一言で空気が凍った。
「貴様らは工事現場で、キンリュウ川の治水計画を知った」
「そして工事の情報が届いていない下流の村へ潜伏」
「洪水への不安を利用し、供物を集め始めた」
村人たちの顔色が変わる。
「つまり最初から……」
「俺たちを騙すつもりで……」
司法卿は冷たく頷いた。
「そういうことだ」
「連行しろ」
憲兵たちが一斉に動く。
「や、やめろ!!」
「離せぇぇ!!」
祈祷師たちは、川へ投げ込まれた時の命綱を引きずられたまま連行されていく。
全身ずぶ濡れ。
泥まみれ。
もはや神秘性など欠片もなかった。
村人たちはただ、その姿を見ている。
長年恐れていた存在が、ただのみじめな犯罪者として引き立てられていく光景を。
やがて。
祭壇の火が静かに消えた。
川のせせらぎだけが響いている。
誰も喋らなかった。
長い祭りが、ようやく終わったのだった。
そして村人たちは、初めて”神”ではなく、自分たちの未来へ目を向け始めるのだった。




