第65話 川の使い
チリン――
鈴の音が近づいてくる。
宿の食堂にいた客たちが、一斉に口を閉ざした。
空気が変わる。
さっきまで小さく響いていた話し声すら消えた。
やがて入口の扉が開く。
冷たい夜風と共に、数人の男たちが入ってきた。
先頭にいたのは、太った男だった。
白と青の派手な法衣。
金糸の刺繍。
首には大きな数珠。
だが腹は突き出し、指には脂が光っている。
神官というより、儲かった商人だった。
後ろに続く男たちも酷い。
粗暴な顔。
開いた胸元。
腰には棍棒。
不良者にそれらしい服を着せただけにしか見えない。
滝は静かに観察していた。
「……あれが祈祷師か」
ユダが露骨に顔をしかめる。
宿の主人は慌てて駆け寄った。
「お、お待ちしておりました……!」
主人は震える手で小袋を差し出す。
祈祷師は中身を確かめ、鼻を鳴らした。
「ふむ」
「今月分としては少ないな」
「も、申し訳ありません……!」
「川の神は寛容ではないぞ?」
祈祷師はわざとらしく言った。
周囲の村人たちは、俯いたまま誰も逆らわない。
滝はその様子を見ながら、ゆっくり酒を口にする。
祈祷師の目が食堂を見回す。
そして止まった。
「ほう……」
視線の先にはミネーがいた。
旅装ではあるが、隠しきれない気品がある。
祈祷師は下卑た笑みを浮かべながら近づいた。
「これは美しいお方だ」
「旅人か?」
ミネーは笑みを崩さない。
「ええ」
「もしお困りなら、我らの館で神の加護を受けるという手もありますぞ」
後ろの男たちが下品に笑う。
「館には客人用の部屋もありますのでな」
「きっと満足していただけますぞ」
ミネーの眉がわずかに動いた。
その時。
「悪いが」
滝が椅子にもたれたまま口を開く。
「胡散臭い宗教に、大事な人を預ける趣味はなくてね」
食堂が静まり返る。
祈祷師の顔が引きつった。
ミネーは一瞬だけ目を見開く。
だが何も言わない。
ただ静かに視線を落とした。
「……何?」
祈祷師が低く言う。
滝は面倒そうに続けた。
「神の使いって割には、腹の出方が俗っぽすぎる」
「供物より、自分の食い扶持を減らした方が早いんじゃねえか?」
ユダが吹き出しかけ、咳払いで誤魔化す。
ハギーは手を口元へ当てながら、小さく肩を震わせていた。
祈祷師の後ろの男たちが前へ出る。
「てめぇ――」
だが祈祷師は手で制した。
「よい」
その目は笑っていない。
「旅人風情に言われる筋合いはない」
そう言って踵を返しかけ――
ヒラカに気づいた。
「……ヒラカ」
ヒラカの肩が震える。
「供物の件、忘れてはおるまいな?」
「……はい」
「明後日の儀式までだ」
祈祷師は薄く笑った。
「用意できぬなら、前にも言った通り」
「お前には我らの館で働いてもらう」
オオトが顔を上げる。
「やめろ!」
だが男の一人に睨まれ、言葉を飲み込んだ。
祈祷師は満足そうに笑う。
「村の平穏のためだ」
「川の神もお喜びになる」
そう言い残し、男たちは鈴を鳴らしながら去っていった。
扉が閉まる。
重苦しい沈黙が残った。
ヒラカは俯いたまま、小さく言う。
「……仕方ないんです」
オオトが悔しそうに拳を握る。
「姉ちゃん……」
「供物、もう払えないから」
ヒラカは無理に笑った。
「今年は銀貨五枚も必要なんです」
「母の薬代も払えないのに……」
食堂が静まり返る。
滝は静かに尋ねる。
「“働く”ってのは、何をするんだ?」
ヒラカは答えなかった。
だが、その沈黙だけで十分だった。
滝はグラスの酒を一気にあおる。
そして静かに言った。
「その必要はない」
ヒラカが顔を上げる。
「え……?」
滝はゆっくり空になったグラスを卓へ置いた。
「ちょっと考えがある」
滝は祈祷師たちが去った扉を見る。
その目は、事件を追う刑事の目だった。




