第63話 川沿いの村
ガナトを発って三日目の夕暮れだった。
街道の脇を、大河が静かに流れている。
キンリュウ川――王都へ続く交易路の要だと、コーナンが誇らしげに語っていた。
赤く染まった水面の向こうで、水鳥が低く飛ぶ。
風に揺れる麦畑。
青々とした菜園。
道端には収穫された野菜が積まれていた。
戦火の煙も、焼け跡もない。
だが。
「……妙だな」
滝が小さく呟いた。
作物は育っている。
畑も荒れていない。
それなのに、村人たちの顔色が悪かった。
痩せている。
服も擦り切れていた。
畑帰りの男たちは俯き、子どもたちにも活気がない。
空腹の村の顔だった。
「エフク村だ」
先頭を行くユダが言う。
「王都までは早馬なら一日ほどだが、近くに宿場町がある」
「だから旅人はあまり立ち寄らん」
ハギーが興味深そうに周囲を見回す。
「では、村の方々だけで暮らしているような場所なのですね」
「そういうことだ」
今回は、ハギーが訪れたことのない村を見てみたいと希望したため、エフクで宿を取ることになった。
村の入口を抜けると、小さな宿屋が見えた。
木造二階建て。
古いが、丁寧に手入れされている。
一行が荷を降ろし始めた、その時だった。
ガサッ――
滝の荷袋が不自然に揺れた。
次の瞬間、小さな影が飛び出す。
「――っ!」
痩せた少年だった。
荷袋を抱えたまま脇道へ駆け出す。
「待て!」
ユダが即座に動いた。
少年は必死に逃げる。
だが数歩で追いつかれ、首根っこを掴まれた。
「離せよ!」
荷袋が落ち、中身が地面に散らばる。
乾燥肉。
包帯。
滝の白い鑑識手袋。
少年は悔しそうに唇を噛んだ。
「盗みか」
ユダの声は厳しい。
「この辺りでも、罪は罪だ」
滝は少年を見ていた。
十歳くらい。
細い腕。
乾いた唇。
だが目だけは鋭かった。
生きるために噛みつく獣の目だ。
「名前は?」
滝がしゃがみ込む。
少年はしばらく睨み返し、やがて小さく吐き捨てた。
「……オオト」
「家族は?」
「関係ないだろ」
その時だった。
「オオト!」
女の声が響く。
薪を背負った少女が駆け寄ってきた。
十七、八ほど。
痩せてはいるが、整った顔立ちだった。
彼女はオオトを見るなり顔を青くする。
「ご、ごめんなさい!」
深々と頭を下げた。
「弟がご迷惑を……!」
「姉か?」
「……はい。ヒラカです」
オオトは顔を背けた。
「うるせえよ……」
滝は姉弟を見比べる。
姉も痩せていた。
だが服は丁寧に繕われている。
貧しくても、誇りを捨てていない。
そんな印象だった。
周囲では、村人たちが不安そうにこちらを見ていた。
ざわざわと小さな声が広がる。
「盗みか……」
「また問題を起こしたのか」
「勘弁してくれ……」
小さな村だ。
噂はすぐに広がる。
ヒラカの顔がさらに青ざめた。
その空気を察したハギーが、ふと微笑む。
「あら?」
全員の視線が向く。
「この子、落とし物を拾ってくださったのではありませんか?」
オオトが目を丸くした。
ミネーも穏やかに頷く。
「ええ、きっと驚いて逃げてしまわれたのですね」
「知らない旅人に囲まれたら、怖くなってしまいますもの」
村人たちがざわつく。
ユダが眉をひそめた。
「……ハギー様」
「よろしいではありませんか」
ハギーは優雅に笑う。
「荷物も無事でしたし」
そして小さな革袋を取り出した。
「届けてくださったお礼ですわ」
そう言って、中から銀貨を数枚取り出す。
「え――」
ヒラカが言葉を失う。
「そんな、受け取れません!」
「どうかお気になさらず」
ハギーはそっと彼女の手へ銀貨を握らせた。
「温かい食事でも召し上がってくださいな」
ヒラカは困惑しながら何度も頭を下げる。
「……ありがとうございます」
オオトは何も言わなかった。
ただ、銀貨を見つめる目だけが揺れていた。
◆
宿へ入ると、木の香りと茶葉の匂いが漂っていた。
滝は窓際の席へ腰を下ろす。
窓の外では、夕暮れのキンリュウ川がゆっくりと流れていた。
宿の主人が湯気の立つ茶を運んでくる。
「旅の方ですかな?」
「ああ。王都へ向かってる」
主人は愛想よく笑った。
だが目の下には深い隈がある。
滝は茶を口にしながら尋ねた。
「この辺りは豊かそうだな」
「畑もよく育ってる」
「ええ、おかげさまで」
主人は頷いた。
「今年は実りも悪くありません」
「……なのに、皆さん苦しそうですね」
ミネーが静かに言う。
主人の笑みが一瞬だけ固まった。
「まあ……色々、入り用でして」
「入り用?」
滝が聞き返す。
主人は少し視線を逸らした。
「その……」
言いかけて、奥の厨房を振り返る。
「ああ、いけない」
「夕食の支度がありますので」
主人はそう言うと、どこか逃げるように奥へ引っ込んだ。
滝は黙ってその背を見送る。
「……隠してるな」
サカンが低く呟いた。
「ええ」
コグシーも静かに頷く。
「村人全体が、何かを恐れているように見えます」
外では、夕闇の中をキンリュウ川が静かに流れていた。
だが――
この村を覆う重苦しい空気の正体を、滝たちはまだ知らない。




