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第42話 荒れる甲板

 甲板の中央。


 人垣ができていた。


 その中心で、筋骨隆々の男が若い女の腕を乱暴に掴んでいる。


 「離して……!」


 女は必死にもがく。


 だが、男の腕はびくともしない。


 酒臭い息が周囲に漂っていた。


 荒い呼吸。


 力任せの手つき。


 完全に酔っている。


⸻


 「……やめなさい」


 ミネーが一歩前へ出た。


 静かな声だった。


 だが、その言葉には揺るがぬ強さがあった。


 男がゆっくりと視線を向ける。


 「……あ?」


 ミネーは怯まない。


 「その手を離しなさい」


 真っ直ぐ見据えて告げる。


 男はにやりと笑った。


 「いい女だな」


 「お前も来いよ」


 距離を詰めようとした、その瞬間――


⸻


 滝が動いた。


 男とミネーの間へ滑り込み、進路を塞ぐ。


 「やめとけ」


 低い声だった。


 男は舌打ちする。


 「なんだお前」


 滝は視線を逸らさない。


 「手を離せ」


 短く言い放つ。


 男は鼻で笑った。


 だが、その一瞬だけ腕の力が緩む。


 女はその隙を逃さず腕を引き抜き、よろめきながら人垣の後ろへ逃れた。


 男は舌打ちし、今度は滝へ向き直る。


⸻


 二人の身体がぶつかる。


 男の力は圧倒的だった。


 滝は押し込まれ、一歩、また一歩と後退する。


 靴底が甲板を滑り、ぎしりと板が軋んだ。


 腕に重みがのしかかる。


 このままでは体勢を崩される――


⸻


 その時だった。


 「ガウッ!!」


 ポリスが一直線に飛び込んだ。


 低く身を伏せたまま男の脛へ食らいつく勢いで突進する。


 「っ!? やめろ!!」


 男は思わず腰を引いた。


 視線が完全にポリスへ向く。


 その一瞬の隙。


 滝は踏み込み、体勢を入れ替えた。


 押し返す。


 今度は男の方が後退した。


 「……そこまでだ」


 低く言い切る。


 男は動けない。


 視線はポリスに釘付けだった。


 酒の勢いは完全に消えている。


 「……ちっ」


 舌打ちしながら後ずさる。


 「覚えてろ」


 吐き捨てるように言い残し、そのまま人混みの中へ消えていった。


⸻


 人垣がゆっくり解けていく。


 甲板に静けさが戻った。


 滝は一歩下がり、大きく息を整える。


 その横では、ポリスが低く唸ったまま男の去った方向を睨み続けていた。


 完全に護衛の顔になっている。


 ユダもすでにハギーの前へ立ち、一歩たりとも動かない。


⸻


 助けられた女が震えながら頭を下げた。


 「ありがとうございます……!」


 ちらりとポリスを見る。


 そして滝へ視線を移す。


 滝は小さく息を吐いた。


 「……助かったな」


 ポリスは一度だけ尻尾を振る。


 それだけで十分だった。


⸻


 ミネーが女の前へ歩み寄る。


 「大丈夫ですか」


 優しく問い掛ける。


 女は何度も頷いた。


 まだ震えは止まらない。


 少し間を置いてから、ミネーは静かに尋ねた。


 「……お一人なのですか?」


 女の目が揺れる。


 「はい……」


 小さく答えた。


 「一人旅は危険です」


 「戦が終わったとはいえ、まだ世の中は穏やかではありません」


 女は俯いた。


 しばらく黙ったあと、小さく口を開く。


 「……主人を探しているんです」


 滝が視線を向けた。


 「主人?」


 「はい……夫です」


 女は頷く。


 「鉄砲鍛冶で……腕はいいんです」


 「ガナトなら仕事があると言われて向かったのですが……」


 そこで声が震えた。


 「それきり、一度も帰って来なくて……」


⸻


 ミネーの表情がわずかに曇る。


 滝は静かに尋ねた。


 「いつ頃の話だ」


 「少し前です」


 「報酬がいい仕事だと聞いて……」


 「でも、連絡もなくて……」


 再び沈黙が流れる。


 滝とミネーは互いに目を合わせた。


 「……ガナトか」


 ミネーも静かに頷く。


 「繋がっていますね」


⸻


 ユダは周囲を警戒していた。


 異変はない。


 だが、空気は確かに変わっている。


⸻


 ハギーが船首の方を見つめ、小さく呟いた。


 「……ガナトが見えてきました」


⸻


 風が帆を膨らませる。


 船はゆっくりと港へ近づいていく。


 ガナトへ。


 次なる舞台へ。


 そして――


 事件の中心へ。

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