第36話 消えた帳簿
寝室。
扉が閉まる。
外の音は、完全に遮断される。
静寂。
総督が、ゆっくりと振り返る。
「……いい場所だろう」
満足げな声。
ユダは何も答えない。
ただ、視線を向ける。
部屋の造り。
配置。
動線。
――その時。
脳裏に、声がよぎる。
「立場があって、人に汚れ役をやらせる奴はな」
滝の声。
「臆病だ」
「だから信用しない」
「大事なものは、遠くに置かない」
「自分の目の届くところに置く」
短い言葉。
――思考は、それで十分だった。
総督が、距離を詰める。
「随分と、積極的だな」
手が伸びる。
そのまま――
抱き寄せる。
瞬間。
ユダの視線が、胸元に落ちる。
細い鎖。
揺れる――鍵。
(……やはり)
確信。
総督は気づかない。
むしろ――笑う。
「いいな」
「そういうのは嫌いじゃない」
腕に力が入る。
その瞬間。
ユダが動く。
流れるように。
身体を入れ替える。
重心を崩す。
――そのまま。
押し倒す。
ベッドへ。
総督の背が沈む。
「……はは」
驚きよりも、愉悦。
「大胆だな」
笑う。
そのまま――
ユダの手が動く。
一方の手で、枕を掴む。
顔へ――押し当てる。
同時に。
もう一方の手。
迷いなく。
首筋へ。
――頸動脈。
正確に押さえる。
「……っ!?」
声は、潰れる。
もがく。
だが――
数秒。
それで十分だった。
力が抜ける。
沈黙。
ユダは、すぐに離れる。
呼吸を確認する。
問題なし。
次。
鍵を外す。
部屋を見る。
滝の言葉。
――目の届くところ。
壁。
装飾。
わずかな違和感。
見つける。
隠し金庫。
鍵を差し込む。
開く。
中。
帳簿。
分厚い紙束。
迷わず取る。
閉める。
鍵を戻す。
痕跡は残さない。
総督は、動かない。
ユダは一度だけ視線を落とす。
確認。
そのまま――
音もなく、部屋を出る。
夜は、変わらない。
だが――
すべては、動いた。
――しばらくして。
総督の意識が戻る。
荒い呼吸。
状況が、繋がる。
跳ね起きる。
胸元。
鍵。
ある。
だが――
嫌な予感。
壁へ。
隠し金庫を開ける。
中を、見る。
――空。
沈黙。
顔から、血の気が引く。
「……っ」
声にならない。
理解する。
遅すぎる。
すでに――
奪われている。




