第24話 火種
静かな部屋だった。
窓は閉ざされ、外の音はほとんど届かない。
机と椅子。
それだけの、簡素な空間。
⸻
下士官は、そこに座っていた。
縄はかけられているが、暴れる様子はない。
どこか――
吹っ切れたような顔だった。
⸻
机の上には、押収品が並べられている。
短剣。
小物。
そして――
ひとつの袋。
⸻
「……聞きたいことがある」
滝は向かいに立つ。
グラドも、壁際で腕を組んでいる。
⸻
下士官は、わずかに笑った。
「だろうな」
⸻
「なぜ、あそこまでやった」
単刀直入に聞く。
「町を混乱させてまで」
⸻
下士官は視線を落とす。
少しだけ考え――
やがて、口を開いた。
⸻
「最初は、ただの金だった」
⸻
淡々とした声。
⸻
「戦が終わって、全部が変わった」
「仕事も、立場も、価値もな」
⸻
「兵隊崩れが溢れた」
「行き場のねぇ連中がな」
⸻
「そいつらをまとめりゃ、金になる」
「それだけの話だ」
⸻
「……それだけで、あの規模にはならない」
滝は言う。
⸻
一瞬の沈黙。
⸻
下士官が、ゆっくりと顔を上げた。
⸻
「……ああ」
⸻
「“話”を持ってきた奴がいる」
⸻
空気が、わずかに変わる。
⸻
グラドの眉が動く。
⸻
「どんな話だ」
⸻
「混乱を起こせ、ってよ」
鼻で笑う。
⸻
「人の流れを乱せ」
「物を動かせ」
「そうすりゃ、いくらでも買ってやるってな」
⸻
滝の視線が、机の袋に落ちる。
⸻
指先で、わずかに引き寄せる。
⸻
「……これでやり取りか」
⸻
下士官は肩をすくめる。
⸻
「ああ」
⸻
「決まった場所に置かれてるだけだ」
「仕事が終われば、そこから持っていく」
⸻
「顔も見てねぇ」
「間に何人も入ってる」
⸻
滝の指が止まる。
⸻
袋の端。
⸻
焼き印。
⸻
――どこかで見た。
⸻
だが。
⸻
思い出せない。
⸻
「……セキか」
⸻
下士官の口元が、わずかに歪む。
「察しがいいな」
⸻
「今回の食料も、あそこに流す予定だった」
「高く買うそうだ」
⸻
グラドが低く唸る。
「……誰だ」
⸻
「知らねぇよ」
即答だった。
⸻
「だがな」
⸻
少しだけ、声が落ちる。
⸻
「ただの金の話じゃねぇ」
⸻
沈黙。
⸻
「“いずれ崩れる”って言ってやがった」
⸻
「この国はな」
⸻
グラドの表情が固まる。
⸻
「戦で傷ついたままの土地」
「不満を抱えた連中」
「弱い政府」
⸻
「火をつけりゃ、一気に燃えるってよ」
⸻
滝は何も言わない。
⸻
下士官は続ける。
⸻
「だから、手を貸した」
⸻
「どうせ同じだ」
「どこも、もうまともじゃねぇ」
⸻
その声に、怒りはなかった。
⸻
ただ――
諦めだけがあった。
⸻
「……それでいいと思ったのか」
⸻
静かに聞く。
⸻
下士官は、少しだけ笑う。
⸻
「思っちゃいねぇよ」
⸻
「ただ――」
⸻
「止める理由もなかった」
⸻
沈黙。
⸻
それが、すべてだった。
⸻
グラドがゆっくりと目を閉じる。
⸻
「……以上だ」
⸻
それ以上、聞くことはない。
⸻
下士官は、何も言わなかった。
⸻
ただ、椅子に深く背を預ける。
⸻
「……ああ」
⸻
小さく呟く。
⸻
「楽になった」
⸻
その顔は、どこか穏やかだった。
⸻
滝は背を向ける。
⸻
扉に手をかける。
⸻
その時――
⸻
もう一度だけ、袋に目をやる。
⸻
焼き印。
⸻
引っかかる。
⸻
だが――
⸻
思い出せない。
⸻
「……終わりじゃないな」
⸻
誰にともなく、呟く。
⸻
――三日後。
⸻
処刑場には、重い空気が流れていた。
⸻
広場。
⸻
周囲を囲む兵。
⸻
集まった民衆。
⸻
誰も、大声では話さない。
⸻
今回の件が、町に与えた衝撃は大きかった。
⸻
憲兵隊の下士官。
⸻
その立場の男が、賊を率いていた。
⸻
しかも――
食料の横流し。
襲撃。
強盗。
⸻
見せしめが必要だった。
⸻
法の威信のために。
⸻
そして。
⸻
これ以上の混乱を防ぐために。
⸻
滝は、少し離れた場所からそれを見ていた。
⸻
隣には、グラド。
⸻
無言。
⸻
表情は硬い。
⸻
だが――
あの日のような怒りは、もうなかった。
⸻
あるのは。
⸻
責任だけだ。
⸻
罪人たちが連れてこられる。
⸻
下士官以下、五名。
⸻
縄をかけられ。
⸻
足枷を鳴らしながら歩く。
⸻
民衆がざわめく。
⸻
その中で。
⸻
先頭の男だけは、妙に静かだった。
⸻
痩せた顔。
⸻
鋭い目。
⸻
だが。
⸻
どこか吹っ切れている。
⸻
処刑人が、罪状を読み上げる。
⸻
強盗。
軍物資の横流し。
治安攪乱。
⸻
そして――
⸻
「ノオダ憲兵隊軍曹、バルガ。」
⸻
その名が、初めて広場に響いた。
⸻
民衆がざわつく。
⸻
だが、本人は何も言わない。
⸻
ただ――
小さく空を見上げた。
⸻
曇り空だった。
⸻
風が吹く。
⸻
処刑台の縄が、わずかに揺れた。
⸻
滝は、その姿を見ていた。
⸻
逮捕する時。
⸻
あの男は、部下を守ろうとしていた。
⸻
少なくとも。
⸻
自分なりの理屈で。
⸻
だからこそ――
⸻
グラドは、自分で斬ろうとした。
⸻
だが。
⸻
滝は止めた。
⸻
裁くのは法だと。
⸻
ならば。
⸻
最後まで、それを見届けなければならない。
⸻
処刑人が動く。
⸻
兵が、一斉に姿勢を正す。
⸻
静寂。
⸻
その時。
⸻
バルガが、ふっと笑った。
⸻
誰に向けたものでもない。
⸻
ただ。
⸻
どこか諦めたような笑みだ。
⸻
直後――
⸻
処刑が執行された。
⸻
民衆が息を呑む。
⸻
誰も動かない。
⸻
風の音だけが響く。
⸻
滝は、静かに目を伏せた。
⸻
一度は助けた命だった。
⸻
だが。
⸻
その先で。
⸻
法に裁かれる。
⸻
それもまた――
⸻
この世界の現実だった。
⸻
脳裏に浮かぶのは。
⸻
あの袋の焼き印。
⸻
セキ。
⸻
見えない組織。
⸻
そして。
⸻
“この国はいずれ崩れる”。
⸻
バルガの言葉。
⸻
空を見上げる。
⸻
曇天の向こうで。
⸻
遠く、雷鳴が鳴った。




