第156話 ラコクの街
レンの案内で、馬車はラコクの大通りを進んでいく。
「この先を右に曲がると、鉱山街の中心部だよ」
レンが窓の外を指さした。
王都カスミとは違い、ラコクにはさまざまな人々が行き交っていた。
銅山から戻ってきた坑夫。鉱石や道具を運ぶ商人。各地から訪れた旅人。酒場や宿へ向かう者たち。
人々の声と足音が入り混じり、街全体が荒々しい活気に包まれている。
王都のような整然とした華やかさはない。少し乱暴で、猥雑で、それでいて力強い。
銅山で栄えた町。それが、このラコクという街の特徴なのだろう。
馬車が通ると、人々は道を空けた。だが、すぐに馬車の中へ視線を向ける。
旅装で身を包んでいても、隠しきれないものがあった。
高貴な雰囲気を漂わせる美少女。その傍らにいる、落ち着いた雰囲気の美女。さらに、その周囲を固める男たち。
整った顔立ちのコーナン。目つきの悪いサカン。得体の知れない異国の中年男。そして、威厳のある禿頭の老人。
どう見ても、ただの旅人の集団には見えない。
その中に、もう一人。顔をベールで隠した女がいた。
レンだった。
レンは窓の外を眺めながら、苦笑する。
「やっぱり目立つよね」
ハギーが微笑んだ。
「ええ。ですから、あなたの顔を隠した方がよいと思ったのです」
レンはベールに触れた。
これはハギーが提案したものだった。
ラコクでは、レンの顔を知る者が多い。グレン一家の娘として、この街ではそれなりに知られた存在なのだ。
だからこそ、顔を隠して歩いた方がいい。そうすれば、今までとは違った視点で、この街を見ることができる。
それがハギーの考えだった。
「確かにね」
レンは納得したように頷いた。
「知った奴が多いから、これは妙案かも」
そして、どこか楽しそうに笑った。
「それじゃあ、案内するね」
レンはベール越しに窓の外を眺めた。
「ラコクのことなら、私に任せて」
さっきまで家出娘だったとは思えないほど、得意げな顔だった。
その時だった。
馬車の前に、一人の男がふらりと出てきた。
「おい!」
サカンが手綱を引く。
馬がいななき、馬車が急停止した。
だが、男は馬車に触れてすらいない。
それなのに――。
「うわっ!」
男が大げさに地面へ転がった。
「痛ぇ!」
周囲から何事かと人が集まり始める。
男は地面に座り込み、馬車を睨みつけた。
「おいおい、どうしてくれるんだよ!」
サカンが眉をひそめる。
「……何がだ?」
「何がじゃねえだろ!」
男は立ち上がり、服についた土を払った。
「今、馬車にぶつけられたぞ!」
サカンは馬車を見た。
男との距離は、明らかに空いている。
「ぶつかってねえだろ」
「俺は倒れたんだぞ!」
「勝手に倒れただけだろ」
サカンの声が低くなる。
すると、男の後ろから仲間らしき男たちが数人現れた。
「まあまあ、そう怒るなよ」
「こっちは怪我してるんだ」
「治療費くらいじゃ済まねえぞ」
滝は馬車の中から、その様子を静かに見ていた。
「……当たり屋か」
滝が小さく呟く。
「たぶんね」
レンも答えた。
その声を聞いた男が、馬車の中を覗き込む。
「なんだ?」
「中に女もいるじゃねえか」
男の視線がハギーへ向いた。
コーナンの表情が変わる。
「それ以上近づくな」
「何だ、お前」
男がコーナンへ詰め寄る。
だが、その時だった。
レンが静かにベールへ手を掛けた。
「……ちょっと待って」
細い指が、ゆっくりと布を持ち上げる。
ベールの下から現れたレンの顔には、先ほどまでの明るさがなかった。
口元から笑みが消え、目が鋭く細められている。男たちを見つめる瞳には、冷たい光が宿っていた。
レンは馬車から降りると、乱れた髪を片手で払った。
そして、男たちの前に立つ。
「私の顔を見ても、まだ続ける?」
低く、押し殺した声だった。さっきまでの軽やかな口調とは別人のようだった。
男たちの顔から、笑みが消える。
「……レンお嬢様?」
レンは顎をわずかに上げた。
「そうよ」
一歩、男たちへ近づく。
「この街で私を知らない人間なんて、そう多くないでしょう?」
男たちは顔を見合わせた。
レンは腕を組み、さらに目を細める。
「それとも、グレン家の娘に因縁をつけたって、家の者に報告してみる?」
男たちの喉が、ごくりと鳴った。
先ほどまでの威勢は、どこかへ消えていた。
すると、最初に倒れた男が、急に顔を引きつらせた。
「……いや、違うんです」
「何が?」
レンが冷たく聞き返す。
男は慌てて両手を振った。
「俺、自分で転けただけです」
「……は?」
サカンが目を丸くする。
男は何度も頷いた。
「そうです。馬車には、ぶつかってません」
「お前、さっきぶつけられたって言ってただろ」
「いやぁ、勘違いでした」
「勘違い?」
「はい!」
男は満面の笑みを浮かべた。
「自分で勝手に転けました。いやあ、俺って昔からよく転ぶんですよ」
後ろにいた仲間たちも、慌てて頷く。
「そうそう」
「こいつ、昔からドジでして」
「困った奴なんですよ」
「お前ら……」
サカンが呆れた顔をする。
男はレンに向かって深々と頭を下げた。
「お騒がせしました!」
「……」
「それじゃ!」
男たちは一斉に踵を返した。
「行くぞ!」
「おう!」
「急げ!」
先ほどまでの威勢はどこへやら。男たちは人混みの中へ、そそくさと消えていった。
その場に残された一行は、しばらく無言だった。
やがてサカンが呟く。
「……何だったんだ、あいつら」
レンは何事もなかったようにベールを被り直した。
「さあ?」
その顔には、いつもの明るい笑みが戻っていた。
ところが――。
布が顔を覆った瞬間、レンの表情がまた変わった。
鋭く吊り上がっていた目元が、たちまち潤んだように細められる。口元は小さく震え、肩までかすかに揺れ始めた。
「怖かったぁ……」
レンは胸元で両手を握りしめ、怯えたようにコーナンを見上げた。
「え?」
コーナンの身体が固まる。
レンは一歩近づくと、今度は両手でコーナンの腕にしがみついた。
「コーナンさん、怖かったです……」
声は甘く、か細い。
先ほど男たちを震え上がらせた低い声とは、まるで別人だった。
レンはコーナンの腕に頬を寄せ、さらに身を寄せる。
「私、どうなることかと思いました……」
「いや、あの……」
コーナンは目を白黒させる。
レンは彼の顔を見上げ、潤んだ瞳で微笑んだ。
「助けてくださって、ありがとうございます」
「俺はまだ何も……」
「でも、コーナンさんが前に出てくれたから安心できました」
そう言って、レンは腕を抱く力を少し強めた。
先ほどまでチンピラを睨みつけていた女とは思えない、見事な猫撫で声だった。
サカンが呆れた顔をする。
「お前……」
レンはコーナンの腕にしがみついたまま、怯えた表情を浮かべる。
「何ですか?」
「いや、何でもない」
滝も額に手を当てた。
「……切り替えが早いな」
ミネーは口元を隠して苦笑し、コグシーは深いため息をついた。
ハギーだけは、楽しそうに微笑んでいる。
「レンさんは、演技がお上手なのですね」
「えっ?」
レンは驚いたように目を見開いた。
だが、コーナンの腕からは離れない。
「演技だなんて……」
わざとらしく眉を下げる。
「本当に怖かったんですよ?」
コーナンは助けを求めるように滝を見る。
「……滝殿」
「自分で何とかしろ」
「そんな……」
サカンがとうとう吹き出した。
「ご愁傷様だな、コーナン」
レンはそんな周囲の反応を楽しむように、コーナンの腕へさらに身体を寄せた。
その口元には、誰にも見えない角度で小さな笑みが浮かんでいた。
やがて一行は、レンの案内で宿に到着し、馬車を降りて中へ入った。
宿で一息ついたところだった。
「お待ちしておりました」
聞き慣れた声がした。
滝が振り向く。
「……ユダ?」
宿の奥から、ユダが姿を現した。
ユダは一行を見渡した。
滝、ミネー、ハギー、コーナン、サカン、コグシー。そして、ベールで顔を隠したレン。
最後に、ユダは滝へ視線を戻した。
滝は静かに告げた。
「報告を」
ユダはわずかに頷いた。
「はい」
ユダの返事を受け、一行の表情が引き締まった。
ラコクでの新たな捜査は、ユダとの合流によって、いよいよ動き始めようとしていた。
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