↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
150/165

第150話 約束の事実

 アブー侯爵家。


 客間。


 ミネーは涙を流すブセへ静かに歩み寄る。


 「ブセさん、どうぞお掛けください」


 椅子をそっと勧める。


 ブセは恐縮したように頭を下げた。


 「もったいないことでございます……」


 「構いません」


 ミネーは優しく微笑んだ。


 「落ち着いて、お話しください」


 ブセは小さく頷き、勧められた椅子へ腰を下ろす。


 やがてアブー侯爵夫妻も客間へ姿を現した。


 滝、ハギー、サカン、コーナンも席に着き、部屋は静かな緊張に包まれる。


 ブセはハギーから受け取ったハンカチで涙を拭うと、大きく息を吸った。


 「……すべて、お話しいたします」


 部屋の空気が張り詰める。


 「あの日の朝でした」


 「私は、お嬢様のお部屋へ呼ばれました」


 ブセはゆっくりと語り始める。


 まだ日も昇り切らない早朝。


 クマーの部屋には、オラヒも呼ばれていた。


 ブセは二人の姿を見て、不思議そうに首を傾げる。


 「お嬢様、何かございましたか」


 クマーは静かに答えた。


 「今日、祖父母のお墓参りへ参ります」


 一度言葉を切る。


 「そして……私は帰りません」


 ブセは息を呑んだ。


 「な、何を仰るのですか!」


 慌てて隣のオラヒを見る。


 「オラヒ、止めなさい!」


 しかしオラヒは苦しそうに首を横へ振った。


 「もう……決めたことです」


 ブセはクマーへ詰め寄る。


 「どうしてです!」


 「この前の公爵家との縁談も、まとまりそうなのでしょう!」


 クマーは静かに頷いた。


 「……だからです」


 ブセは言葉を失う。


 クマーは窓の外を見つめながら続けた。


 「確かに良い縁談です」


 「ですが、好きでもない方と結婚し」


 「一生、大きなお屋敷で籠の鳥のように生きることには耐えられません」


 ブセは必死に説得する。


 「それなら縁談をお断りすればよろしいではありませんか!」


 クマーは静かに首を横へ振る。


 「格下の我が家が公爵家からの縁談を断れば」


 「あちらの世間体にも傷が付きます」


 「父や母にも、多大な迷惑を掛けてしまいます」


 少し寂しそうに笑った。


 「コグシー家のミネー様も」


 「レイス様からの求婚を断り」


 「異国から来られたという、得体の知れない中年の方と婚約され」


 「ヒカリー公のお怒りを買ったと聞きました」


 滝とミネーは思わず顔を見合わせた。


 クマーは続ける。


 「でしたら、私がこの家を出て失踪すれば」


 「悪いのは事件を起こした者ということになります」


 「そうなれば、公爵家にも納得していただけると思うのです」


 ブセは首を振る。


 「ですが、お屋敷は!」


 「これからの生活はどうなさるのです!」


 クマーは穏やかに微笑んだ。


 「家のことは、貴族学校へ通っている兄がおります」


 「ですから心配しておりません」


 「生活は……二人で助け合って何とかします」


 「二人で?」


 ブセは一瞬考えた。


 ゆっくりとオラヒを見る。


 「まさか……」


 クマーは真っすぐ頷いた。


 「その、まさかです」


 「私は幼い頃からオラヒと一緒に育ちました」


 「いつしか、お互いに惹かれ合っていたのです」


 「ですが、オラヒは身分の違いを理由に、私の気持ちを受け入れてくれませんでした」


 オラヒが俯く。


 クマーは優しく微笑んだ。


 「だから私は言いました」


 「受け入れてくれないのなら、この縁談を受けます」


 「そして、二度とあなたには会いません、と」


 ブセは息を呑む。


 「それでも私は続けました」


 「本当に私を想うのなら」


 「私を奪って、どこへでも連れて行きなさい、と」


 オラヒはゆっくり顔を上げた。


 「……耐えられませんでした」


 「クマー様が、誰かの妻になることだけは」


 「だから……お連れすることを決めました」


 ブセは思わず涙ぐむ。


 「でしたら旦那様と奥様にお話ししなければ!」


 クマーは静かに首を横へ振った。


 「父も母も悪い方ではありません」


 「平民にも優しい方です」


 「ですが、名門貴族としての誇りを持っておられます」


 「平民のオラヒとの結婚など、お許しにはならないでしょう」


 少し目を伏せる。


 「仮に許してくださったとしても」


 「現職閣僚の令嬢が、公爵家との縁談を断り」


 「使用人と結婚したとなれば」


 「世間は面白おかしく噂し」


 「あることないことを書き立てるでしょう」


 「そんな生活に、オラヒを巻き込みたくありません」


 「反対されれば、きっと私たちは引き裂かれます」


 「だから今は、お話しするつもりはありません」


 そしてクマーは優しく笑った。


 「ですが」


 「女性として憧れていたミネー様が」


 「ヒカリー公へ仰ったお言葉に、勇気をいただきました」


 「たとえ世界中を敵に回しても」


 「私は、この恋を貫いてみせます」


 「王都一の美女と呼ばれるミネー様の心を射止めた相手の方は」


 「きっと、とても素敵なお方なのでしょうね」


 「機会があれば、一度お会いしてみたいものです」


 ミネーは真っ赤になって俯いた。


 滝も思わず頭をかいた。


 「……私たちが、そんな風に思われていたなんて」


 ミネーは恥ずかしそうに小さく呟く。


 ブセは話を続ける。


 「お二人とも、同じ目をしておりました」


 「もう何を申し上げても、お気持ちは変わらないと悟りました」


 「それで、この後どうするのですかと尋ねました」


 クマーは答えた。


 「墓参りの後、供物小屋に隠れて私は姿を消します」


 「墓守と墓地を探している間に墓地を出ますので、オラヒと口裏を合わせていただければ、それで十分です」


 「失踪した後、オラヒは屋敷を辞めます」


 「途中で身を潜めている私と合流し」


 「オラヒの故郷、ノブへ向かいます」


 「そこで身分を隠して暮らします」


 「そして」


 「夫婦となり、既成事実を作ります」


 「ほとぼりが冷めた頃」


 「改めて父と母に会いに行くつもりです」


 「ですが」


 「私は潜伏先までは存じません」


 「それだけは教えていただけませんでした」


 話し終えたブセは深く頭を下げた。


 「お二人の決意に……負けてしまいました」


 「だから、協力してしまったのです」


 部屋はしばらく静まり返っていた。


 最初に口を開いたのはアブー侯だった。


 「……そうか」


 深く息を吐く。


 「一言でも相談してくれていれば」


 「我らも二人のことを真剣に考えたものを……」


 侯爵夫人も静かに頷く。


 「逃げるしかないと、思い詰めさせてしまったのですね」


 ブセは再び深く頭を下げる。


 「申し訳ございません……」


 しかしアブー侯は首を横へ振った。


 「そなたを責める気はない」


 「クマーが信頼したからこそ、打ち明けたのであろう」


 ブセは涙を流しながら何度も頭を下げた。


 滝は腕を組み、静かに考え込む。


 その隣ではミネーがどこか気まずそうに俯いていた。


 「……まさか」


 「私たちの話が、そのように広まっていたとは」


 頬をほんのり赤く染める。


 「少し……恥ずかしいですね」


 滝も苦笑した。


 「まさか俺たちが見本にされるとは思いませんでした」


 部屋に小さな笑いが生まれる。


 ハギーはその様子を見て、くすりと微笑んだ。


 「……クマーらしいですね」


 そして、小さく手を打つ。


 パン。


 「皆様」


 「今はクマーを見つけることが先決です」


 全員の視線がハギーへ集まる。


 ハギーは滝へ向き直った。


 「滝様」


 「次のご指示をお願いいたします」


 滝は頷く。


 「まずはオラヒです」


 「オラヒを追えば、クマーへ辿り着ける可能性が高いでしょう」


 サカンも頷く。


 「しかし、潜伏先が分からなければ追跡は難しいのでは」


 滝は少し考えた。


 「ならば」


 「オラヒの故郷、ノブへ向かいます」


 「そこを拠点に足取りを追うか、待ち受けるかです」


 その時だった。


 ハギーが穏やかに微笑む。


 「その心配には及びません」


 一同が振り向く。


 「滝様が『もう一度お話を聞く必要がある』と仰った時点で」


 「ユダにオラヒの追尾を命じております」


 一瞬、部屋が静まり返る。


 コーナンが目を丸くした。


 「もうですか……」


 サカンも思わず苦笑する。


 「お見事です、殿下」


 滝は感心したように微笑んだ。


 「殿下も、段々と先がお読めになるようになりましたね」


 ハギーは少しだけ誇らしげに微笑む。


 「滝様に教えていただきましたから」


 刑事の勘。


 皇女の決断。


 二人の呼吸は、いつしか自然に合うようになっていた。


 そして一行は、クマーとオラヒを追うため、次なる行動へ移るのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。