第147話 令嬢の素顔
アブー侯爵家。
重厚な屋敷の客間には、張り詰めた空気が漂っていた。
大きなテーブルを挟み、アブー侯爵夫妻と滝、コーナン、サカンが席に着いている。
そして、上座には――ハギー、ミネー、ユダ。
その足元には、ハギーの愛犬ポリスが控えていた。
クマーの失踪を聞きつけ、王城から駆けつけてきたのだった。
アブー侯が静かに頭を下げる。
「このような時に、お越しいただきありがとうございます」
ハギーは優しく微笑んだ。
「クマーは私にとって、大切な友人です」
「いても立ってもいられませんでした」
その声には、皇女ではなく、一人の友を案じる少女の想いが滲んでいた。
侯爵夫人は目元を押さえる。
「ありがとうございます……」
「どうか、あの子を……」
声が震えていた。
ハギーはそっと夫人の手を包む。
「大丈夫です」
一度だけ滝へ視線を向ける。
柔らかな笑顔だった。
「滝様達がいます」
「きっとクマーを見つけてくださいます」
滝は少し困ったように笑った。
「約束はできません」
静かに答える。
「ですが、必ず見つけ出せるよう全力を尽くします」
侯爵夫妻の表情が、わずかに和らいだ。
滝は姿勢を正す。
「まず、クマー嬢について教えてください」
「どんな方だったのか」
「それを知らなければ、この事件は見えてきません」
アブー侯は小さく頷いた。
「あの子は……明るい子でした」
「誰とでも分け隔てなく話し、身分に関係なく接する」
「幼い頃からそういう子です」
夫人も微笑む。
「好奇心旺盛で、思い立ったら止まらない子でした」
「幼い頃など、一人で屋敷を抜け出して野営をすると言い出したこともございます」
コーナンが目を丸くする。
「侯爵令嬢が、ですか」
侯爵は苦笑した。
「使用人総出で探しました」
「本人は悪びれもせず、『外で寝てみたかっただけです』と言っておりましたが」
客間に小さな笑いが広がる。
重苦しかった空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
侯爵は続けた。
「あの子は行動力があります」
「良く言えば積極的」
「悪く言えば奔放です」
そこで、少しだけ苦笑する。
「それに頭も切れる」
「社交の場では、相手が侯爵でも公爵でも関係ありません」
「間違っていると思えば、遠慮なく意見を言う」
サカンが思わず苦笑した。
「勇気がありますね」
侯爵も笑う。
「正直、冷や汗をかくことも少なくありませんでした」
「ですが、不思議と皆、最後は笑って許してくださる」
「人に好かれる子なのです」
侯爵は少し遠くを見るような目をした。
「私はよく言っていました」
「もし男だったなら、きっと傑物になっていただろう、と」
滝は黙って聞いていた。
クマーという令嬢が、少しずつ見えてくる。
ただの侯爵令嬢ではない。
好奇心が強く、行動力があり、身分に縛られず、人に好かれる。
そして――自分の意思を曲げない。
今度はハギーが口を開いた。
「クマーとは同い年なんです」
「幼い頃から何度も遊びました」
ミネーが微笑む。
「一見すると、お二人は正反対に見えますが」
ハギーは照れたように笑った。
「皆さん、そうおっしゃいます」
「でも、本当は似ているんです」
「二人とも好奇心が強くて」
「一度こうと決めたら、誰に止められても曲げないんです」
コーナンが思わず笑う。
「確かに……」
ハギーも笑顔になる。
「クマーは私を皇女だからと遠慮したことが一度もありません」
「間違っていると思えば、はっきり言ってくれました」
「そんな人は、とても少なかったんです」
夫人が懐かしそうに頷く。
「二人で城を抜け出して遊び、コグシー殿に叱られたこともありましたね」
ミネーが吹き出す。
「ございましたね」
「お二人とも、しばらく外出禁止になりました」
ハギーは恥ずかしそうに頬を染めた。
「……懐かしいです」
その笑顔は、すぐに曇った。
「だからこそ」
「早く見つけてあげたいんです」
滝は一つ頷いた。
「他に最近、変わったことはありませんでしたか」
侯爵は表情を引き締める。
「実は……」
「近いうちに縁談が決まっておりました」
滝の目がわずかに細くなる。
「縁談ですか」
「はい」
「名門貴族との見合いを控えていました」
「本人も了承しておりましたので、特に問題はないと思っていたのですが……」
滝は黙って考える。
縁談。
行動力のある令嬢。
そして、墓前からの失踪。
まだ線にはならない。
だが、小さな違和感が一つ増えた。
その時だった。
コンコン――。
控えめなノックが響く。
「失礼いたします……」
扉がゆっくり開く。
一人の若い使用人が、おずおずと客間へ入ってきた。
墓参りの日、御者を務めていた青年だった。
顔色は青白く、目も赤く腫れている。
滝たちの前まで来ると――
突然、その場へ膝をついた。
「申し訳……ありませんでした!」
床へ額を擦りつける。
「私が……目を離したばかりに……!」
客間が静まり返る。
侯爵夫妻も。
ハギーも。
誰も言葉を発せなかった。
滝は青年を静かに見つめる。
その姿には、自分を責め続けた者だけが見せる痛々しさがあった。
滝はゆっくり口を開く。
「……詳しく話を聞かせてもらおう」
青年は震えながら顔を上げた。
事件は、再び最初の日へと遡ろうとしていた。




