第133話 あの日の想い
静寂。
誰も口を開かない。
王城の食堂。
先ほどまで大勢の貴族がいたとは思えないほど静かだった。
クガーはグラスを手に取る。
そして静かに酒を注ぎ足した。
誰も止めない。
誰も急かさない。
重い沈黙だけが続く。
やがて。
皇帝が口を開いた。
「どうしてこのようなことをした」
静かな声だった。
怒りではない。
失望でもない。
ただ理由を知ろうとする声。
「訳を聞こう」
クガーは皇帝を見た。
そして小さく笑う。
「その前に」
隣に立つ男へ視線を向ける。
「まずは、この男を紹介しましょう」
ヒコが一歩前へ出る。
ミネーが僅かに目を細めた。
若い。
おそらく三十を少し過ぎた程度。
整った顔立ち。
立ち居振る舞いも美しい。
だが。
その瞳だけは暗かった。
まるで消えない影を抱えているように。
クガーが口を開く。
「私の執事、ヒコ」
「チョウとも申します」
ミヤーノの眉が僅かに動く。
滝もその名に聞き覚えがあった。
セキ総督府。
総督補佐官として働いていた男。
それがチョウだった。
クガーは皇帝へ向き直る。
「せっかくの陛下の御前です」
「まずは本人に話をさせてやってください」
皇帝は頷く。
「許そう」
ヒコが深く頭を下げた。
そして静かに語り始める。
「私はスオーの商家の長男でした」
「裕福ではありましたが、特別な家ではありません」
「ですが不満も不安もありませんでした」
「クガー様という素晴らしい領主がおられたからです」
淡々とした声。
感情は見えない。
「街は豊かでした」
「人も多く」
「商売も順調でした」
「将来を心配したことなどありません」
小さく息を吐く。
「それが」
「戦争で全て変わりました」
空気が重くなる。
皇帝は黙って聞いていた。
クガーと同じスオー出身の平民。
あの日々を知っている。
「政府軍が来ました」
「中立を宣言していることを知りながら」
「敗れて逃げ込んできたのです」
ヒコの声は静かだった。
だが。
少しずつ熱を帯び始める。
「多くの者が反対しました」
「ですがスサー様は受け入れた」
「優しい方でしたから」
「誰かを見捨てることなど出来なかった」
一拍。
「そして、そのことはすぐに領主連合の知るところとなりました」
「中立を宣言していたスオーは」
「裏切り者と見なされたのです」
ヒコの声が少し低くなる。
「クガー様は領主連合との交渉に向かわれました」
「街を守るために」
「戦を避けるために」
「命を懸けて」
「ですが交渉は決裂した」
「そしてスオーは攻められました」
「もはや中立ではいられなかった」
「生き残るため」
「新政府側として戦うしかなかったのです」
「それでも私達は耐えました」
「クガー様がおられたからです」
「ですが敵は強かった」
「街は陥落寸前となりました」
「そして」
「クガー様は包囲網を突破された」
「命懸けで」
「援軍を求めるために」
ヒコが目を伏せる。
あの日のことを覚えていた。
城門を出ていくクガー。
誰もが見送った。
誰もが祈った。
必ず戻って来ると。
必ず援軍を連れて来ると。
「私達は信じていました」
「皆が」
「必死に」
「信じていた」
拳が震える。
「だから耐えたのです」
「家族を失っても」
「家が焼かれても」
「耐えた」
そして。
「来なかった」
食堂に沈黙が落ちる。
「援軍は来なかった」
「どれだけ待っても」
「誰も来なかった」
「私の父も」
「母も」
「兄弟も」
「皆、死にました」
「家も」
「未来も」
「全部」
「戦火に消えた」
震える声。
「後になって知りました」
「陛下は必ず助けると約束された。」
「ですが誰もこなかった」
「誰もスオーを助けなかった」
「そして最後に選ばれたのが」
「スオーを囮にして領主連合の本拠地を直接叩くという賭けだった」
「それが戦争を終わらせる最善だったことも」
「理解しています」
「ですが」
「あの時の私達には分からなかった」
「ただ見捨てられたと思ったのです」
感情が溢れる。
「戦争が終わっても何も変わらなかった!」
「死んだ者達は戻らない!」
「家族も戻らない!」
「それなのに!」
ヒコは皇帝を見た。
「新政府では」
「戦功だけで無能な者達が要職についている!」
「多くの命を犠牲にした者達が英雄として扱われている!」
「これが正しい国なのですか!」
怒声が響く。
だが。
誰も叱責しない。
ヒコは肩で息をした。
そして。
静かに頭を下げる。
「失礼しました」
震える声。
「私は誓ったのです」
「死んでいった者達が報われる国を作ると」
一拍。
「あの戦争でチョウは死にました」
ゆっくり顔を上げる。
「今の私はヒコです」
「クガー様にお仕えする者です」
再び深く頭を下げた。
食堂には。
重い沈黙だけが残った。




