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130/163

第130話 リアタ館

 リアタ館の一室には、酒の匂いが満ちていた。


 氷が触れ合う音だけが、静かに響く。


 テーブルの上には、数冊の帳簿が広げられている。


 表向きの帳簿ではない。


 利益の流れ。


 武器の取引。


 各地への資金。


 誰にも見せられない数字が並んでいた。


 「もうすぐだな」


 リアタは帳簿を眺めながら、グラスを傾けた。


 隣では、リアタの右腕と呼ばれるザキが静かに頷く。


 「この国の全てが手に入ります」


 リアタは薄く笑う。


 「理想を追う人間は、自分の正義を疑わない。だから利用しやすい」


 ザキは帳簿へ視線を落とす。


 スオー。


 セキ。


 ガナト。


 そこに記された数字の先には、それぞれの街がある。


 武器。


 金。


 そして、不満を抱えた人間たち。


 「政府に不満を持つ人間が、どれほど多いことか」


 リアタは酒を一息に飲み干す。


 「しかも皆、自分の利益しか見ていない」


 グラスが机に置かれ、乾いた音を立てた。


 「表は貴族にくれてやる。だが商いがすべてこちらに来れば、そのうち貴族など用済みだ」


 リアタは帳簿を閉じた。


 「ここまで来るのに、どれだけ金と神経を使ったことか……」


⸻


 ベルが鳴る。


 扉が開き、メイドが盆を持って入ってくる。


 新しい酒瓶を置く。


 空になった瓶を下げる。


 そして――


 テーブルの帳簿を手に取った。


 「待て」


 空気が止まる。


 メイドの足が止まる。


 リアタの目が細くなる。


 「見ない顔だな」


 静かな声。


 だが、その場の温度が下がる。


 「この屋敷に、私が面接していない人間が入ることはありえない」


 ザキが腰の剣に手をかける。


 「貴様、何者だ」


 メイドは答えない。


 帳簿を抱えたまま歩き出す。


 リアタの横を通り過ぎる。


 そのままテラスへ。


 リアタの指が動く。


 机の引き出しから、拳銃が抜かれる。


 ザキも剣を抜く。


 月明かりが差し込む。


 その瞬間――


 空気が変わった。


 メイドの姿が浮かび上がる。


 危険を忘れるほどに、美しかった。


 一瞬だけ。


 リアタとザキの動きが止まる。


 銃口は向いたまま。


 だが、撃たない。


 リアタはその姿を見つめたまま、ゆっくりと口を開く。


 「……惜しいな」


 「殺すには惜しい」


 そして銃口を向けたまま、低く言う。


 「名前を聞いておこう」


⸻


 その瞬間だった。


 ユダの手がスカートの内側へ滑る。


 次の瞬間。


 太ももに固定されていた拳銃が抜かれていた。


 迷いもない。


 無駄もない。


 ただ――速い。


 その動作に、リアタとザキの反応が一瞬だけ遅れる。


 空気がわずかに揺れる。


 それだけで、全員の警戒が一段跳ね上がった。


 だが、銃口はリアタ達に向かない。


 銃口は静かに真上へ向けられる。


 パン、と乾いた音。


 夜空へ照明弾が放たれた。


 白い光が夜空に広がる。


 庭と屋敷を、一瞬で昼のように照らし出す。


 その光の中で、メイドははっきりと名乗った。


 「侍従長直属近衛護衛中尉ユダ」


 リアタの目がわずかに細くなる。


 「……そして今は憲兵隊兼務だ」


 その言葉が落ちた瞬間――


 リアタの表情が変わる。


 ザキの目が細くなる。


 一瞬の沈黙のあと、二人は同時に理解する。


 “憲兵隊”。


 それだけで十分だった。


 今ここで、その名を持つ者がいる意味を、彼らは知っている。


⸻


 その瞬間、空気が一段沈む。


 屋敷の四方で光が連鎖する。


 足音。


 金属音。


 統率された気配。


 憲兵隊が、静かに包囲を完成させていく。


 逃げ道は、最初から存在していなかったかのように。


 リアタの表情から、初めて余裕が消えた。


 夜は、完全に塗り替えられていく。

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