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第126話 約束


 ヤマーは静かに酒を口に運んだ。


 そして、少しだけ目を伏せる。


 「スオーは中立を宣言した」


 滝は黙って耳を傾ける。


 「だが、中立など周囲が認めなければ意味はない」


 苦々しく言った。


 「敗れた政府軍を受け入れた。負傷兵を看護した。そして何より――」


 ヤマーは一度言葉を切った。


 「スサー様が陛下と結ばれた」


 その事実の重みを噛み締めるように。


 「そんなもの、隠し通せるはずもない。瞬く間に領主連合にも知れ渡った」


 滝も頷く。


 確かにそうだ。


 領主連合から見れば、中立など建前にしか見えない。


 政府軍に肩入れした。


 そう受け取られても仕方がない。


 「領主連合は激怒した」


 ヤマーの声が低くなる。


 「裏切ったな――とな」


⸻


 領主連合の軍勢は一斉にスオーへ牙を向いた。


 病弱な領主に代わり、若きクガー殿が領主代行として前に出た。


 まずは話し合いを試みた。


 スオーに反意はない。


 中立を守っただけだ。


 そう訴えた。


 だが、聞き入れられることはなかった。


 戦は始まっていた。


 誰も冷静ではいられなかった。


 そして――


 スオーは政府軍と共に戦うことを余儀なくされた。


⸻


 当初は互角だった。


 クガー殿は優れた指揮官だった。


 地の利も活かした。


 だが、兵数には限界がある。


 戦が長引くにつれ死傷者は増えた。


 備蓄も減った。


 城壁も傷ついた。


 やがて誰の目にも明らかになった。


 街の陥落は時間の問題だと。


⸻


 そこでクガー殿は決断した。


 自ら援軍を求める。


 わずかな手勢を率いて包囲網を突破した。


 命懸けだった。


 追撃を受けた。


 仲間も倒れた。


 それでも王都へ向かった。


 街を救うために。


 領民を救うために。


⸻


 そして――


 クガー殿は王都へ辿り着いた。


 鎧は砕け。


 衣服は血と泥にまみれ。


 満足に立つこともできぬ有様だったという。


 陛下はその姿をご覧になった。


 そして――


 涙を流された。


 ヤマーは静かに言った。


 「陛下はクガー殿の手を取られた」


 部屋が静まり返る。


 「必ず助けに行く」


 「スオーは見捨てぬ」


 「約束する」


 そう言われたそうだ。


⸻


 クガー殿も涙を流した。


 そして再びスオーへ戻った。


 兵たちを励ました。


 領民を励ました。


 必ず援軍は来る。


 陛下は約束してくださった。


 だから耐えろ。


 だから生きろ。


 そう言い続けた。


⸻


 だが――


 援軍は来なかった。


⸻


 沈黙が落ちた。


 滝は思わず眉をひそめる。


 ヤマーは続けた。


 「来たと思われた軍勢はあった」


 だが、その軍勢はスオーへ向かわなかった。


 反転した。


 そして。


 スオー攻略に兵を集中させていた領主連合の本拠地を急襲した。


 指導者たちは捕縛された。


 戦争は終結した。


 政府軍の勝利だった。


⸻


 だが。


 その勝利の裏で。


 スオーは囮にされた。


 街は壊滅寸前だった。


 多くの者が死んだ。


 多くの者が傷付いた。


 そして戦後。


 勝者となったはずのスオーに大きな見返りはなかった。


 中央集権化が進み。


 地方領主の権限は縮小された。


 復興も思うようには進まなかった。


⸻


 「だから今でも思う者はいる」


 ヤマーは静かに言った。


 「我々は何のために犠牲になったのか、と」


⸻


 滝は腕を組んだ。


 戦争は詳しくない。


 だが。


 敵の隙を突く。


 敵主力の留守を狙う。


 それ自体は軍事的には正しいのではないか。


 そう思った。


 「結果として戦争には勝ったんですよね」


 ヤマーは頷く。


 「そうだ」


 「なら……皇帝の判断は間違っていなかったのでは?」


 滝は言った。


 「クガー殿やスオーの人たちを裏切ることになったとしても」


⸻


 ヤマーは滝を見た。


 その目には不思議な色があった。


 失望ではない。


 怒りでもない。


 むしろ。


 それを待っていたような。


 そんな目だった。


 「滝殿」


 静かな声。


 「誰よりも人を大切にし」


 「誰よりも道理を重んじる陛下が」


 「本当にそのような決断をなさると思うか?」


⸻


 滝は息を呑んだ。


 確かに。


 これまで聞いた話や見てきた姿と一致しない。


⸻


 ヤマーは続けた。


 「陛下は援軍を出せと命じられた」


 「え?」


 「我々は反対した」


 王都の防衛兵力が足りなくなる。


 危険だ。


 今は耐えるべきだ。


 そう進言した。


 だが。


 陛下は首を横に振られた。


⸻


 『スオーの民を犠牲にしてまで生き残ろうとは思わぬ』


⸻


 『クガーとの約束を果たす』


⸻


 『援軍を出せ』


⸻


 「それ以上、誰も何も言わなかった」


 ヤマーが続ける。


 「だが全員が納得していたわけではない」


 貴族たちにも家族がいる。


 家臣がいる。


 領地がある。


 王都が落ちれば全て失う。


 そう考える者も少なくなかった。


 「理想だけでは人はついてこない」


 ヤマーは静かに言った。


 「それもまた現実だ」


⸻


 滝は黙り込む。


 では。


 援軍はなぜ来なかった。


 誰が命令を変えた。


 誰が約束を裏切った。


⸻


 「援軍を出せと命じた……?」


 滝は思わず聞き返した。


 ヤマーは頷く。


 「ああ。確かに命じられた」


 「ではなぜ来なかったんです?」


 ヤマーは苦笑した。


 「そこから先が、この話の本題だ」


⸻


 部屋の空気が重くなる。


 ヤマーは杯に残った酒を飲み干した。


 「当時、王都から出陣した軍は確かに存在した」


 「その指揮官は?」


 滝の問いに、ヤマーは静かに答える。


 「ヒカリー公だ」


⸻


 滝の表情が変わる。


 この国で知らぬ者はいない。


 改革戦争最大の功労者。


 軍神。


 英雄。


 そう呼ばれた男。


⸻


 ヤマーは低い声で続けた。


 「だが、あの男は陛下の命令とは違う行動を取った」


⸻


 滝は目を見開く。


 そんな話は聞いたことがない。


⸻


 「そして――」


 ヤマーは空になった杯を見つめた。


 「誰も、その責任を問わなかった」


⸻


 静かな部屋に沈黙が落ちる。


 滝は言葉を失っていた。


⸻


 英雄と呼ばれた男。


 改革戦争の功労者。


 その男が皇帝の命令に背いた。


⸻


 もしそれが事実なら。


 歴史は。


 自分が知っているものとは全く違う姿をしている。


⸻


 ヤマーは静かに立ち上がった。


 「歴史というものはな」


 そして、滝へ視線を向ける。


 「勝者が書くものではない」


⸻


 「生き残った者が書くものだ」


⸻


 その言葉だけが。


 静かな部屋に重く残った。

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