第125話 理想の代償
ヤマーはしばらく黙って酒を眺めていた。
やがて小さく息を吐く。
「私が軍人になった頃、帝国は既に揺れていた」
滝は黙って耳を傾ける。
老将の瞳は遠い過去を見ていた。
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改革派と領主連合の戦争。
後に帝国の歴史を変えた大戦だ。
私は政府軍の将校として参加した。
戦力差は最初から明らかだった。
領主連合は各地の有力領主が結束し、領民から容赦なく兵も物資も徴発した。
対して政府軍は違った。
当時の皇帝――カンク十七世は厳しい軍律を敷いていた。
領民への略奪は禁止。
無理な徴発も禁止。
農民から最後の一粒まで奪うような真似は許さなかった。
結果として政府軍は慢性的な兵力不足と物資不足に苦しむことになる。
「苦しいのは当たり前だった」
ヤマーは苦笑した。
「相手は領民を犠牲にして戦っている。こちらは限られた兵と物資で戦う」
普通に考えれば勝負にならない。
だが、それでもカンク十七世は方針を変えなかった。
『我らが理想を捨て、相手と同じ土俵で勝負すれば大義は失われる』
そう言い続けていた。
理想論だ。
多くの将軍がそう思った。
私もそうだった。
だが陛下は口先だけの男ではなかった。
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「陛下は前線へ来られた」
ヤマーが静かに言う。
「何度もだ」
劣勢の戦場。
疲弊した兵たち。
補給も届かない最前線。
そこへ皇帝自らが現れる。
兵たちは驚いた。
将軍たちも反対した。
だが陛下は聞かなかった。
『大義はこちらにある』
『必ず帝国を立て直す』
『共に耐えてくれ』
若き皇帝はそう言って将兵を励まして回った。
ヤマーは懐かしそうに笑う。
「不思議な男だった」
「理想家ですか」
滝が尋ねる。
「理想家だ」
ヤマーは頷く。
「だが、それだけではなかった」
誰よりも危険な場所へ行き。
誰よりも働き。
誰よりも責任を背負う。
だから兵たちはついていった。
「陛下が先頭に立たなければ、戦争はもっと早く終わっていただろう」
ヤマーは断言した。
「領主連合の勝利でな」
⸻
だが、その皇帝も倒れた。
スオー近郊で行われた大会戦。
政府軍は敗北した。
多くの兵を失い、部隊は四散した。
そして――
「陛下が撃たれた」
ヤマーの声が重くなる。
銃弾は致命傷だった。
誰もが助からないと思った。
政府軍は壊滅状態となり、生き残った者たちは命からがら撤退する。
逃げ込んだ先はスオーだった。
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「私は反対した」
ヤマーは即座に言った。
「当然だ」
スオーは中立を宣言していた。
クガーもいる。
スサーもいる。
あの街を戦争に巻き込むべきではなかった。
だが、意識を失った皇帝に代わり指揮を執ったヒカリー公は違う判断を下した。
『中立のスオーなら敵も手出しできない』
そう言って強引に軍を入れたのだ。
当然、スオー側は猛反発した。
当時の領主であるクガーの父。
そして若きクガー自身も。
領民を戦火に巻き込むな。
その主張は正しかった。
だが、一人だけ違う考えの者がいた。
⸻
「スサーだ」
ヤマーは静かに言った。
「あいつは傷ついた者を見捨てられなかった」
ヤマーは苦笑する。
「昔からそういう女だった」
スサーは自ら街を走り回った。
建物を借り上げ。
資材を集め。
野戦病院を設営した。
そして自ら負傷兵の治療や看護に当たった。
昼も夜も関係なく。
寝る間も惜しんで。
敵味方の区別なく。
ひたすら人を助け続けた。
「誰も逆らえなかった」
ヤマーは笑った。
「あれは昔からだ」
⸻
そして、その中には皇帝もいた。
瀕死の重傷。
誰も助からないと思っていた。
だがスサーは諦めなかった。
寝ずの看護を続けた。
何日も。
何週間も。
若き皇帝は生還した。
そして二人は恋に落ちた。
疲弊した国を立て直したい。
民が安心して暮らせる国を作りたい。
そんな理想を語る皇帝に。
スサーは惹かれていった。
クガーも父親も反対した。
皇帝と結ばれればスオーは確実に戦争へ巻き込まれる。
だがスサーは譲らなかった。
『何があっても、この恋を貫きます』
そう言って。
カンク十七世と共にスオーの街を後にした。
⸻
話を聞いていた滝が口を開く。
「点だった話が線で繋がりました」
ヤマーが視線を向ける。
「ほう?」
「以前、ユダから聞いた昔話です」
滝はグラスを置いた。
「それで今度はスオーが領主連合に攻められたのですね」
ヤマーは小さく笑った。
「そう思うだろう」
「違うのですか」
滝が尋ねる。
「結果だけ見ればそうだ」
ヤマーはグラスを傾けた。
「スオーが囮になったことで政府軍は時間を稼いだ」
「……」
「援軍を出す振りをして領主連合の本拠地を叩いた」
帝国史にも残る大逆転。
結果として戦争は政府軍の勝利で終わった。
滝は静かに頷く。
「非情な判断ですが、戦略的には間違っていないと思います」
戦争において犠牲は避けられない。
より大きな勝利のために一部を切り捨てる。
合理的に考えれば正しい。
ヤマーはしばらく黙っていた。
そして――
ゆっくり首を横に振った。
「いや」
その声は重かった。
「それは事実ではない」
滝の眉が僅かに動く。
ヤマーは遠い過去を見るように窓の外へ視線を向けた。
「帝国史に記された内容と、実際に起きたことは違う」
部屋の空気が変わる。
老将の表情から笑みが消えた。
「私も長いこと黙っていた」
「だが、もう墓まで持っていく必要もあるまい」
そう言ってヤマーは静かに酒を飲む。
そして――
誰も知らない戦争の真実を語り始めようとしていた。




