第124話 若き日の誓い
ヤマーはグラスを手に取った。
しばらく揺れる酒を眺めてから、小さく笑う。
「さて、どこから話したものかな」
「お任せします」
滝がそう答えると、ヤマーは頷いた。
「では、若い頃の話からだな」
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私は貧しい男爵家の長男坊だった。
ヤマーはそう語り始めた。
男爵家とは名ばかり。
領地は痩せており、収入も少ない。
決して飢えるほどではなかったが、裕福とは程遠い生活だった。
「家を盛り立てるには出世するしかなかった」
ヤマーは遠い昔を思い出すように目を細めた。
「官僚になるか、軍人になるか。そのどちらかだった」
そのために貴族学校へ進学した。
寄宿舎生活だったという。
だが、そこもまた厳しい世界だった。
爵位。
家柄。
家の財力。
それらが露骨に物を言う世界。
「男爵家の倅など相手にもされん」
ヤマーは苦笑する。
「悔しかったな」
だからこそ勉強した。
だからこそ努力した。
いつか出世して見返してやろう。
そんな気持ちで必死だった。
「今思えば若かった」
「若いからこそ頑張れたのかもしれません」
滝が言う。
ヤマーは満足そうに頷いた。
「違いない」
⸻
そんな学校生活の中で、一人だけ変わった男がいた。
クガーだった。
今のクガー侯爵。
スオー領の領主。
そして貴族会議の議長。
誰もが知る大貴族である。
だが、当時のクガーもまた同級生だった。
「成績は優秀」
「剣も強い」
「人望もある」
ヤマーは肩をすくめた。
「まるで物語の主人公のような男だった」
滝は少し笑う。
確かに今のクガー侯爵を見ていると想像しやすい。
「だがな」
ヤマーは続けた。
「奴は家柄を鼻にかけなかった」
貴族学校では珍しい存在だった。
男爵家だから。
侯爵家だから。
そんなことを気にしない。
誰に対しても同じように接する男だった。
「気付けば親友になっていた」
ヤマーは懐かしそうに笑った。
「ウマが合ったのだろう」
⸻
長期休暇になると、スオー領にもよく遊びに行った。
広大な屋敷。
豊かな街。
活気ある港。
男爵家育ちのヤマーには何もかもが新鮮だった。
そして、そこには一人の少女がいた。
スサー。
クガーの妹だった。
今は亡きスサー皇后。
そしてハギー殿下の母君でもある。
「当時はまだ子供だったがな」
ヤマーは笑った。
「それでも目立つ娘だった」
誰にでも優しい。
身分を気にしない。
そして驚くほど活発。
名家の令嬢とは思えなかった。
使用人とも平気で話し、街へ出れば子供たちと遊ぶ。
そんな少女だった。
「スオーの天使」
そう呼ばれていたという。
街の若者たちは皆、彼女に憧れていた。
「もちろん私もその一人だ」
ヤマーは豪快に笑った。
「今なら息子に笑われそうだがな」
滝も少しだけ口元を緩める。
そして、ふと思った。
――ハギー殿下によく似ている。
容姿の話ではない。
身分を気にせず人と接するところ。
誰にでも気さくに声をかけるところ。
相手の立場を問わず手を差し伸べるところ。
話を聞く限り、ハギーの人柄は母親譲りなのだろう。
今は亡き皇后がどれほど慕われていたのか。
少しだけ分かった気がした。
⸻
やがて学校を卒業した。
クガーは家を継ぐため政治の道へ。
ヤマーは士官学校へ進んだ。
そして軍人になった。
「ここまでは良かった」
ヤマーは静かに言った。
その声に先ほどまでの明るさはない。
滝も表情を引き締める。
老人の視線は遠くを見ていた。
まるで何十年も前の景色を眺めるように。
「その後――戦争が始まった」
部屋の空気が変わる。
滝は何も言わない。
ヤマーは続ける。
「改革派と領主連合の戦争だ」
その名は滝も知っていた。
今の帝国の形を作った大戦。
多くの貴族が没落し、多くの英雄が生まれた戦争。
「私も参加した」
ヤマーは静かに呟いた。
「そしてあの戦争が――」
老人はゆっくりと酒を飲む。
「私を含め、多くの人間の人生を変えることになった」
その瞳には後悔とも懐かしさともつかない感情が宿っていた。
滝は黙って次の言葉を待つ。
老兵の昔話は、ようやく本題へ入ろうとしていた。




