第123話 老人の未練
占い師がその場に崩れ落ちたことで、集まっていた人々の空気は一変していた。
先ほどまで神妙な顔で順番を待っていた者たちも、今は露骨に距離を取っている。
「やっぱりインチキだったんだ」
「当たり前だろ」
「金返してもらえるのか?」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
もはや誰も占い師を信じていない。
今日の出来事は瞬く間に街中へ広がるだろう。
もう、この街で商売を続けることは難しいはずだ。
滝は冷めた目で、その様子を眺めていた。
そこへ老貴族が近づいてくる。
ヤマー子爵だった。
ヤマーは愉快そうに笑った。
「その制服、その出で立ち……もしかして、外国から来られたという滝殿かな」
「はい」
「実に興味深い御仁だ。もし迷惑でなければ、ぜひ色々と話を聞かせてもらえぬか」
そう言って、子爵は自らの屋敷へ招待した。
隣にいた息子が慌てる。
「父上、ご迷惑でしょう」
「構わん」
「ですが――」
滝は軽く肩をすくめた。
「自分は構いません」
「おお、そうか」
ヤマーは嬉しそうに笑った。
⸻
ほどなくして、一行はヤマー子爵の屋敷へ到着した。
古いながらも手入れの行き届いた立派な屋敷だった。
玄関をくぐった滝は、ふと足を止める。
正面の壁に大きな肖像画が飾られていた。
若き日のヤマーだ。
精悍な顔立ち。
立派な軍服。
胸には数多くの勲章。
堂々と前を見据える姿には自信と誇りが満ちている。
今の痩せ衰えた姿からは想像もできないほど力強かった。
「若い頃の父上です」
息子が苦笑した。
「なるほど」
滝は小さく頷いた。
確かに軍人だったのだろう。
絵からでも伝わってくる。
⸻
案内されたのは寝室だった。
ヤマーは部屋へ入るなり大きく息を吐いた。
そして当然のようにベッドへ腰を下ろす。
「見ての通りだ」
ヤマーは苦笑した。
「もう長くない。椅子に座って話をするのも辛くてな。ベッドで失礼する」
「お気になさらず」
滝は即答した。
ヤマーは満足そうに頷く。
「うむ」
そして息子へ顔を向けた。
「客人だ。酒とつまみを持ってこい」
「父上」
息子は困った顔になる。
「体に障ります」
「今さらだ」
「ですが――」
親子のやり取りを見ていた滝が口を開いた。
「ここまで来たら好きにさせてあげた方が体に良いと思いますよ」
息子が驚いたように滝を見る。
ヤマーは豪快に笑った。
「はっはっはっ! 分かっておるな!」
「諦めも肝心です」
「違いない」
すっかり意気投合していた。
息子は深々とため息をつく。
「分かりました」
そう言って部屋を出ていった。
⸻
やがて酒と簡単な料理が運ばれてくる。
滝とヤマーは杯を掲げた。
「乾杯」
「乾杯」
酒を口にしたヤマーは心底満足そうな顔をした。
「やはり昼間から飲む酒は格別だな」
「それは同感です」
滝も頷く。
勤務中でなければ、なお良い。
ヤマーは声を上げて笑った。
しばらく雑談を交わした後だった。
ヤマーの表情が不意に真面目になる。
「滝殿」
「何でしょう」
「あとどれくらい持つと思う?」
静かな問いだった。
息子が顔を曇らせる。
滝は少しだけ考えた。
そして答える。
「一カ月持てば良い方かと」
部屋が静まり返る。
息子は顔を伏せた。
だがヤマーは笑った。
「正直だな」
「聞かれたので」
「ますます気に入った」
老貴族は嬉しそうだった。
⸻
滝はグラスを見つめた。
琥珀色の酒が揺れる。
「実は自分の父も同じ病で亡くなりました」
ヤマーが目を細める。
「ほう」
「だから息子さんの気持ちは分かります」
滝は静かに続けた。
「身内としては生きていてほしい」
「……」
「怪しい民間療法に頼る気持ちも、酒を止めたくなる気持ちも理解できます」
息子は驚いたように滝を見た。
ヤマーはしばらく黙っていた。
やがて小さく笑う。
「優しい男だな」
「自分では普通だと思っています」
「息子もそうだ」
ヤマーは天井を見上げた。
「優し過ぎる」
⸻
しばらく沈黙が流れる。
やがてヤマーが口を開いた。
「実を言えばな」
「はい」
「私も怪しいと分かっていた」
滝は黙って聞く。
「それでも息子の気持ちを無下にはできん」
ヤマーは苦笑した。
「だから付き合ってやったのだ」
「なるほど」
「だが、あまりにも胡散臭かった」
老人は鼻で笑った。
「あんなインチキに縋ってまで生きたいとは思わん」
その言葉には不思議な重みがあった。
死を受け入れた者の声だった。
「もう十分生きた」
ヤマーは窓の外を見た。
「そう思ったところへ、あんたが現れた」
⸻
老貴族は改めて滝を見る。
その視線には興味が宿っていた。
「実に不思議な男だ」
「そうですか」
「外国人でありながら憲兵である」
ヤマーは続ける。
「それでいて常識に縛られない」
「……」
「物事の道理をよく分かっておる」
滝は苦笑した。
褒められているのか、変人扱いされているのか分からない。
「きっと、お国でも良い捜査官だったのだろうな」
「どうでしょう」
滝は酒を飲んだ。
「怒られてばかりでした」
ヤマーは豪快に笑った。
「なお面白い!」
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笑いが収まった後、滝は尋ねた。
「一つ聞いてもよろしいですか」
「なんだ」
「なぜ初対面の自分を招いたのです?」
ヤマーは少し考えた。
そして静かに答える。
「未練かな」
「未練?」
「死が近いことは分かっている」
老人は穏やかな顔だった。
「だがな」
「……」
「貴殿のことが知りたくなった」
滝は黙る。
「どんな国で育ったのか」
「どんな人生を歩いてきたのか」
「何を見てきたのか」
ヤマーは笑った。
「それが気になった」
「変わった理由ですね」
「老人の気まぐれだ」
⸻
滝は小さく頷いた。
「分かりました」
「話せる範囲でお話ししましょう」
「うむ」
「その代わり――」
滝は真っ直ぐヤマーを見る。
「子爵殿の話も聞かせてください」
ヤマーは目を細めた。
そして懐かしいものを見るような顔になる。
「私の話か」
「ええ」
「面白くもないぞ」
「判断するのは聞いてからです」
ヤマーは楽しそうに笑った。
「違いない」
老貴族はグラスを置いた。
窓から差し込む夕陽が、その横顔を照らしている。
若き日の肖像画とは違う。
だが、その瞳には今も軍人の光が残っていた。
ヤマーはゆっくりと口を開く。
「では、昔話をしようか――」
そう言って、静かに自らの半生を語り始めた。




