第121話 信じるもの
占い館の前は、人だかりになっていた。
滝は足を止めた。隣にはコーナンとサカンがいる。
館の前には、一台の立派な馬車が停まっていた。上等な造りで、紋章こそ見えないが、貴族の馬車であることは一目で分かった。
「貴族ですな」
コーナンが小さく呟く。
滝は頷き、人垣の向こうを見た。
館の中では、一人の男が声を荒げていた。
「もういいと言っているだろう!」
初老の貴族だった。
痩せた顔に青白い肌。豪華な服を着ているが、その体は服に負けるほど細い。
その隣には若い貴族がいた。息子だろう。
「父上、ここは我慢してください」
若い貴族は必死に宥めている。
さらに後ろには従者が控え、館の外まで長い列が続いていた。
顔色の悪い者、咳をしている者、杖をつく老人。皆、順番を待っていた。
館の奥には、派手な衣装の占い師がいる。その横には、感じの悪い助手が立っていた。
占い師は小瓶を掲げていた。
「これで必ず回復します」
自信に満ちた声だった。
滝は眉をひそめた。
「なんだ、あれは」
コーナンが答える。
「最近よく当たると評判の占い師です。薬師も兼ねているとか。病気の治療も行っているそうです」
サカンが続けた。
「医師にかかる金のない庶民の間で話題になっています」
滝は無言になった。
怪しい。
あまりにも怪しい。
だが、噂だけで動くわけにはいかない。
滝が一歩前へ出た、その瞬間だった。
占い師と助手が滝たちに気づいた。
助手が露骨に顔をしかめる。
「憲兵が何の用です?」
反抗的な口調だった。
滝は肩をすくめた。
「いや、そちらの紳士の大きな声が聞こえたのでな。何事かと思っただけだ」
初老の貴族が振り向いた。
「いや……何でもない」
力なく答えると、頭を下げた。
「お騒がせした」
そう言って立ち上がろうとする。
だが、足に力が入らない。
身体が傾いた。
滝は反射的に腕を伸ばし、その身体を支えた。
そして驚いた。
軽い。
驚くほど軽い。
改めて顔を見る。頬は痩せこけ、目は窪んでいる。皮膚には黄疸が出ていた。
滝は昔の記憶を思い出した。
病院。捜査で出入りした病室。そこで見た患者たち。
末期癌。
目の前の男は、それに酷似していた。
滝は黙って男を椅子へ座らせた。
若い貴族が深く頭を下げる。
「ありがとうございます。父はこの通り重病でして……」
苦しそうな声だった。
「どんな病でも治すという評判を聞いて連れて来ました。薬をいただくところだったのですが、急に父が怒り出して……」
占い師が不満そうに鼻を鳴らした。
「治療の邪魔をされては困りますな。患者の命がかかっているのです」
滝は小瓶を見る。
「その薬、いくらする」
占い師が金額を告げると、周囲がざわついた。滝も目を細める。
高い。
想像以上だった。
占い師は胸を張った。
「当然です。神の霊力が宿ったご神水で作った特別な薬ですので。これで病は癒やされます」
助手も頷いた。
「憲兵は信仰の自由まで侵すおつもりですか?」
嫌味な口調だった。
滝は占い師を見る。
神。
随分と軽い言葉だ。
ますます信用できない。だが、表情には出さなかった。
「誰が何を信じるかは自由だ」
そう言うと、占い師は勝ち誇った顔になった。
「でしたら、お帰りいただけますかな」
滝は懐に手を入れ、金貨を取り出した。
占い師の目が輝く。
「私も客として聞く」
滝は小瓶を指差した。
「そんなに凄い薬なら、一つもらおう」
占い師は満面の笑みになった。
「お目が高い」
滝は続けた。
「ところで、そのご神水はどこで手に入れた」
一瞬、占い師の表情が固まった。
「それは……選ばれた者しか行けぬ場所です」
滝は首を傾げる。
「そんな場所があるのか」
周囲が少しざわつく。
滝は淡々と続けた。
「それなら、お前は選ばれた人間ということだな」
占い師は胸を張った。
「もちろんです。私はこれまで多くの人を救ってきました」
滝は頷いた。
「そうか。具体的に教えてくれ」
占い師が言葉に詰まる。
滝の目が細くなった。
「選ばれた人間なのに、自分が救った人間も覚えていないのか」
沈黙。
周囲の視線が集まる。
やがて占い師は慌てて口を開いた。
「い、いや、東街の油屋の主人、エフクの女性、遠くはガナトの商人もおります」
滝は振り返った。
「コーナン」
「はい」
「聞いたな。今すぐ裏を取れ」
コーナンが頷く。
占い師の顔色が変わった。
「な、なぜです」
滝は静かに答える。
「何を信じるかは自由だ」
占い師を真っ直ぐ見据えた。
「もちろん、どうやって信じるかもな」
館の空気が、ゆっくりと変わり始めていた。




