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第119話 新たな点

 司法省の執務室は、静かだった。


 書類をめくる音だけが、やけに耳につく。


⸻


 滝は椅子にもたれ、天井を見上げた。


 クガー侯爵。


 その名が、頭から離れない。


 リアタ家だけでも十分すぎる大物だった。


 そこへ、皇族の外戚。


 しかも、貴族会議議長。


 国の中枢に座る男が繋がっている可能性がある。


⸻


 ――正直、どう捜査を進めればいいのか分からなかった。


⸻


 コーナンやサカンの前では、次の考えがあるように振る舞った。


 捜査を止める気はない。


 そう言い切った。


 だが、指揮官が迷いを見せれば、組織は崩れる。


 それだけは、嫌というほど知っている。


⸻


 日本でも、そうだった。


 刑事課長が不安そうな顔をした瞬間、部下は一気に冷える。


 現場は迷い、捜査は鈍る。


 だから、先輩達は平然としていた。


 胃に穴が開きそうな状況でも、煙草を咥えて「まあ、なんとかなるだろ」と笑っていた。


 滝も、そうしてきた。


⸻


 だが――。


⸻


 今回は、相手が大きすぎた。


 司法省だけで抱え込める話ではない。


 下手をすれば、国が割れる。


⸻


 滝は小さく息を吐いた。


 考えても、今すぐ答えが出る訳ではない。


 足を止めれば終わる。


 なら、拾える点を拾っていくしかない。


 そう言って捜査会議を終えた。


⸻


 帰り道にそんなことを考えているうちに、滝はコグシー屋敷へと到着した。


 門をくぐった瞬間、滝は眉を上げる。


⸻


 見慣れた紋章入りの馬車。


 その周囲を囲む、近衛兵達。


⸻


 「殿下か……」


⸻


 滝は屋敷へ入った。


 すると、使用人が慌てた様子で頭を下げる。


 「お帰りなさいませ、滝様。ハギー殿下がお見えになっております」


 「なるほど」


 「滝様もぜひご一緒にと、食堂へお呼びでございます」


⸻


 食堂へ向かうと、中から笑い声が聞こえてきた。


 扉を開ける。


⸻


 コグシー。


 ミネー。


 そしてハギー。


⸻


 三人が珍しく楽しそうに談笑していた。


 その空気だけで、少し肩の力が抜ける。


⸻


 「滝様!」


⸻


 ハギーが席を立つ。


 その表情は、心から嬉しそうだった。


 「お話は伺いました。ミネーとご結婚なさるのですね?」


 「……耳が早いですね、殿下」


 「はい。本当に嬉しく思っています」


⸻


 穏やかで、品のある口調だった。


 だが、その声音には隠しきれない喜びが滲んでいる。


⸻


 滝は少し照れくさくなりながら頭を掻く。


 だが、その真っ直ぐな笑顔を見ていると、不思議と気が軽くなる。


 張り詰めていたものが、少しだけほどけた。


⸻


 「滝様、座ってください」


 ミネーが柔らかく笑う。


 滝が席につくと、料理が運ばれてきた。


⸻


 そこで、滝は少し安心する。


⸻


 山芋料理がない。


 妙な精力料理もない。


⸻


 さすがに皇女がいる場で、それは避けたらしい。


⸻


 「……助かった」


 滝が小さく呟く。


 「何がです?」


⸻


 ハギーが不思議そうに首を傾げる。


 滝は咳払いした。


 「いえ、なんでもありません」


⸻


 ミネーだけが意味を察したのか、少し顔を赤くした。


⸻


 食事が始まる。


 ハギーは終始機嫌が良かった。


 「ミネーは、わたくしにとって姉のような存在なのです」


 「姉、ですか?」


 「幼い頃から、よく面倒を見てもらいました」


 「もったいないお言葉です」


⸻


 ミネーは照れたように微笑む。


⸻


 「この結婚で、わたくしにも兄が出来たようなものですね」


⸻


 滝は苦笑した。


 「兄というには、年が離れすぎていますよ」


 「そうでしょうか?」


 「どっちかというと、叔父です」


⸻


 一瞬、場が静まる。


 そして――。


⸻


 「ふふっ」


 ミネーが吹き出した。


 コグシーも肩を揺らして笑う。


 ハギーは少しだけ不満そうに口を尖らせた。


 「そんなに年齢差がありますか?」


 「ありますね」


⸻


 そのやり取りの最中だった。


⸻


 叔父。


⸻


 その言葉で、滝の脳裏にクガー侯爵の顔が浮かぶ。


⸻


 滝は何気ない調子を装いながら、口を開いた。


 「そういえば、叔父のクガー侯爵はどんな方なんですか?」


⸻


 ハギーは少し考え込む。


 「正直、幼い頃なので、あまり記憶にはありません」


 「そうですか」


 「ですが……スオーを誰よりも大事にしている方だとは聞いています」


⸻


 ハギーの声は穏やかだった。


 「母上――スサーとも仲が良かったそうです。優しく、面倒見の良い方だったと」


⸻


 だが、そこで少し表情が曇る。


⸻


 「ただ……戦争が終わり、母上が亡くなってからは、人が変わったようだと聞きます」


⸻


 食堂の空気が、少しだけ静かになる。


⸻


 「外戚でありながら、陛下の治世にも度々異を唱える」


 「……」


 「多くの貴族や商人と交流を持ちながら、どこか人と距離を取っているような方だと」


⸻


 ハギーは小さく目を伏せた。


 「戦争が……そうさせたのかもしれません」


⸻


 その言葉には、どこか寂しさがあった。


⸻


 すると、コグシーが思い出したように口を開く。


 「そういえば、昔からヤマー子爵とだけは特に仲が良かったと聞きますな」


 「ヤマー子爵ですか?」


 「ええ。貴族学校時代の同級生だったとか」


⸻


 滝の目が細くなる。


⸻


 新しい点だった。


⸻


 小さな点だ。


 だが、今はその小さな点を拾うしかない。


⸻


 食事を終えると、滝はコグシー屋敷を後にした。


 夜風が、少し冷たい。


⸻


 王都の灯りが、遠くに揺れている。


⸻


 温かな食卓だった。


 笑い声もあった。


 だが、一歩外へ出れば、また現実が待っている。


⸻


 クガー侯爵。


 ヤマー子爵。


 そして、覆面の男。


⸻


 点は、少しずつ増えている。


 だが、まだ線にはならない。


⸻


 滝は夜道を歩きながら、小さく息を吐いた。


⸻


 捜査という仕事は――。


 結局、地道に点を拾い続けるしかないのだ。

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