第116話 もう一人の執事
重い音を立てて、リアタ館の門が開く。
使用人たちの空気が、わずかに変わった。
騎馬が一騎。
ゆっくりと中へ入ってくる。
黒い外套。
上質な馬具。
無駄のない所作。
ただ者ではない。
使用人の一人が慌てて駆け寄り、手綱を受け取る。
男は無言のまま馬を降りた。
そして――。
フードを外す。
その瞬間。
脳裏に、セキの夜景が蘇った。
薄暗い路地。
血の臭い。
ホウブ。
そして――。
『始末しろ』
低い声。
あの時の男。
……間違いない。
少なくとも、滝の記憶とは一致していた。
滝は即座に視線を落とす。
そして、出前のオカモチを覗き込む振りをした。
顔を隠す。
男はこちらを見ない。
気付いている様子もなかった。
「どうした?」
使用人が不思議そうに聞く。
「いや」
滝は平然と返す。
「ずいぶん立派な馬だと思ってな」
使用人が振り返る。
「ああ、あれか」
「旦那様の執事のもう一人なんだよ」
「もう一人の?」
「よく知らないが、屋敷内の執事とは別で、貴族様や他の商人との交渉役だとか」
使用人は肩をすくめた。
「ザキと呼ばれているのを聞いたが……俺たちにはよく分からん」
別の使用人も口を挟む。
「旦那様の交友関係は広いからな」
「余計なこと聞くなって言われてるし」
苦笑混じりの声。
……口止めか。
滝は何気ない顔で頷く。
だが頭の中では、情報を整理していた。
セキ。
ホウブ。
リアタ館。
そして――ザキ。
線が、繋がり始めている。
「おい、料理冷めるぞ!」
使用人の声。
「ああ」
滝は皿を並べ始める。
余計な視線は向けない。
今は――顔を覚えるだけでいい。
数時間後。
夜も更けた頃。
リアタ館の門が再び開いた。
騎馬が、ゆっくりと外へ出てくる。
離れた路地の影。
そこに、滝たちはいた。
ユダが壁にもたれたまま、小さく呟く。
「……追うか?」
滝は騎馬を見つめたまま答える。
「いや」
短い返答。
「今日は顔を覚えるだけだ」
「騎馬での追跡は、すぐに気付かれる」
騎馬が夜の街へ消えていく。
滝は、その背を静かに見送った。
「焦ると、消える」
ユダが小さく鼻を鳴らす。
「刑事ってのは、面倒な生き物だな」
「急ぐ時ほど、急がない」
滝は煙草の代わりに、冷えた夜気を吐き出した。
「そういう仕事だ」
夜風が、静かに吹き抜けていった。




