第112話 貴族の来店
店に入ってきたのは、ハギーとミネーだった。
追加の食材を持ってきたのだという。
その瞬間、店内の男達の視線が集まる。
無理もない。
姉役のミネーは、落ち着いた色気のある美女。
妹役のハギーもまた、人を惹きつける華がある。
だが――誰も気軽には近寄らない。
ママ役のユダが、男を一切寄せ付けないからだ。
近寄ればただでは済まない。
本気でそう思わせる凄みがある。
しかも、ハギー自身も愛想はいいのに、どこか近寄り難い空気を纏っていた。
結果として、男達は遠巻きに眺めるだけになる。
一方のミネーも人気だった。
結婚していると公言しながらも、愛想よく接する。
その“人妻”という立場が、逆に男達の想像を刺激しているらしい。
しかも今日持ち込んだ食材は山芋だ。
精の付く食べ物として有名なそれを見て、男達が勝手に盛り上がっている。
⸻
その頃。
店の奥では、滝達が集まっていた。
「忙しすぎます」
コーナンが疲れた顔で言う。
「情報収集どころではありませんな」
サカンも不満げだ。
さらに、その横ではユダが無言で山芋を切っていた。
ダンダンダン――。
包丁がまな板を叩く。
明らかに、いつもより力が入っている。
「……怒ってるな」
サカンが小さく呟いた。
ユダは何も答えない。
ただ、さらに強く包丁を振り下ろした。
どうやら、これが抗議の意思表示らしい。
「……いや、俺もこんな予定じゃなかった」
滝は苦笑しながら、変装用の付け髭を撫でた。
本来は情報収集のための潜入だ。
だが、料理と美女が評判になりすぎたせいで、完全に繁盛店になっている。
「私は嫌いではありません」
ハギーが静かに言う。
「民の声も聞けますし、皆さん楽しそうです」
その言葉に、滝は小さく笑った。
だが、このままでは本来の目的が果たせない。
そう考えていた時だった。
⸻
カラン。
ドアが開く。
店の空気が変わった。
新たな客が入ってきたのだ。
それを見た瞬間、他の客達の表情が露骨に曇る。
入ってきたのは、貴族だった。
五十を過ぎたくらいの、小太りの男。
その後ろには従者が控えている。
「……貴族か」
誰かが小さく呟く。
「貴族がこんな店に来るなよ」
「酒が不味くなる」
「貴族様なら奢ってくれよ」
酔った客達が口々に野次を飛ばす。
その声を聞き、ハギーとミネーが奥へ下がった。
さすがに顔を知られている可能性がある。
だが滝は、表情を変えなかった。
どんな身分であろうと、騒がず、金を払うなら客だ。
「お客さん方」
滝が穏やかな声を出す。
「うちの店は喧嘩より酒と飯を楽しむ場所です」
その場の空気を崩さない声音。
だが、自然と客達の視線が滝へ向く。
「貴族様も、皆さんも、同じ客ですよ」
「……ちっ」
誰かが舌打ちする。
だが、それ以上騒ぐ者はいなかった。
滝はそのまま貴族へ向き直る。
「こちらの席へどうぞ」
案内された男は満足げに笑った。
「ほう。感じのいい店だな」
気を良くしたのか、銀貨を一枚投げて寄越す。
チップだった。
「この店は評判でな」
男は椅子に腰掛けながら言う。
「なんでも、精の付く料理を食わせるそうじゃないか」
下卑た笑み。
「今夜は家に帰る前に、精をつけておこうと思ってな」
周囲の客が嫌そうな顔をする。
だが、男は気にした様子もない。
⸻
厨房へ戻ると、ミネーが小声で言った。
「あの方……確か、クサツー男爵です」
「知っているのか?」
「はい。ハギー様の成人の祝賀会にも参加していました」
その言葉で、滝は思い出す。
祝賀会。
そして――爆発事件。
「あの時……近くにいた男か」
滝が呟く。
向こうは滝と直接話していない。
しかも今は変装している。
気付かれる可能性は低いだろう。
だが。
滝の脳裏に、あの時の言葉が蘇る。
爆発が起きた直後。
混乱の中で、あの男は確かに言った。
――「まさか、反乱軍か」
滝は静かに目を細めた。
あの場にいた貴族達は、皆混乱していた。
悲鳴を上げる者。
呆然と立ち尽くす者。
近衛兵を呼ぶ者。
だが、あの男だけは違った。
「反乱軍」。
まるで、最初からそういう可能性を考えていたかのように。
偶然か。
それとも――。
「滝様?」
ミネーの声で意識を戻す。
「……ああ」
滝は小さく首を振った。
「少し気になることがある」
刑事としての経験が告げていた。
あの男は、何かを知っている可能性がある。
ただし――まだ確証はない。
滝は男の様子を静かに観察する。
酒場の喧騒の中。
新たな情報が、思わぬところから転がり込んできたのかもしれなかった。




