第111話 潜入酒場
夜の王都カスミ。
石畳を照らす街灯の下、人通りは昼間よりも増えていた。
その一角に、一軒の酒場がある。
もともとは、リアタの屋敷近くにある小さな店だった。
店主は高齢の老婆。
長年一人で店を切り盛りしてきたが、年齢を理由に近く店を閉める予定だった。
その店を――滝達は借り切った。
目的は一つ。
リアタ周辺の情報を集めること。
酒場という場所には、人が集まる。
そして酒が入れば、口も軽くなる。
そう考えた滝の作戦だった。
もっとも――。
「……これは、どういうことだ」
サカンが、店内を見回しながら呟いた。
作戦開始から数日。
酒場は予想以上の繁盛を見せていた。
理由は単純だった。
美人のママがいる。
それだけで、人は集まる。
しかも、ただの美人ではない。
若い。
物静か。
どこか影がある。
客に媚びない。
それでいて、時折見せる柔らかな笑みに、男達は勝手に夢を見る。
カウンターの奥に立つのは、黒いシャツに黒い前掛け姿のユダ。
無愛想な美人ママ。
それが、今では客達の間で定着していた。
「ママ! こっち酒追加!」
「……順番だ」
低い声が返る。
無表情。
愛想もない。
客が睨まれれば、普通なら怯むところだ。
だが――。
「今日も機嫌悪そうだな、ママ」
「そこがいいんだろ」
「笑ったら凄そうだよなぁ……」
勝手なことを言って盛り上がる。
ユダの眉間に、わずかに皺が寄った。
それすらも、客達には好評だった。
ユダ本人は、当然ながら全く納得していない。
カウンターの隣では、サカンが酒を注いでいる。
こちらも無表情。
目つきも悪い。
愛想など、最初から捨てている。
だが、それすら客達には、
「訳ありの店って感じがしていい」
などと勝手に解釈されていた。
「……なぜ私がこんなことを」
サカンが酒を注ぎながら、小さく漏らす。
その声を聞いても、ユダは何も言わない。
ただ黙々とグラスを磨いている。
そして――。
「コーナンくーん! こっちお酒追加!」
「は、はい! ただいま!」
店内を忙しそうに動き回るのはコーナンだった。
白いシャツに黒い前掛け。
爽やかな笑顔。
礼儀正しい接客。
そのたびに女性客の歓声が飛ぶ。
「今日も素敵……」
「近くで見ると、やっぱり顔がいいわね」
「結婚してるのかしら……」
コーナン本人は、ただ仕事に集中しているだけだった。
それが余計に女性達を騒がせている。
「……なぜ女性客まで増えているんだ」
サカンが本気で頭を抱えた。
そして――。
厨房では、滝が料理を作っていた。
肉を焼く音。
香辛料の匂い。
鉄鍋から立ち上る湯気。
「お待ちどう、山芋焼き」
滝が皿を差し出す。
客達の目が輝いた。
「山芋焼き追加!」
「こっちにも!」
「酒に合うんだよな、これ!」
いつの間にか、山芋料理は店の名物になっていた。
コグシー家では、山芋は縁起物だった。
かつて跡継ぎに恵まれず、お家断絶寸前だったコグシー家を救った食材――などと言われている。
真偽はともかく、以来、屋敷では大量に栽培されていた。
材料には困らない。
そして滝自身、料理は嫌いではなかった。
子どもの頃、テレビで見ていた料理アニメ。
“ミスター”の称号を持つ少年料理人が、ライバル達に料理勝負を挑む作品だった。
影響されやすかった滝は、学生時代に料理屋でアルバイトまでしている。
包丁も鍋も、意外と手に馴染んだ。
「うまっ!」
「なんだこれ!?」
「酒に合うぞ!」
男達が歓声を上げる。
結果――。
情報収集のために始めたはずの酒場は、いつの間にか王都でも評判の店になりつつあった。
「……違うだろう」
サカンが死んだ目で呟く。
「本来の目的は情報収集だぞ」
滝は厨房から店内を見回す。
確かに客は多い。
だが、情報が全く取れていないわけではない。
酒が入った客達からは、リアタ周辺の噂も少しずつ出始めている。
まだ決定的な情報には届かない。
それでも、これまでよりは確実に前進していた。
――そんな時だった。
「ママ、こっち向いてくれ!」
「妹さん、今日は来るのか!?」
「いや、姉の方も見たい!」
店内から、そんな声が飛ぶ。
噂は、すでに妙な方向へ広がっていた。
この店には――
“絶世の美人ママがいる”
“たまに美人の妹が来る”
“さらに姉までいるらしい”
そんな話が、客達の間で勝手に作られていた。
サカンが頭を抱える。
「……誰がそんな噂を」
ユダは何も答えない。
ただ、眉間の皺がさらに深くなった。
その時だった。
カラン――。
店の扉が開いた。
一瞬で、店内の空気が変わる。
「あ……」
誰かが声を漏らした。
入ってきたのは、二人の女性だった。
一人は、柔らかな金髪を揺らす少女。
明るく華やかな笑顔。
店内の空気を一瞬で変えてしまうような存在感。
「こんばんは」
ハギーが微笑んだ。
そして、その隣に立つ女性へ、男達の視線が移る。
艶のある黒髪。
落ち着いた微笑み。
派手ではない。
だが、不思議と目を離せない大人の美しさがある。
ミネーは小さく会釈した。
その仕草だけで、何人かの男が息を呑む。
店内がざわめく。
「……まさか」
「噂の……」
「妹と……姉?」
誰かが呟いた。
もちろん、そんな関係ではない。
だが、そんなことを知る者は、この場には少なかった。
そして――。
店内の男達が、一斉に色めき立った。




