第110話 拠点
司法省執務室。
机の上には、リアタに関する報告書と王都の地図が広げられていた。
部屋の空気は重い。
御用商人リアタ。
爆破事件の裏にいる可能性は高い。
だが――決定的な証拠がない。
館の出入りは厳しく管理され、これまで何度も摘発を逃れてきた相手だった。
聞き込みも尾行も、大きな成果は上がっていない。
手掛かりはある。
だが、そこから先へ進めない。
そんな状況だった。
沈黙を破ったのはユダだった。
「屋敷へ忍び込む」
短い一言。
執務室の視線が一斉に集まる。
ユダは表情一つ変えない。
「夜なら警備の目も減る。一晩あれば十分だ」
滝は静かに首を横へ振った。
「駄目だ」
ユダが滝を見る。
滝は机の資料へ視線を落とした。
「情報が足りない」
「屋敷の構造が分からない」
「警備の人数も配置も不明だ」
一つずつ資料を指で叩く。
「脱出経路も確保できていない」
そして、ユダを見る。
「その状態で潜るのは作戦じゃない」
一拍置く。
「ただの無茶だ」
誰も反論しなかった。
ユダも黙っている。
部屋には重苦しい空気だけが流れていた。
このままでは、打つ手がない。
その時だった。
若い憲兵が、おずおずと手を挙げる。
「あ、あの……」
全員の視線が集まる。
若い憲兵は少し恐縮しながら口を開いた。
「気分転換に……皆さんで飲みに行きませんか?」
コーナンが思わず眉をひそめる。
「こんな時にですか?」
若い憲兵は慌てて首を振った。
「い、いえ! そうじゃなくて!」
「実はリアタの屋敷の近くに、小さな酒場があるんです」
「お婆さんが一人で切り盛りしている店なんですが、もう高齢で、近いうちに店を閉めると言っておられて……」
「閉まる前に、一度くらい行っておこうかと思っていたんです」
そこまで聞いた瞬間だった。
滝の表情が変わった。
「……使える」
「え?」
コーナンが首を傾げる。
滝はゆっくり立ち上がった。
「元の世界でも、半グレや暴力団は飲み屋を拠点にして活動することが多かった」
「俺が追っていた佐田たちもそうだった」
滝は地図を見る。
「酒が入れば、人は口が軽くなる」
「仕事の愚痴」
「自慢話」
「人間関係」
「そういう話が、酒場には自然と集まる」
滝はリアタの屋敷が記された場所を見る。
「しかも、その酒場はリアタの屋敷の近くなんだろ?」
「はい」
若い憲兵が頷く。
滝は地図から顔を上げた。
「なら、そこを拠点にする」
コーナンが目を瞬かせる。
「拠点……ですか?」
「ああ」
滝は頷いた。
「店を新しく開く必要はない」
「その酒場を借りる」
若い憲兵が目を丸くする。
「店を……借りるんですか?」
「そうだ」
滝は続けた。
「閉店する予定なら、店主にも話は通しやすいだろう」
「閉店までの間、俺達が店を借り切る」
「そこで客を相手にする」
「向こうから勝手に情報を持ち込んでくれる可能性がある」
執務室が静まり返る。
誰も思いつかなかった発想だった。
やがて――。
ハギーが目を輝かせた。
「面白い作戦ですね!」
その一言で、部屋の空気が少し明るくなる。
サカンが腕を組みながら頷いた。
「なるほど。酒場そのものを情報収集の拠点にする訳ですな」
コーナンも感心したように笑う。
「確かに、それなら相手も警戒しませんね」
滝は皆を見回した。
「役割分担は後で決める」
「まずは店を借りられるか、お婆さんに話をしてみよう」
その時だった。
ハギーが勢いよく手を挙げる。
「はい!」
滝が見る。
「私も店員をやります!」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「「「却下です」」」
滝。
サカン。
コーナン。
三人の声が綺麗に重なった。
ハギーが目を丸くする。
「えぇっ!?」
「どうしてですか!」
三人は答えない。
ハギーは腕を組み、不満そうに頬を膨らませた。
「むぅ……」




