第11話 異世界裁判3 ゆらぐ証言
ハギーが貴賓席へ着いたのを確認すると、
「それでは、裁判を再開します」
裁判長が静かに宣言した。
ざわめいていた法廷が、すっと静まり返る。
「先ほど、弁護人より被告無罪の主張がありました」
視線が滝へ向く。
「その根拠を、ここで示していただきたい」
空気が張り詰めた。
滝はゆっくり立ち上がる。
「被告は無実です」
短く、はっきりと言い切った。
一瞬の沈黙。
だが――ざわめきは起きない。
先ほどまでとは空気が違う。
ハギーが、この場を完全に支配していた。
軽々しく笑える者はいない。
「司法官の立証には矛盾があります」
「証拠の精査を求めます」
裁判長は隣の長老たちと小さく協議し、
「司法官は、被告の犯行を裏付ける説明を行いなさい」
と、サカンへ命じた。
サカンは不快そうに滝を睨みながら立ち上がる。
「被告は取調べにおいて終始黙秘しておりますが、証拠により犯行は明らかです」
「第一の証拠は目撃証言」
「現場である親杉付近に住むホウブが、犯行の一部始終と犯人の顔を見たと証言しております」
視線が関係者席へ集まる。
ホウブ。
顔色が悪い。
「弁護人、意見は?」
「証人尋問を求めます」
滝は即答した。
ホウブが証人席へ呼ばれる。
落ち着きがない。
視線が泳いでいた。
サカンが問いかける。
「一昨日の明け方、あなたが見たことを述べよ」
「あなたの友人トクを殺したのは、この女か」
ミネーを指し示す。
その瞬間――。
ミネーの指先が、わずかに震えた。
唇を強く噛みしめている。
「……はい、間違いありません」
かすれた声。
「物音がしたので親杉へ向かうと、この女とトクがもみ合っていて……」
言葉が詰まる。
「続けろ」
サカンが促す。
ホウブは大きく息を吸い、
「この女がナイフで刺して殺しました」
「正面から胸を」
言い切った。
法廷がざわめく。
だが、その空気もすぐ静まる。
ハギーがいる。
場は崩れない。
ミネーは視線を落としたまま動かない。
「以上が目撃証言だ」
サカンが言う。
「弁護人、どうだ」
裁判長が滝を見る。
「証人に質問します」
滝は立ち上がった。
ホウブの肩がびくりと揺れる。
滝は胸ポケットから一枚の紙を取り出し、大きく広げた。
「証人、この紙を見てください」
距離は数メートル。
ホウブが目を細める。
「何と書いてありますか。読んでください」
ホウブが前へ出ようとした。
「そのままで」
低い声で制する。
足が止まった。
「……えーと……えーと……」
読めない。
ざわめきが起こる。
「読めないのか?」
「その距離で?」
「裁判長、読んでいただけますか」
裁判長は戸惑いながらも紙を見る。
「……“本日のおすすめメニュー”」
読み上げた瞬間――。
「ふざけるな!」
サカンが激昂した。
「神聖な法廷で何をしている!」
「事件と何の関係がある!」
詰め寄ってくる。
「関係ありません」
滝は落ち着いて答えた。
「ですが、裁判長もあなたも、この距離で読めましたよね」
紙をサカンへ向ける。
サカンが一瞬言葉に詰まる。
「……それがどうした」
「これだけ大きく書いてあれば読めるのは当然だ」
「その通りです」
滝は一歩踏み出した。
「しかし証人は読めなかった」
視線をホウブへ向ける。
「これは証人の行きつけの酒場のメニューです」
「ホウブさん、あなたは普段これを指して注文しているそうですね」
「字が読めないはずはない」
ホウブの顔が引きつった。
「親杉から、あなたのいた場所まではかなり距離がある」
「憲兵の見取り図では、およそ五十メートル」
ざわめきが広がる。
「この距離で人の顔を識別できるのに、数メートル先の文字は読めない?」
「おかしいだろ」
「見えるわけがない」
ミネーが、ゆっくりと顔を上げた。
小さく息を吐き、滝を見る。
「証人、答えなさい」
裁判長の声が落ちる。
「……思い出しました」
ホウブが苦し紛れに言う。
「もっと近くで見ました」
一拍。
「では質問です」
滝は間髪入れず続けた。
「遮るもののない場所で、その距離まで接近して犯人に気付かれない理由は何ですか」
沈黙。
空気が張り詰める。
「あなたの視力では、かなり近づかなければ顔は識別できないはずだ」
さらに詰める。
ホウブは視線を逸らし、
「それでも……見たんだ」
声を荒げた。
「見たんだよ!」
どよめきが起こる。
「証言が違うぞ」
「さっきと話が合わない」
サカンが割って入る。
「証人は見たと言っている!」
強く言い切る。
だが――声が揺れていた。
「重要なのはそこだ!」
「そうですか」
滝は静かに返した。
「では確認します」
一歩踏み出す。
「あなたは五十メートル離れた位置から被告の顔を識別した」
「その一方で、数メートル先の文字は読めなかった」
間を置く。
「この二つは両立しますか?」
沈黙。
ホウブの喉が動く。
「……」
答えられない。
「証人、答えなさい」
裁判長の声が重く落ちた。
「……っ」
ホウブの肩が震える。
視線は床へ落ちたまま。
何も言えない。
ざわめきが広がる。
「無理だろ……」
「見間違いじゃないのか」
サカンが食い下がる。
「錯覚の可能性はある!」
「人は思い込みで――」
そこまで言いかけて、言葉が止まった。
自分で証言の信用性を崩しかけていることに気づいたのだ。
「……」
完全な沈黙。
ホウブは、もはや顔を上げることすらできない。
その背中は――。
何かにすがるように、小さく見えた。




