第10話 異世界裁判2 皇女の一言
ゆっくりと。
一人の少女が馬車から降り立った。
息を呑む音が、あちこちから漏れる。
――空気が変わった。
ハギーだった。
成人の儀と同じ白い正装。
だが、あの時とは違う。
纏う空気が、明らかに重い。
ただ美しいだけではない。
そこにあるのは確信。
揺るがない意志。
そして――この場を支配する覚悟だった。
誰も、声を出せない。
理屈ではない。
だが分かる。
この瞬間、法廷の主導権が完全に移った。
一人が膝をつく。
それを合図にしたように、次々と人々が頭を垂れた。
群衆が割れる。
道ができる。
ハギーは一切迷わなかった。
その中央を、真っ直ぐ進む。
止める者はいない。
止められる者もいなかった。
法廷の中央まで進むと、ハギーは裁判長を見る。
「発言の許可を」
裁判長の喉がわずかに鳴った。
「……許可します」
声が少しだけ揺れている。
ハギーは静かに一礼し、群衆へ向き直った。
「帝国皇女ハギーは――神に誓い、真実のみを語ります」
静寂。
誰も動かない。
「私は三日前、成人の儀のためスオーに参りました」
「そしてミネーは、私の侍女として同行しています」
静かな声だった。
だが、その言葉は不思議なほど広場に響く。
「ミネーは、私の希望でここへ来た」
一拍。
「断じて――男娼を買うような者ではありません」
ざわめきが起きる。
だが、すぐに押し潰される。
「なぜ、お忍びで?」
サカンが口を挟んだ。
「この街に、何かあるのでは?」
鋭い追及。
だが、ハギーは動じない。
わずかに目を伏せる。
「その件については――」
そして。
深く頭を下げた。
群衆が息を呑む。
誰も動けない。
王族が、公衆の前で頭を下げる。
そんな光景を、誰も見たことがなかった。
「私は、謝らなければなりません」
静かな声だった。
だが、その重みは広場全体を押さえつける。
「見えないものは、恐ろしい」
「戦争。復興。新政府への不満」
「そして――私という存在」
広場は静まり返っていた。
「皆が何を思っているのか分からない」
「それが怖くて、私はこの街に隠れて来ました」
沈黙。
「ですが――」
ハギーはゆっくり顔を上げる。
「それは、間違いでした」
まっすぐ前を見る。
「本来なら、最初に皆へ伝えるべきだった」
「堂々と、この地で成人の儀を行うべきだったのです」
「後悔しています」
空気が変わる。
さっきまで渦巻いていた怒気が、完全に消えていた。
「違う!」
コグシーが声を張り上げる。
「姫の判断ではない!」
「我々が決めたことだ!」
震えていた。
「責任は、私に――」
「いいえ」
ハギーが静かに遮る。
そしてコグシーの肩へ、そっと手を置いた。
「最後に決めたのは、私です」
その一言だった。
誰も、何も言えなくなる。
沈黙が法廷を支配した。
――流れが来た。
滝は静かに一歩前へ出る。
「サカン殿」
落ち着いた声だった。
「弁護人として、正式に申し上げます」
一拍。
「被告、ミネー・コグシー伯爵令嬢は――無罪です」
ざわめきは起きない。
誰も口を挟めなかった。
「本件の前提は、先ほどの証言で崩れました」
「被告の行動は、公務に準ずるもの」
「動機は、すでに否定されている」
滝はサカンを見る。
「よって――現時点で成立している罪状はありません」
静寂。
逃げ場のない論理だった。
「……異議があるなら」
滝はゆっくり視線を巡らせる。
「法廷で述べていただきたい」
完全に場は制圧されていた。
裁判長がようやく我に返る。
「……皇女の証言を認める」
「記録せよ」
「着席を」
ハギーが静かに席へ座る。
もう――罵声はひとつもなかった。
ただ。
静寂だけが、そこにあった。




