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第106話 託された思い

 橋の上で倒れたミネーは、そのままコグシー家へ運ばれた。


 滝は落ち着かないまま、客間の前を何度も行き来していた。


 しばらくして、部屋から年配の医者が姿を現す。


「先生、ミネーは!」


 思わず声が強くなる。


 医者は少し驚いた顔をしたあと、安心させるように頷いた。


「命に別状はありません」


 その言葉に、滝は大きく息を吐く。


「ただ、過労と風邪ですな」


「過労……」


「かなり無理をされていたようです」


 滝は言葉を失った。


 そういえば――。


 ミネーは昼間は王城へ出仕し、仕事をこなしている。


 そのうえ、夜遅くまで帰らない滝を待ち、毎日弁当まで作ってくれていた。


 さらに最近は、ヒカリー公の件。


 爆破事件。


 王都全体が張り詰めた空気に包まれていた。


 精神的な負担も、決して小さくはなかったはずだ。


(俺は……)


 滝は拳を握る。


 自分ばかり忙しくしているつもりだった。


 だが実際には、ミネーもずっと無理を重ねていた。


 献身的に、自分を支え続けてくれていた。


 それなのに、気付けなかった。


(また同じことを……)


 胸の奥が重くなる。


 日本にいた頃もそうだった。


 仕事ばかりを見て、周囲の疲れや悲鳴に気付けなかった。


 刑事として事件を追うことばかり考え、大切な人を後回しにしていた。


 あの頃から、何も変わっていなかった。


(……俺だけじゃない)


 ふと、サカンやコーナンの顔が浮かぶ。


 あの二人も、ずっと働き詰めだ。


 コグシーもそうだろう。


 皆、張り詰めたまま走り続けている。


 滝は静かに息を吐いた。


「……ありがとうございます」


 医者へ深く頭を下げる。


「今夜は休ませてあげなさい。傍にいるだけでも安心するでしょう」


「はい」


 医者を見送ったあと、滝は廊下を歩く。


 そして、コグシーの部屋の前で足を止めた。


 扉を叩く。


「入れ」


 中へ入ると、コグシーは椅子に腰掛け、静かに酒を飲んでいた。


「ミネーは寝たか」


「はい。先生から話も聞きました」


 コグシーは小さく頷く。


 滝は、その前で深く頭を下げた。


「まず、お礼を言わせてください」


「……何だ急に」


「俺を受け入れてくれたことです」


 異世界から来た、得体の知れない男。


 しかも四十五歳の中年。


 それでもコグシーは家へ迎え入れ、ミネーの傍にいることを許してくれた。


「それと……」


 滝はさらに頭を下げる。


「ミネーが無理を重ねていたことに、気付けませんでした」


 しばらく沈黙が流れる。


 やがてコグシーは、酒杯を静かに揺らした。


「……あいつは昔からそういう娘だ」


 ぽつりと語り始める。


「自分のことは後回し。不満もほとんど口にせん」


 滝は黙って耳を傾ける。


「前の婚約者を亡くした時もそうだった」


 コグシーの目が少しだけ伏せられる。


「周りに心配をかけまいとして笑っておった。あれは……見ていて痛々しかった」


 滝は何も言えなかった。


 ミネーは明るい。


 優しい。


 だがそれは、自分を犠牲にしてでも周囲を気遣う優しさだったのだ。


「だから結婚のことも無理には勧めなかった」


 コグシーは苦笑する。


「どうせまた、自分より相手を優先すると思っていたからな」


 少しだけ間を置く。


 そして、静かに顔を上げた。


「……だが最近は違う」


 滝を見る。


「あいつは、お前のことで怒る」


「……」


「笑う」


 少し口元が緩む。


「山芋をへし折るほどにな」


 滝も思わず苦笑した。


「正直、驚いている」


 コグシーは穏やかな表情で続ける。


「あいつが、あそこまで自分の気持ちを表に出せるようになったことがな」


 そして――。


 コグシーはゆっくりと頭を下げた。


 伯爵でもない。


 侍従長でもない。


 娘を託す、一人の父親として。


「これからも、ミネーを頼む」


 滝は目を見開いた。


 その思いの重さを、静かに受け止める。


 姿勢を正し、深く頭を下げ返した。


「……はい」


 短い返事。


 だが、その声に迷いはなかった。


 コグシーは満足そうに頷く。


「お前も疲れているだろう。今日はもう休め」


 そう言って椅子から立ち上がる。


「コグシー殿も」


「俺ももう寝る」


 机の上に置かれていた本を手に取る。


 ぱたり、と閉じる。


 その表紙には、大きく――


『孫』


 滝は思わず笑った。


 今日初めて、肩の力が抜けた気がした。


「……まだ早いでしょう」


「馬鹿を言え。男は準備が大事なんだ」


 コグシーは真顔で言う。


 だが、その目はどこか嬉しそうだった。

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