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第102話 朝帰り

 王都中央、魚市場。


⸻


 朝の魚市場は、すでに熱気に包まれていた。


 怒鳴り声。


 競りの声。


 魚の匂い。


 海水の混じった冷たい空気。


 その喧騒の中で、滝は顔をしかめながら腰を叩いた。


 「……腰が痛ぇ」


 昨夜――いや、もう今朝か。


 結局、司法省の執務室でそのまま潰れた。


 椅子に突っ伏して寝たせいで、背中も腰も最悪だった。


⸻


 「だから飲み過ぎるなと言ったのです」


 コーナンが呆れた顔をする。


⸻


 「お前も飲んでただろ」


⸻


 「私は潰れておりません」


⸻


 確かにその通りだ。


 サカンなど途中から床で寝ていた。


⸻


 そして市場の端には、布を頭から被せられたジンが立っていた。


⸻


 「顔を見られるとまずいからな」


⸻


 滝が低く言う。


⸻


 「……はい」


⸻


 ジンは小さく頷いた。


 もし犯人側に顔を知られていれば、口封じの危険もある。


 だから覆面代わりに布を被せていた。


⸻


 やがて。


 市場から次々と行商人たちが出ていく。


⸻


 「魚だよ魚ォ!」


⸻


 「朝獲れだ! 安いよ!」


⸻


 「脂の乗った川魚だ!」


⸻


 威勢の良い声が朝の街へ響いていく。


 背負い籠を担ぎ、それぞれが別々の方向へ散っていく。


⸻


 その時だった。


⸻


 「あっ……!」


⸻


 ジンの肩が跳ねる。


⸻


 「……あの人」


⸻


 滝が視線を向ける。


 そこにいたのは、中年の魚売りだった。


 日に焼けた顔。


 太い腕。


 よく通る声。


⸻


 「声の張り具合が……多分、あの人です」


⸻


 滝とコーナンが顔を見合わせた。


⸻


 「コーナン」


⸻


 「はい」


⸻


 コーナンが魚売りへ歩み寄る。


⸻


 「少しお話を伺いたい」


⸻


 魚売りは怪訝そうな顔をした。


⸻


 「なんだい?」


⸻


 「数日前、王都南部を売り歩いていましたか?」


⸻


 「ああ、行ったな」


⸻


 あっさり認める。


⸻


 「やはりか」


⸻


 滝も近づく。


⸻


 「どの辺りを回ったか覚えてますか」


⸻


 「いやぁ……」


⸻


 魚売りが頭を掻いた。


⸻


 「決まった道じゃねぇんだ」


⸻


 「売れそうな通りを適当に回るからなぁ」


⸻


 「その日の気分でも変わるしよ」


⸻


 (これは厄介だな)


⸻


 コーナンが地図を広げる。


⸻


 「では、こちらで確認を――」


⸻


 「いやいや旦那、勘弁してくれよ」


⸻


 魚売りが困った顔になる。


⸻


 「商売があるんだ」


⸻


 「今日はまだ全然売ってねぇ」


⸻


 すると後ろの若い憲兵が一歩前に出た。


⸻


 「捜査だぞ!」


⸻


 「憲兵隊に協力しろ!」


⸻


 空気が一瞬で固くなる。


 魚売りの顔も険しくなった。


⸻


 滝は小さく息を吐く。


⸻


 「待て」


⸻


 若い憲兵が固まった。


⸻


 「……は?」


⸻


 「そういう言い方するな」


⸻


 滝は魚籠を見た。


 大量の魚。


 今日売れなければ損になる。


⸻


 「その魚、全部買う」


⸻


 「……へ?」


⸻


 魚売りが目を丸くする。


⸻


 「その代わり、捜査に協力してくれ」


⸻


 魚売りはしばらく滝を見ていたが、やがて破顔した。


⸻


 「へへっ、そりゃ助かる!」


⸻


 「だったら協力するよ!」


⸻


 若い憲兵が戸惑った顔をする。


⸻


 「しかし大佐、それでは――」


⸻


 「嫌々協力させても良い結果は出ない」


⸻


 滝は静かに言った。


⸻


 「それに悪い噂が広まれば、次から誰も協力しなくなる」


⸻


 「捜査ってのは、人に嫌われたら終わりだ」


⸻


 若い憲兵たちが黙る。


⸻


 コーナンが感心したように頷いた。


⸻


 「……勉強になります」


⸻


 滝は肩を竦める。


⸻


 「元の世界の先輩に叩き込まれた」


⸻


 その後。


 憲兵隊は魚売りを連れて、販売経路の確認を始めた。


 さらに怪しい建物の洗い出しもある。


 時間はかかるだろう。


⸻


 「大佐殿はお休みください」


⸻


 コーナンが苦笑する。


⸻


 「顔が死んでおります」


⸻


 「……自分でも分かってる」


⸻


 大量の魚を抱え、滝はコグシーの館へ戻った。


⸻


 まだ明け方。


 空は白み始めたばかりだ。


⸻


 裏口を軽く叩く。


 眠そうな使用人が、そっと扉を開けてくれた。


⸻


 「お、お帰りなさいませ……」


⸻


 「悪い、起こしたな」


⸻


 静かに館へ入る。


 その時だった。


⸻


 庭で朝の鍛錬をしていたコグシーと目が合う。


⸻


 無言。


⸻


 そして。


⸻


 コグシーは滝の顔を見るなり、なんとも気の毒そうな顔をした。


⸻


 「……なんですその顔」


⸻


 「いや」


⸻


 コグシーは静かに目を逸らした。


⸻


 「ご武運を」


⸻


 「なんだそれ」


⸻


 嫌な予感しかしない。


⸻


 食堂の方から、明かりが漏れていた。


⸻


 恐る恐る扉を開ける。


⸻


 そこにいたのは、ミネーだった。


⸻


 椅子に座り、じっとこちらを見ている。


⸻


 頬を膨らませ、不満げな顔。


 ……かなり可愛い。


⸻


 だが。


⸻


 テーブルの上には。


⸻


 大量の山芋。


⸻


 山。


⸻


 どう見ても山。


⸻


 ミネーは、にこりともせずに山芋を一本持ち上げた。


⸻


 「……お帰りなさいませ」


⸻


 静かな声だった。


⸻


 滝は山芋の山とミネーの顔を見比べる。


⸻


 「……ただいま」

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